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共感か反感か

変革をスムーズに進めるために、共感者を募ることが必要です。そもそも共感とは何かという部分から紐解いて考えてみましょう。

共感とは簡単に言うと、同じように感じること。変革の必要性について同じように感じてくれれば、共感者として変革側に回ってくれると言うわけです。心理学的に定義すると、「他者の中に自分を認める能力」となるようです。逆に言えば、他者の中に自分を認めないこと=反感となるでしょう。

この定義は、わたしたちがしばしば遭遇する人間関係におけるゆがみを見事に説明してくれます。こんな実験があります。だれか知っている人で自分をいつも理不尽にいらいらさせる人物を思い浮かべる。たいていの人はうまく付き合えるが、この人に限っては、黒板をつめで引っかいたように神経に障る。そこで、一枚の紙にその人のいらいらする特徴を表す形容詞を出来るだけたくさん遠慮せずに書き出してみる(リストA)。次に、そのリストのすぐ隣に、正反対の言葉を書き込んでいく(リストB)。たとえば、臆病なら勇敢、遅いなら早いなど。出来上がったら、リストBを読み上げる。たいていは、もっとも誇りにしている自分の特徴になっている。

この実験において、リストAは自分が抱いている反感、つまり他者の中に自分を認めない感情が表されています。たとえば、勇敢であるべきだといつも自己と闘っている人にとって、臆病というのは、自分に決して認めたくない感情でしょう。何事も早く仕上げることをモットーにしている人にとって、いつも遅いというのは許しがたい自分の姿なのです。つまり、本当の自分は、実は反感を抱くような闘っている自分であり、その自分が許容されているような他者を見ると苛立ちを覚えるというわけです。実際の自分の本当の姿はリストBではなく、多分にリストAであるにもかかわらず・・・。*

さて、この実験結果を変革に当てはめてみましょう。常にあるべき姿を前面に掲げてリストBだけで変革を推し進めようとすると、当然ながら共感者を誘うこともあれば、反感者を誘うことにもなるでしょう。この反感者に対して変革者はどう感じるべきでしょうか?変革を邪魔する気に障る存在と写れば、リストAのようになるでしょう。ところが、自分の方から共感する姿勢を示すとどうでしょうか?実際には、変革者自身が闘っている自分の姿であるリストBを他者に認めるという努力です。

実際には、変革に関わる人々に共感すること、すなわち、この変革はやるべきだし、とてもよいと思うが、でもやるとなれば、いまのこれはこう変わってしまう、あれはどうなってしまうのだろう、現場のことが分かればこそ不安になる、という感情を受け止め、認める努力が必要です。共感すれば、共感してくれるはずだからです。たとえば、あるべき姿や戦略部分ばかりを前面に掲げるのではなく、現状を如何に理解しているか、実行計画はどれほど地に足の着いたものかを示し続けることでしょう。

反感を生じさせている部分が、実は自分も闘っている弱い部分なのだということが分かると、人は「そうだったのか」という共感を持つようになるというわけです。弱い自分=反感を自分の中にまずは認めることが必要というわけです。反感部分を隠しておいたままでは、人は共感してくれません。「この人は、わかっていない」で終わるだけです。自分の中の葛藤を共有する姿勢が共感を呼ぶのです。

共感か、反感か。共感は単にビジョンや戦略に対して理性的に生じるものではありません。共感のメカニズムを理解すると、反感も実は共感に変えることができるということがわかります。

* 誰が世界を変えるのか 2008 フランシス・ウェストリー 英治出版

触媒になる

1823年にドイツの科学者ヨハン・デーベライナーは、白金のかけらに水素を吹き付けると点火することに気がつきました。白金は消耗しないのに、その存在によって、吹き付けた水素と空気中の酸素とを反応させることが出来たのです。化学の世界では、この白金のように、変化しないのに反応を助けるものを「触媒」と言います。触媒は、通常では反応に参加しないような内部エネルギーの小さい分子を反応に参加させるので、見かけ上は反応の速度を増加させる働きを持ちます。

変革においても触媒は大変重要です。通常では変革という反応に参加しないように思える「分子」を反応に参加させ、変革に弾みをつけて成功へと導く必要があるからです。リーダーがいくらひとりで優秀な戦略を描いていわば「水素」を吹き付けても、周りの酸素が参加してくれなければ、火はつきません。一般に、変革の成否は、戦略の優位性と関係者の納得度の掛け算によって図られます。戦略に優位性があり、関係者の納得度も高ければもちろん、成功確率は高くなり成果も上がるでしょう。では、戦略に優位性があっても関係者の納得度が低い、あるいは戦略に優位性がなくても関係者の納得度が高い、さてどちらが成功確率が高く成果が上がるでしょう?

20081209

答えは、後者すなわち戦略に優位性がなくても関係者の納得度が高い方です。なぜなら、戦略の優位性は、関係者の納得度によって変革の過程でカバーされるからです。たとえば、全社的に見るとこの戦略はどうだろうと思えるような場合でも、関係者らが納得していれば、変革が前に進むので、その過程で徐々に戦略は最適化されていくものだからです。しかし、逆の場合はそうはいかない。変革が進むにつれて、納得感の低さは、抵抗勢力の台頭を招き、骨抜きになるリスクをはらみます。

では、関係者の納得度を高めるためにはどうしたらよいでしょうか?端的に言えば、関係者の当事者性を高めることです。この変革は自分で起こすもの!という感覚をみなが持てるようにする。

と言うのは簡単ですが、実際にどうしたらよいのでしょうか?当事者性に関する人の心理は次の3つに要約されるのではないかと思います。

1. ひとは打ち込んでいるうちに徐々に自分のことにできる
2. ひとは自分で口にしたことなら自分のこととして捉える
3. ひとは自分に期待されると自分で動く

1番目の点について考えてみましょう。英語で「生まれる」と言うのは、Be Bornと受身形で表されます。言語学的にはもっと複雑な説明になるのでしょうが、簡単に言うと生まれること事態は自動詞なのに、他動詞「生む」の受身形として表現されるということです。何が言いたいかと言うと、ひとはそもそも<自分のこと>を元々持っているのではなく、生まれるという最初の行為からずっと、<人のこと>を<自分のこと>にすることによって、当事者性を<発揮してきた>に過ぎないという事実です。生まれながらに当事者は神以外にいない。

この事実を踏まえると、変革なんてそもそも外から与えられたものに当事者性なんか出せるか、出せたとしてもそれは捏造だ!なんていう変な諦めや誤解から逃れられます。現に、上に挙げた3つに共通することは、元々持っていた天賦の当事者事項のようなものでないとダメというわけでないことが分かります。

たとえば、営業なんて自分には向いていないと感じつつそれでも営業にひたすら打ち込んでいるうちに、「営業というものは・・・」とか「俺の営業は・・・」なんて、まるでもともと自分のことのように話す人をよく見かけます。親から<教えられた>こと、子供の頃習い事を<させられた>ことが、生涯の自分の仕事になっている人も多くいます。親戚や知人から<勧められた>仕事がそのうち自分の天職という感覚になるのも同じでしょう。とにかく、最初は気乗りがしなくても、たとえ嫌なことでも、打ち込んでいるうちに<自分のこと>になるというのが、いわゆる仕事ではないでしょうか?

2番目の点も考えてみましょう。子供が宿題をするときにも親に言われたらやる気が出ないのに、自分でやると言ったら(実際には言わされているのかもしれませんが)、なんとなくやる気が出るなんていうのはその典型です。会社でも目標管理の中で、普段はあまり自分で考えていないようなことでも、上司と話し合いをしていくうちに、自分で目標を口にすると(実際には誘導されて言わされているのかもしれませんが)、その目標に対する乗り気のようなものが出てきて、指示として言われたこととは随分違うでしょう。これは言語の持つ不思議な力とも思えるのですが、自分で口にすると自分のことになるんですね。

3番目の点は、単に期待されるとそれに応えたくなるという単純なことではありません。褒められるとか感謝されるとかよりも、もうちょっと深く期待されること、たとえば、「あなたがやってくれればきっとうまくいく」とか「あなたがいなければ絶対に成功しない」という類の期待です。やろうとしていることに対して、自分が必要とされている、不可欠な存在だと分かると、<自分のこと>になるのです。

間違ってはいけないことは、あなた<も>いると・・・という考え方ではダメです。あなた<が>にならなくてはいけない。なぜなら、<も>の場合は、全体最適つまりチームや組織全体にとって益があるからそれに貢献して欲しいという程度のメッセージになり、たとえあなたにとって部分不最適つまり不都合なことがあっても全体にあなたも貢献できるといったメリットの強調の仕方しかしていないことになります。もっと強烈に、<が>が必要です。そんなことを言ってあげられるほど仕事が出来る人はそもそもそんなにいない。そんなのお世辞に過ぎないからすぐに見透かされてしまうとは考えないでください。まずは、周りが非常に熱くなっているということがその人に分かるようにしましょう。そうすれば、スタート時点で少なくとも、自分が冷めることが自分のとってリスクとなる環境に置かれているという心理になります。その上で、あなた<が>必要というメッセージは、どんな場合でも、お世辞などではなく、本当に真剣なメッセージとして伝わることでしょう。

さて、実際の変革のファシリテーションでは、この3つの要素を踏まえて、当事者性を関係者に発揮していただく仕掛け作りを考えていくことになります。以下に具体例を考えてみましょう。

1. ひとは打ち込んでいるうちに徐々に自分のことにできる
まずはやってもらうことが必要ですから、この場合大切なことは、その人が何をすべきか(What)と、どうやってやるか(How)、どの程度やるか(How much)ということを明確にすることです。そのためには、全体の変革テーマを出来るだけシンプルに、でも、美辞麗句を並べ立てた全体目標のような感じにしないことです。実は意味がよく分からないとか、すぐに忘れてしまうようなものは、なかなか自分のことにできません。シンプルで尖った目標の方が、ボールとして受け取りやすいし、自分のことに加工しやすいのです。

たとえば、「収益性向上」とか「売上増大」などはダメです。その人との関係距離が遠いからです。もっと現場の共感を得られるようなシンプルかつ具体的な目標がよいでしょう。「脱箱物売り」とか「獲得顧客の笑顔」なんてどうでしょう。そうして、どうやってやるのか最初の滑り出しだけでも明確に示すことです。

ここでよく間違うのは、当事者性を発揮して欲しいからと言って、どうやってやるか(How)は自分で考えてやりなさいという丸投げです。もっと悪いのは、何をやるか(What)まで自分で考えろと叱咤激励だけは論外。「ひとは打ち込んでいるうちに」と言う点を忘れないようにしましょう。まずは打ち込むところまではお膳立てが必要で、打ち込むまでの大変なところは勝手にどうぞでは決してうまくいきません。またその逆に、最後まで全部お膳立て(たとえば全部マニュアル化)もNGです。滑り出しは<ひとのこと>でも、「徐々に自分のことにできる」ような環境、自分で加工する余地、つまり余白を残しておくことが大事です。

2. ひとは自分で口にしたことなら自分のこととして捉える
そのためには、自分で口に出来るような場作りが必要でしょう。リーダーは、相手をして言わせしめる質問力が必要です。ぼんやりしていたことを整理しながら、あえて言葉にさせてみると、口に出来たという誘導が求められます。これは高度な技術ですが、質問を用いた会話の技術を磨く必要があります。

もう一つは、しがらみに縛られず自由な本音で議論できる場を作るためのルールの共有です。たとえば、言いたいことを言いたい人に言う、でも相手は決してその場で否定してはならないとか、主張のための根拠となるデータは原則すべて開示するとか。周りの顔色をうかがったり、情報権限の差のために、自分で口にするのを躊躇する環境は避けなければなりません。

人が自分で口にするのを躊躇する最大の要因は、言ったら責任を取らされるというリスクでしょう。だから、責任を<取らせる>という雰囲気ではなく、責任を<果たせる>よう支援する場作りが必要になります。支援の環境が整っている場では、自ら口にし行動することが容易になります。確かに行動を起こすこと、自らのものとすることは、人にとって「荷」となるでしょう。でも、それを言ったが最後、人にとって「重荷」となるような文化では、誰も手を挙げません。むしろ、「荷」を負い合う「くびき文化」があると、人は当事者性を発揮しやすくなります。

3. ひとは自分に期待されると自分で動く
一肌脱いでやろうと思えることです。そのためには、自分がいないとどうなるかということが容易に想像できるようにしなければなりません。現状が本当の意味で分かっているのは<あなただけ>。<あなたが>動いてくれればみんなが連なるような影響力がある。<あなたが>成功の鍵。<あなたに>かかっている。<あなたに>やって欲しい。<あなたでないと>できない。という類のメッセージを送り続けることでしょう。よく、協力して欲しい、協力者を求めるといった姿勢が見られますが、その程度ではなく、強くて真剣なメッセージが人を動かします。

人の基本的な欲求には、他者貢献という高次元のものがあるのです。人は自分の利益と引き換えにしか行動しないと言われますが、突き詰めると、人にとって最高の利益は、実は自分の利益を後にして他の人に利益をもたらすことなのです。とっても不思議なパラドックスですが、人はそもそも利他的に造られているという本質を認識すれば、当事者性の発揮において、期待されることはとても大切な要素と言えます。

N606

リバウンド状態に持ち上げて打破する

既存の枠組みに捕らわれてしまい、なかなか思い切った発想で、新たな世界が考えられない。議論をしていても考える前にダメだとあきらめて前に進まず煮詰まってしまうということがあります。人々の思考の”コリ”を一挙にほぐして、新たな世界に解き放つ方法の一つに、リバウンドで打破する方法があります。

変化というものはリバウンドの前と後で世界観が変わります。たとえば、人は一旦美味しいものを口にすると、その味が基準となって美味しさの判断レベルが上がるとか、個人的に絶対100回は無理と思っていたのに、それよりもはるかに高い目標が当たり前だと言うことが分かると、100回はいけるかも感じるとか。ある種の劇的な変化の後では、同じものに対する感じ方が大きく異なるという心理的特性があるのです。これを利用して、煮詰まった状況を打破する方法を考えます。

一例としてハンバーガーの味を劇的に改善するという変革を考えてみましょう。既存のハンバーガーに何を加えたら味が変わるのか、あるいは何を取り除いたらいいのか、それをしたらいくらかかるから価格設定に無理が来るとか、ハンバーガーだからこれは必須でしょ・・・などと考えているうちは、なかなか思考が解き放たれません。そこで、思い切ってコスト度外視で高級食材を使ってもいいから、自分が食べたい最良のハンバーガーを新作する<としたら>どうなるかやってみようと試作します。これにより、まずは顧客にとって理想の最高状態とはどういうものかを知るというリバウンドを招きます。もしかしたら何千円もするハンバーガーが出来てしまうかもしれません。それでも、理想状態を共有し、一旦思考をリバウンドさせてから、現実的に落とすべきところを落としていくという過程により、発想の変革を行ないます。

別の例では、現在の顧客訪問頻度を5割増しにしようという営業会議。この話は今に出てきた話ではなく、過去に何度も議題に上ったことのあるいわば積年の課題。話し合うといつもの通り、人が足りないから各拠点に増員をということになる。増員は出来ないから、やっぱり5割増しなんか無理。今回も、可能な限り頻度向上に努めようという掛け声だけになってしまう。そこで、思い切って営業が仮に内勤をゼロにして、すべての時間を外回りに費やした<としたら>、どうなるか試算してみようと促します。当然そんな理想的なことは計算しても意味がないという声が返ってきそうですが、とにかくすべての時間を顧客訪問だけに費やせたらどうなるでしょうという理想状態を一旦計算します。その結果はリバウンド状態を招きます。すると、何人かが計算機を片手に徐々に計算し始めます。100件はいけるな、いや200件はいける・・・などという答えが返ってきます。あくまで理想のリバウンド状態ですから、そのままで実行に移すことは出来ません。でも、一旦リバウンド状態に持ち上げておいてから、現実的な計算を行い、引き算を始める。すると、人々の思考が一旦解放されているので、堂々巡りだった議論が少しずつ前に進み始める。
20081208
このリバウンド状態に一旦持ち上げるポイントは、<としたら>という理想状態を一旦仮定し、その状態を垣間見せることです。すると、やるべきことは何も変わっていないのに、リバウンド状態の後の世界観は、できるわけがないという心理状態から、できるかもしれないという心理状態に転移しているのです。

ハンバーガーと言えば、最近、アメリカ人の奥さんをもらった日本人の友人が、海外から帰国し日本で働き始めました。奥さんは愛情たっぷりの愛妻弁当を持たせてくれます。ある日のこと、ランチボックスを開けてみると、かわいらしい”おにぎり”が。がぶっとかぶりついた瞬間、中に入っていたものとは・・・。なんと、ゆで卵とトマトのスライスです!思わず吹き出してしまうと同時に感動の涙が・・・。アメリカ人にとってはランチボックスと言えば、サンドイッチ。そこに挟むといえば・・・。ご主人を思う奥様の愛らしいエピソードでした。それを聞いて、日本にもライスバーガーと言うのがあるなと思い出しました。ライスバーガーの中身は、ライスに合う和食。でも、リバウンド状態に持ち上げてみると、案外ライスバーガーの中身はそうではないかも。もしかしたら、欧米で売れるライスバーガーが開発できる?と思いました。リバウンド状態の後では、ライスに卵とトマトもいけるかも?と思えるのでは?

N901

改革迷走の対立障壁

総論賛成、各論反対。これは改革当事者の心理的障壁をよく表しています。改革の方向性はOKなんだけど、自分に関わるところ、こだわるところの「つぼ」がNG。それじゃあ、この部分だけは残しておいて、先にこっちだけやりましょう。その後、様子を見てまた改めて・・・。というのが幾つも幾つも続き始めると、だんだん改革路線は迷走し始めます。この原因には、関係者の間の対立障壁があります。一般的に分類すると、次のような3次元で描けるでしょう。

X.時間軸
長期視点に立つのか短期視点で構えるのかということです。多少長く時間がかかっても抜本的な改革をこの機にしたいという視点もあれば、ジリ貧なので少しでも結果が出るものからどんどん手をつけたい。でも、それをしていると最終像に対しては二度手間になり、手戻りが生じるから、結果的には時間がかかるなど。ビッグバンでやるか、パッチワークで行くかというの議論です。別の例では、改革内容が人材育成や教育が関わるものであれば、どうしても長期視点に立たざるを得ない半面、業績に繋げるためにはある程度短期視点で臨まなければならない。新規事業の立ち上げに伴う改革とするか、既存事業の早期改善を積み上げるかなどの議論もあるでしょう。

Y.空間軸
全体最適のために部分不最適はやむを得ない、でも部分最適されなければやる意味がないし、非協力者にどう対応すればよいのか・・・。管理者にとっては有用だが、現場にとっては負担を強いる。全体コストは低減できるが、この工程については余計なコストがかかる。全体が見えるようになるだけで、何のメリットがあるのか、現場での作業ごとにすでに最適化されている。そうなれば、結果としてどれだけのコスト増になるか検討がつかない。特に、人員削減を伴う場合、管理側と現場側の主張の行き違いがつき物ですし、そのためにコストや品質はどうなるのか、会社全体として最終的には不利益になるのではないか、などの議論があることでしょう。

Z.評価軸
改革の指標を何に置くのか、あっちか立てばこっちが立たない、2つの指標の間で揺れる場合です。たとえば、生産ラインの時間を短縮させ、リードタイムを改革指標にしたら、不良品率が上昇するとか、売上増大の施策を掘り下げるためには、コストにある程度目をつぶらなければならないとか、物流コスト低減のために発注ロットを大きくすると、在庫回転率が落ちて結果としてコスト増大を招くなど。この改革は結局何を目指しているのかなどというそもそも論に立ち戻ってしまう要因になりやすい軸です。
20081204
これら3次元の対立障壁を意識し、対立解消のためにとるべき施策は論理的に考えて3つです。

A.どちらか一方だけで完全に割り切ってしまう
色々な要素を考えてしまうあまり人々の目線が小さくまとまってしまう場合、抜本改革の必要性をみなで共有する雰囲気作りには、リスクがあるもののシンプルな方がまとまりやすい。思い切って人々を今ある場所から解き放つために、チェンジレーダーが言い切ってしまうという方法を取ることにより、対立障壁をなくします。

B.片方の犠牲を特定する
あっちがよくなるなら、こっちはこれくらいは大丈夫というトレードオフの考え方です。この場合、評価指標は2つになります。たとえば、リードタイムを5%改善するなら、不良品率を1%まで許容する。売上が20%増なら、コスト10%増まではOK。などという交換条件により対立障壁をなくす方法で、この2つの指標をトレードオフ指標といいます。

C.両立させる
あえて二兎を追う、一驚両得のやり方です。たとえば、業務目標の達成と人材育成の推進は、限られた業務時間の中では相対する障壁となるとすれば、日常の業務遂行の中でいかにして人材育成もやってしまうという発想の転換をすることです。そのためにはどうしたらよいかということを考えて、対立障壁をなくしていきます。結局は企業利益の最大化を大目標としていますので、よく考えれば両立のための解決策は見つかるでしょう。ただし、対立点が美辞麗句で曖昧にされてしまい、総論賛成各論反対の罠に陥ってしまわないような「仕掛け」作りがどうしても必要です。

N508