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	<title>Shinji Tahara &#187; ブルーム</title>
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		<title>教養について考える－ブルーム「アメリカン・マインドの終焉」</title>
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		<pubDate>Sat, 08 Jan 2011 09:10:00 +0000</pubDate>
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				<category><![CDATA[ブルーム]]></category>

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		<description><![CDATA[田原 慎治です。 1967年生まれのわたしは、「ポスト教養主義」世代です（教養主義については竹内洋「教養主義の [&#8230;]]]></description>
				<content:encoded><![CDATA[<div align="justify">田原 慎治です。</div>
<div align="justify">1967年生まれのわたしは、「ポスト教養主義」世代です（教養主義については竹内洋「教養主義の没落」＝中公新書をご参照ください）。最も多感な学生時代が1980年代ですから、論壇やキャンパスで批評の対象になった多くの出来事をまったくリアルタイムで体験していない。政治も、文学も、音楽も、演劇も、学友との面倒くさい議論は一切なし。ただ好きなものを、好きな者同士が集まってにこやかに楽しむ、すでにそんな世代でした。</div>
<div align="justify">世代を貫く連帯感を表現するなら、「手触り感が分からない」ことがあまりにも多いことへの「口惜しさ」、とでも言えましょうか。こんなネガティブなワーディングでしか自分たちの体験を共有できないことが、わたしたち、売り手市場世代、バブリーな青春時代を謳歌させてもらった世代の、実は悲しい原体験なのです。</div>
<div align="justify">そういえば、「1968-若者たちの叛乱とその背景」の著者、小熊英二が1962年生まれということになっていて、全共闘時代について書こうとしてるのだけれど、やはり本人は実体験がない。だから二次・三次資料を使うときに当時の「ニュアンス」をごっそり無視してしまっている、なんてことがひと頃批評されていました。わたしも自分の肌で経験していない「日本の来し方」があまりにも膨大なのでどう自分の中に取り込んで行ってよいのか、判断を留保したまま今に至っていることを、恥じつつ認めます。なにしろ、浅田彰らによるニューアカ・ブームが始まったかどうかのころ、のんびり中学を卒業した世代なのですから、半分くらいは勘弁してください。ただ岩波文庫の「緑帯」だけを必死で読み散らかしており、その「必死さ」だけがわたしのせめてもの「恥」の表われでした。</div>
<div align="justify">そんなわけで、大学に入って、アジビラや立て看板（の名残り）を見たり、些細な趣味の違いを肴に侃々諤々の議論をしていたというほんの十年ほど前の学生たちの話を聞かされるたびに、羨望とも旧懐ともつかない、不思議な感覚を抱いたことを思い出します。</div>
<div align="justify">そして社会へ。やっぱり多様な世代と（まがりなりにも）広い世界を相手に仕事をするには、教養が必要だと思い至ります。もちろん、抄録的知識はあります。けれども、何を語るにつけても、ちょうど、本文を読まず「もくじ」と「あとがき」だけを読んで読書感想文をでっちあげた（そして不思議と褒められた）「少年の日の思い出」（Byヘッセ）が蘇えってくきます。付け焼刃的な情報で一時しのぎをしようにも、常に各書の「原典」に当たっていないということがどうしても「引け目」となり、やましく感じられる。いつだってエミールから「そうか、つまり君はそういうやつだったんだな」と言われているような気分です。追いつけない「教養」へのルサンチマンにまみれてきましたが、ようやく最近になって、ほんの僅かばかり眺望が開けつつあります。</div>
<div align="justify"></div>
<p>前置きが長くなりました。アラン・ブルーム「アメリカン・マインドの終焉」（菅野盾樹訳、みすず書房）は、そんな80年代のアメリカの大学生における「教養主義の没落」を、実に多方面から観察した大著です。入学時点が最も教養レベルが高いとされる日本の大学ではなく、それなりの勉学生活を送るとされているアメリカの、しかもアッパークラスの大学にして、教養がすでに文化資本の意味を失っていることを、克明に描いてみせます。</p>
<div align="justify">議論の中核に据えるのは、アメリカが持つ「価値相対主義」のネガティブな側面です。ヨーロッパだけが世界の中心ではないという相対世界観に建国の理念が根ざすアメリカでは、さまざまな思想が等価であるがゆえに、真の教養の目指す「人としてよく生きること」「真実に、また完全に生きること」「真・善・美の追求」などの地位も相対的に下がるのだとか。だから当今の学生たちにはもっと教養を身につけてもらおうではないかという、実に割り切りのいい議論です。個人的には、「悩み」の感じられない、竹を割ったような論旨の立て方には要注意、という直感が働いてしまって、ところどころ眉に唾をしながら読みましたが。 </div>
<div align="justify"></div>
<div align="justify">とはいえ、「教養」の重要性そのものについては、間違いなく著者の述べるとおりだと、思うのです。</div>
<div align="justify">企業内教育に携わっていると、若年層のみならず、次期経営幹部といった人たちまでが、自身のリテラシーの低さを棚に上げて、「そんなこと、分かりません」と開き直ってくる場面に、結構遭遇します。「そんなこと（そんな言葉、そんな人、そんな本）、知りません。ぼくが分からないのは、知らない言葉で説明しているあなたが悪いからです」と、正面切って言われたことがあります。よほど見当違いの分野の話をしているならまだしも、彼らの専門領域の話でありながら、です。泣けますね。そこで必要なのは、共通の話題の源泉としての「教養」ではないかと、わたしたちは考えます。自分の教養不足を嘆いているわたし自身が、仲間の産業人のことをこんな風に思わねばならないことが、いかにも現代風ですね。</div>
<div align="justify">ピエール・ブルデューと共に言えば、この種の教養は「家庭内文化資本」です。「学校で教えてもらわなかった」とか、「これまで仕事で必要なかった」などと言わず、個人として、ご自宅で嗜んでいただきたい。この「教養」をいかにして身につけるのか、何を身につけるのか、そもそもなぜ身につけるのか、といったことについては、いずれまた。</div>
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