コミットメントとコンプライアンス-参画意識の違い

参画意識が高くなければ、「形だけの追従」か、あるいは「嫌々ながらの追従」を示し、これが抵抗勢力となって表れることになるでしょう。ある意味で、これらの態度は見極めやすいと言えます。チェンジマネジメントで直接的に対峙する課題は、これらの態度であることは間違いありません。

一方で、参画意識が高いと見えるような場合でも、目には微妙な違い、いえ、そうであっても結果としては大きな違いとなって表れる課題があります。それが、コミットメントとコンプライアンスの違いです。コミットメントとは、情熱的参画とでも表現しましょうか。目的の達成に向けて自らエネルギーを注ぎ込み物事を変革してゆこうとする態度です。コンプライアンスとは、応諾とか追従と訳されるように、心から同意して応じますが、あくまで協力の範囲です。

コンプライアンスは、ゲームのルールを守ることで満足しますが、コミットメントはよりよいゲームにするためにルールを変えることすら考える、それほどの違いがあるでしょう。当然ながら、変革に向けて組織が進むためには、コミットメントが必要です。その違いは何でしょうか?

コミットメントが自分のビジョンを持つ、あるいは与えられたビジョンでも自分で意味づけして自分のビジョンにするのに対し、コンプライアンスはビジョンを受け入れますが、それを自分のビジョンにしません。これが改革推進力の大きな違いです。そうであれば、どのようにコンプライアンスからコミットメントのレベルにビジョンを引き上げることができるでしょうか?

まずビジョンには二種類、つまり肯定的(ポジティブ)ビジョンと否定的(ネガティブ)ビジョンがあることを踏まなければなりません。「何を望むのか」が前者であるのに対し、「何を避けたいのか」が後者です。もっと言うと、大志から来たビジョンか、恐怖から来たビジョンかということでしょう。

組織は、その両方のビジョンを持ちえます。そして、危機的状況に直面し、変革の必要性を感じるときは、概して現状回避のモチベーションを持ち否定的ビジョンから始まりがちです。そして、その恐怖から少しでも逃れようとして、先に述べたコンプライアンスが生じるわけです。端的にいえば、仕事を失わないため、評価をよくするため、苦労して仕事しなくてもよいために・・・と考えるわけです。

時に、この否定的ビジョンは短期的には瞬発力となることがあります。しかし、そのビジョンを達成して現状を回避しても、ひとたび恐怖が去れば、組織の変革エネルギーが失われてしまいます。一方、コミットメントは、絶えざる学習と成長をもたらし、変革し続ける力を生み出します。

表面的に協力の精神がみなぎっているので参画意識が高いと思い込んでしまうのではなく、どうすれば、個々のビジョンにできるのかを考え、参画意識を超えて、当事者意識を持てるよう、肯定的ビジョンを明確にし、何のために、何を、どのように行うかを、コンプライアンスを示す人々と真剣に向き合って考えることが必要でしょう。

クロノスとカイロス~時に関する2つの見方

先日、移動中に久しぶりに機内誌を読んでみた。古代ギリシャ人の時間を表す2つの言葉が説明されていた。それが、クロノスとカイロス。前者は連続して起こる正確な瞬間のことを表し、後者はある出来事が不定期に起こる時間を表している。古代ギリシャ文化は、常にカイロスの功徳と力を讃えていた。物事を決定するにあたって慎重さと瞬発力を備えた者だけが、カイロスの恩恵を被ることができる。なかなか2回目のチャンスは与えられないのだ・・・。と続く。

確かに、時計の役割を果たすという意味では、クロノスは重要。でも、物事は、時計的な管理だけでは、変化に適切に対応できない。日本語でも千載一遇のチャンスという言い方があるが、連続して起こる営みの中で、ある出来事が生じたとき、それを一つのチャンスとしてとらえるかどうかは大きな違いを生む。ただやり過ごせばよい、その後は再びあの日常が戻ってくる、と考えて変化をパススルーするのか、あるいは、せっかく生じた変化だから、ワンチャンスとして生かす方法はないかと考えるか、その意識の違いを2つのギリシャ語に感じる。

時に関して主体的に取り組む姿勢を大切にしたい。

自己強化型フィードバック

組織(会社)が個人に対して働きがいを与えるには、次の3つの条件が必要であるとドラッカーは述べています。

生産的な仕事
フィードバック情報
③継続学習

とりわけ、軽視されがちなのが②だと感じます。マネージャは往々にして、自分自身の期待が部下の成果に与える影響の大きさを的確に評価できない場合が多いのです。こんなことはないでしょうか?

ある部下が高い潜在能力を持っていると感じ、その能力を引き出すように支援する。その結果、その人は開花して、マネージャ自身の最初の見立てが正しかったと判断する。逆に、潜在能力が低いと感じた部下に対して、あまり関心を払わない結果、その部下は無気力さを示したり気乗りしない振る舞いをして、マネージャ自身の最初の見立てはやはり正しかったと、自分を納得させる。

こういう現象を、心理学的に「ピグマリオン効果」と読んでいます。ギリシャ神話に登場するピウグマリオンは、自分の彫った彫刻像の美しさを強く信じたために、その彫刻に生命が与えられたという話からきているようです。

ピウグマリオン効果は学校で先生が生徒に対して示す態度でも表れます。様々な人間関係において、いわゆる「レッテルばり」によっても生じ得ます。システム思考においては、このピグマリオン効果、つまり、自己の持つイメージが高ければ結果も高い方に”誘導”され、逆に低ければ低い方に”誘導”されるこの現象を、「自己強化型プロセス」と呼んでいます。

組織におけるマネジメント、とりわけフィードバックがどれほど重要かを物語るものです。人材育成においても、”成長すると信じる”こと、期待を表明することの価値を認識していきたいものです。

 

組織の中で仕事をするということ

とある会議室に通された時のこと。そこには、ホワイトボード一面に次のような言葉が所狭しと並んでしました。

  • 正解(正しい答え)はありません。あるのは<選択>と一歩を踏み出す<勇気>だけです。
  • レフトやライトを<守って>いるのではありません。わたしたちは<野球>をしているのです。勝つために。
  • <楽な>姿勢が<正しい>姿勢とは言えません。
  • <正確>に書いても<正確>に説明しても、<正しく>伝わるとは限りません。
  • ルールは手段として<守らなければ>なりませんが、ルールを<守っていて>はいけません。
  • ムラ言葉を<使って>いませんか?自分たちではムラ言葉を<定義>して、どんどん使いましょう!

なかなか考えさせられる言葉ばかり。組織の中で決められたことを守ることに必死になり、忙しい忙しいと言って、仕事をした気になる、一方で、その仕事は何のために誰に対してしているのかということが置き去りになり、新しいことへの挑戦や相手の立場に立った改善ができない、そういうことを戒めているのだと思います。

組織の中で仕事をしていると、つい当事者意識が薄れてしまい、みんなで足を引っ張るか、逆に、一人で割り切って一匹狼や個人商店になるという、組織化の課題を見ることが多々あります。意識を変える第一歩として、会議のたびに上のような言葉が目に入ってくれば、否が応でも考えてしまいますね。

先日の日経新聞の記事にこんな一文が。

早く行きたければ1人で行け、遠くに行きたければみんなで行け・・・

アフリカのことわざだそうです。全くその通りだと。みんなで遠くに行きたいですね・・・。

物語の力

数字やデータの羅列ではいくら上手にプレゼンしても、なかなか人を行動へと動かすことができない。これは企業組織における戦略の浸透と関わる大きな課題です。その理由は、一言で言うと、人は合理性だけでは動かないからです。

デンソーは世界30カ国、10万人に価値観を共有するための方法を探りました。様々な文化の中に価値観を共有する上で成功した事例としてキリスト教の宣教師たちに注目したのです。キリストの苦難に満ちた生涯の物語から、自己犠牲に伴う他者への貢献を通じて幸福を希求するという理念が浸透したのです。日本でも、たとえば、二宮尊徳の物語から勤勉さを、忠臣蔵やハチ公の物語から忠誠という理念を伝えています。「物語」(ストーリー)の持つ力に注目したわけです。

ハリウッドの脚本家であるロバート・マッキー氏は、物語を「いかに、そしてなぜ、人生が変わるかを表現するもの」と定義しています。そして、古今東西すぐれた物語には4つの型があるとしています。

(1)バランスのとれている状況
(2)事件の発生(バランスの乱れ)
(3)バランス回復のための葛藤と努力
(4)真実の発見

言われてみれば、わたしたちの仕事や人生に影響を及ぼしている感動的なストーリーにはこのような型が当てはまります。試しに、自分の印象に残った仕事を取り上げ、このパターンにそって物語を語ってみてください。相手のうなづく姿が見えます。

戦略を浸透させるために、単なるキーワードや美辞麗句を並べ、それを裏付ける分析的情報を伝えても、人は動きません。なぜなら、そこに感動、つまり情動性がないからです。その背景や至った経緯をストーリーとして語ってみましょう。合理性と情動性を併せ持つ伝え方をするわけです。

たとえば、「組織的行動」を目指して・・・とあれば、その言葉をそのまま伝言ゲームで伝えるのではなく、なぜ今「組織的行動」なのかをストーリー展開するわけです。その上で、その言葉を”現場の言葉”に翻訳します。他人事のように思われた標語レベルのことが、自分で取り組むべきものとして捉えられるようになります。理念や戦略のように伝わるものは、それと自分自身とのつながりを自分で見いだすことが必要です。物語はその点で人間の造りに訴えていると言えるでしょう。

「感じるマネジメント」リクルート HCソリューションズ より

チーム学習に必要なことは”全体を見ること”

たこつぼ型、井の中の蛙、個人商店化・・・組織における属人化の問題は、より良い方向への変化を妨げることがあります。そこで、多くの企業では、必ずと言っていいほど、組織としての取り組みを目標に掲げます。ところが、目標に掲げて、体制を変更するものの、人に仕事がくっついていくだけで、名前が変わっても実態が変わらないなどの状況をよく見ます。仕事を互いに補完し合うだけでなく、クロスで学び合い、相乗効果を期待するのですが、なかなかチームとしての学習に至らず、結局は現業優先で、”組織化”が実現しません。では、どのようにチーム学習を促進できるでしょうか?

チーム学習は、互いに話し合うことから始まります。話し合いといえば、ディスカッション(discussion)ですが、この語源は、打撃(Percussion)や衝撃Concussion)から来ていて、文字通りには、勝者がすべてを得る競争の中で考えを互いにぶつけ合うことです*。しかし、ここで考えたいのは、個人では得ることのできないような洞察をグループとして発見するような自由な話し合いです。この種の話し合いのことをダイアログ(dialogue)といいます。ギリシャ人にとってダイアログ(ディアロゴス:dia-logos)とは、logosつまり言葉が、diaつまり互いに自由に流れることを意味します。興味深いことに、ダイアログという習慣は、アメリカン・インディアンや古代ユダヤ人の文化の家族や族長制度の中で守られてきましたが、現代社会では失われつつあると言われています。

では、そのようなダイアログはどのように生み出せるのでしょうか?小さなグループ内のダイアログだけでは、それを超えた組織の力になりません。そこで、部署間を横断して、大きなテーマで”話し合う”ようにします。たとえば、技術、生産、販売などのセクションごとに今困っていることや課題を洗い出します。その中には、自部門と他部門の接点で生じている課題があるものです。それらの因果関係を大きなサイクルとしてつなげてみます。これはシステム思考の考え方です。

たとえば、生産部門は、受注見込みがないのに生産計画を立てなければなりませんので堅めに見積もります。一方で、販売部門は欠品や納期遅れが怖いので余裕を見て受注引き当てをしようとします。こうなってしまうと、互いの都合が悪循環になってしまいます。このような課題に対してまずは双方が互いにどのような課題を感じているのか、書き出してもらい、たとえば以下のような表にまとめてみます。

技術部門 生産部門 販売部門
技術部門 N/A
生産部門 N/A
販売部門 N/A

表に基づいてディスカッションではなくダイアログ、つまり、互いを打ち負かして責めるのではなく新たな洞察を得るために自由に意見を述べるようにします。各部の言い分がどのように相互に関連しあっているのかを話し合い、問題の循環図を描きます。これを循環思考といいます。問題の原因分析では、ロジックツリーで直線的に深掘りすることがありますが、多くの場合、原因は複数の問題を生んでおり、一意に因果関係を持ちませんから、循環図で描く方がより現実をとらえやすくなります。

ダイアログを重ねていくうちに、受注見込みはどれくらいの確度でいつくらいに判るのかなどの現場感覚的な情報が飛び交うようになります。代理店を通しているので、そこでの販売予測がどうしても甘くなるなどの実情もわかってきます。生産を絞られるのが怖いうちは、販売は決してそういった現場情報を出さず、かえって隠そうとするものです。互いの”手の内”とその問題が見えるようになるからこそ、その問題を組織でどのように克服できるか、前向きに考えることができるようになります。ここまでくれば、悪循環のループを断ち切り、それをよい循環にさせる方法について、今まで眠っていた現場情報が飛び交うようになるものです。

チーム学習のポイントはダイアログですが、ダイアログのポイントは、互いが見えること、つまり全体が見えることです。興味深いことに、英語のWhole(全体)とHealth(健康)は語源が同じだそうです(古典英語でhal=元気の良いという意味)*。したがって、今日、わたしたちの世界の不健全性が、わたしたちが世界を全体としてとらえることができないことに正比例していることは、驚くに当りません。企業の組織という”世界”も同じです。互いに学び合い、組織力を発揮するためには、全体が見える”健康”をまずは考えてみなければなりません。

*「学習する組織」ピーター・M・センゲ より

わからないのか わかりたくないのか

先日、変わらなければいけないというコンセンサスは掛け声としては共有しているものの、なかなか変われないということを悩んでいて、みんなの意識を変革するような講演をしてほしいとの依頼を受けたので、さっそくお話をしてきました。

みなさん、とても熱心にお話を聞いてくださいました。話の中には、陥りがちな思考パターンの例をひとつずつ取り上げて、よくよく考えてみるとそれが如何に不合理かを考えていただくようにしました。特に力を入れたのは、「どのように」思考の束縛から、「なぜ」思考への解放です。

一般に、人は仕事が与えられると、どのようにすればうまくいくかを考えます。それはとても良いことです。たとえば、どうすればもっと早くできるのか、どのように質を向上させることができるか などなど。そのうち、その仕事に熟達すればするほど、いわゆるその「道」なるものができます。それを形式化したのがプログラムやマニュアル。

でも、道を究めれば極めるほど、どうしても、考えなければならないポイントがやってくる。それは、そもそも「なぜ」その仕事をやっているのかという考えです。でも、たいていの場合、決まって抜け落ちているのがこのポイントでもあります。

変わろうとするとき、「どのように」思考の範囲内で考えてしまいます。簡単に言うと、その方が楽だからです。でも、そこで頑張っても、せいぜい”新しい技”を一つ加える程度で、なかなか、「変わる」というレベルの変化が起きません。本当は、「なぜ」それをやっているのかまで考えて、根っこから考える必要があるのに、なかなかそうできないのです。

話の中で、「鎖につながれた象」の寓話をお話ししました。サーカスにいる象は、その大きさや力の割には、小さな鎖でつながれていますが、鎖を断ち切って逃げることくらい簡単なのに、そうしようとしません。なぜでしょうか?象は小さいころから鎖につながれていました。その子どもの象は、必死でもがいて逃げ出そうとするが、鎖は断ち切れなかったのです。子どもの象はやがて自分の無力さを認め、おとなしくなります。この経験学習により、大人になったサーカスの象は小さな鎖から逃げ出すことはできないのです。

これは固定観念の持つ束縛の影響を物語るたとえです。わたしたちにつながれている小さな鎖とは何でしょうか・・・という具合です。その鎖とは、現状の範囲での「どのように」を考えるという鎖です。これをオペレーション思考といいます。小さな鎖を断ち切って、現状の枠を超えて変化を起こすことをイノベーション思考といいます。このためには、「なぜ」思考へと自分を解放する必要があります。

講演ののち、大半の方には好意をもって受け止めていただいたように感じました。でも、最後まで残っておられたひとりの方が近づいてこられました。講演中も少し気になっていた方です。

「今日の話はあっという間でした。いつも森川さんの話はわかりやすいんですけど、実は今日は正直言ってよくわかりませんでした。なんだかもやもやしています・・・」とのこと。

そのとき、思いました。「わからない」のではなくて、「わかりたくない」のでは?ここにも、つながれた小さな鎖があるな~と・・・。人は、こうやって言葉を変えて、自分を鎖につなぐんだな~と。

さて、変革はこれからですね。がんばります。

今育成担当者に求められる視点

中国の故事に「三樹の教え」というものがあるそうです。「一年之計、莫如樹穀、十年之計、莫如樹木、終身之計、莫如樹人。」

If you plan for a year, sow seeds. If you plan for ten years, plant trees. If you plan for a hundred years, educate people.

1年で何かを収穫しようと思えば穀物を植え、10年なら木を植え、100年なら人を植える、という意味でしょう。この言葉には2つの側面があるように思います。1つは安定した組織の基盤で大切なのは人であるということ、一方で、人の育成は長期的な視点が必要であるということです。この意味で、会社における育成担当者は重責を担っていると言えます。とは言え、彼らも会社の業績管理の下に置かれており、「100年先には実を結びます」というわけにはいきません。

育成担当者に求められることは、一言でいうと「信念」だと思います。「人は必ず成長できる」という固い信念がなければ、人を育てることなどできません。その信念は作物を成長させる農夫と同じです。出ている芽を無理矢理引っ張っても成長できません。環境変化に左右されてあれやこれやと矢継ぎ早に何かをしても成長には結びつきません。育成者ができることは、その芽が成長できる環境を整えることであるということを謙虚に認めつつ、できることを愛情を込めて行い通すことだと思うのです。

その意味で、会社からあれをやれと言われたから教育する、業界で流行っているからうちもやる、社員がやりたいと言うからこれをやる、という具合に信念なき教育にならないように、<正しいマーケティング>が求められていると思います。会社や業界や個人が求めることそのものは間違ってはいないと思います。でも、<正しいマーケティング>を行わずして、場当たり的に対応することでは、どうしても短期視点で近視眼的になり、成長のための環境を整えているとは言えなくなります。では、<正しいマーケティング>とはいったい何でしょうか?

一般にマーケティングとは、環境を分析しニーズを把握することです。似て非なる言葉はセリングつまり売ることです。セリングの場合、売り物が決まっていて如何に売るかを考えることですが、人材育成も決まっているやるべきことに対応するだけではそうなりかねません。一方、マーケティングの場合、環境を分析し、真に必要とされている物を見極め、売れる仕組みを考えることが関係します。

マーケティングにおけるオーソドックスな環境分析の手法では、外部環境と内部環境に分け、さらに外部環境を2つの視点に分けます。その1つは外部マクロ環境です。たとえば、PEST(政治・経済・社会・技術)の観点で分析します。IT企業における育成で考えてみましょう。政策上、IT技術者をさらに増やすとか海外とのスキル相互認証を行うというのであれば、否応なくある程度はそれに対応しなければなりません。経済指標が伸長し、景気拡大が見込まれるなら受注規模の拡大に備えた体制作りが必要でしょう。新卒者の年次的傾向や外国人を含めたダイバーシティなどの社会的な変化にも対応する必要があります。将来のスマートシティを見据えたビッグデータの活用やそれができるデータサイエンティストの育成が不可欠など、技術的な観点で考えるべき要素が浮かびます。

これらの点に共通しているのは、<対応>しなければならないという点です。外部マクロ環境に対しては、1社や個人の力ではどうにもならない(つまりコントロールできない)のですから、否応なく<対応>するしかありません。人材育成における外部マクロ環境を分析すると、この種のことはたくさんあると思いますので、対応に追われるというよりも先行して対応しておく、もっと言うと、これから述べる環境分析に対応を整合させていく視点が必要でしょう。そのためにも、育成担当者には、外部マクロ環境を見る広いアンテナが必要です。

もう一つは、外部ミクロ分析です。これは、市場において特に顧客や競合相手の動きを把握することです。自社にとっての顧客ひいてはエンドユーザーは、何を必要としているでしょうか?その置かれた状況を客観的に捉えたり、忌憚のない情報交換の場を持ったりしているでしょうか?また、競合相手は、今何に取り組んでいますか?どんな戦略をとっていますか?同じ土俵に乗って競うには、業界のプレイヤーとしてどんな”入場条件”を満たす必要があるでしょうか?特に育成担当者にとって、競合相手の戦略のひもとき、すなわち全社戦略から事業戦略、そして育成戦略へとどのような文脈でブレークダウンしているのかを把握することが必要です。そうでないと、競合相手の単なる変化対応に追われてしまうからです。そのためにも、同業他社との連携の場を持つことは大切なことでしょう。もちろん、業界におけるブルーオーシャンを目指して新たな海原に出るための育成戦略はとても大切ですが、どこで差別化を行うのかを見分けるには、いずれにしても連携の場は必要です。

最後に、内部環境分析です。実はこれが最も難しい。客観的になる必要があり、強みを明確にする必要があるからです。育成担当者にとって自社や個人の弱みを挙げることは難しくないと思います。もちろん、弱みの補完は大切ですが、それに終始していると勝てません。なぜなら、ドラッカーもこう言っています。「人は弱い。悲しいほどに弱い。人は弱みを克服するために雇われるのではない。強みのゆえに雇われる。組織の目的は、人の強みを生産に結び付け、組織として人の弱みを中和することである」。ファストリの柳内さんもこう言っています。「強みをより強くしていかないと最終的には勝てない」。

人を育てると言うとき、どうしても弱みをなんとか克服できるよう助ける方向に考えがちです。でも、内部環境分析において育成担当者が意識して持つべき視点は、組織として個人としてどんな強みを持っているのか、強みを活かして(さらに強化して)どのように弱みを組織で克服するかということです。たとえば、グローバル戦略を育成戦略にブレークダウンするにあたり、「海外市場の経験がないし、そもそもグローバルな人材がいないから、グローバル入門研修をしよう」とすぐに考えるのではなく、「技術力と粘り強さという点では難関を乗り越えた経験がある。これを海外で活かすには何が必要だろうか」と考えるということです。

このグローバルというキーワードに限って言うと、実は求められているのは、単なる外国語力や異文化対応力ではありません。ビジネスパーソンとして、”置かれた環境下において一人でやりきる力”です。でも、これがあれば、ドメスティックな(国内の)仕事を行うにしても、全く違ってくるはずです。育成担当者にとって、グルーバル<対応>ではなく、真にグローバル育成戦略を考えるとすれば、この<普遍性>に着目し、何をどのように学ばせるかについて考え、成長の環境を整えることが求められるわけです。

内部環境分析を行うにあたり、役立つもう一つの観点は問題の3タイプを意識することです。問題はあるべき姿と現状のギャップです。ただし、このあるべき姿をどこに置くかで異なってきます。1つは発見型問題です。これは、あるべき現状に対して何かの障害が生じた場合に現状復帰を目指すという観点ですから、この種の問題は誰に目にも明らかで顕在化しています。人材育成では、メンバーの欠員や特定のスキルの不足が明確になっている場合でしょう。もう1つは、設定型問題です。これは、あるべき姿のハードルを今より上げることによって新たに問題として浮かび上がる類のものです。たとえば、これまでは主に金融や公共系の業務システムに取り組んできたが、これからは流通や製造の業務システムもカバーするなどのようにハードルを設定することで、新たな問題として捉え、課題に取り組むなどの場合です。そして最後の1つは、将来型問題です。このまま行くと将来のいずれかの時点で問題になるという類のものです。たとえば、パートナーに出していた製造工程をいずれは引き取り、技術の空洞化を補てんするだけではなく、スピーディーな技術対応力をインソースで持つようにすると考えた時の問題は?などのように考えます。時間軸をシフトして設定型問題を考えるわけです。

今回は、育成担当者に求められる視点を、マーケティングという観点から考えてみました。 人材育成という観点で、社内マーケティング、業界マーケティング、市場マーケティングを行い、 成長のための環境づくりを、信念を持って行い続けることが求められていると言えるでしょう。

ダイアログ(dialogue)という話し合い

ラーニング・オーガニゼーション(学習する組織)の研究が進むにつれ,企業の活動においても”ダイアログ”という取り組みが注目され始めています。企業環境の複雑化とスピード化に伴い,誰かが答えを持っていたり,過去に経験したりした事例がないばかりか,一部の人々で”ディスカッション”して最適な解を見つけて事に当たっても,解決に至るまでにふたたび環境変化が生じ,組織が動き出す頃には最適でなくなっているのです。トップダウンでスピーディにやろうと思っても,視野が広がらず堂々巡りということやアイデア枯渇と感じることがあります。

互いの意見の対立から始まって,それを刷り合わせ,そして落としどころ(多くの場合はトップの一言)という,典型的な”ディスカッション” ではなく,もっとオープンに関係者が立場を超えて想いを理解し合い,ストーリー(文脈,コンテクスト)を共有し,関係性やプロセスを重視する話し合いを目指すのが,ダイアログです。

ディスカッションは,打撃や打楽器を意味するパーカッション (Percussion)や衝撃や振動を意味するコンカッション(Concussion)から来ていま す。互いの意見の違いを明確にし,部分に切り出して,1つの解答を目指して説得し妥協するという機械的運動をイメージさせます。

一方,ギリシャ人にとって”ディアロゴス(Dia-logos)は,「個人では得ることのできない洞察をグループとして発見することを可能にするような,グループ全体に自由に広がる意味の流れ」*を意味しました。簡単に言うと,「共に考える」ということです。この習慣は,アメリカン・インディアンの文化などで原始的に守られてきたようです。

”直線的戦略 の実行”ではなく,”有機的ビジョンの共有”に創造的価値を見出し,ダイアログを話し合いのスタイルとして取り入れることで,学習する組織の浸透を目指すことができます。現在,この考え方は,システム思考やストーリー・テリングなどが問題解決手法やコミュニケーション手法として注目されています。ただし,日本企業においてこれらを浸透させるためには,次の2つのトレーニングが必要であるように感じます。


1)プリンシプル(原則)思考・・・原則に基づいて具体的な事象に対する対応を判断すること,あるいは具体的な体験から普遍的な原則を導き出し,それを別の事象に適用すること

2)イラストレーション(たとえ)思考・・・ものごとを抽象的に捉え,その本質を別の物事でシンプルに表現すること,第三者の立場からわかりやすく事例を説明すること


いずれに共通するのは,部分から全体へ,全体から部分へ,具体から抽象へ,抽象から具体へという思考の変位です。このトレーニング方法に関しては別の機会に考えたいと思います。

* 「学習する組織」(2011) ピーター・M・センゲ

前向きワード

電子メールは、とかく温かみがない、表現がきつくなりがちだと言われ、大げさに言うと職場の人間関係を荒廃させる一因としてやり玉に挙げられるそうです。メールの本文をテキストマイニングし分析したところ、できる人は、ポジティブな表現、たとえば、有意義だ、スムーズだ、なんとかできるなどの「前向き」ワードを使う傾向があるとの研究があります。一方で、そうでない人は、厳しい、難しい、大変だ、面倒などのネガティブ表現が多用されるとか。*

このことは、マインドと大きく関係があると思います。仕事そのものややり方を変えようとするとき、新しいことに取り組むとき、「できないこと」から発想するタイプと、「できること」から発想するタイプでは、全く事の進展が違ってきます。最初にすべて閉じられたドアを徐々に開けていくか、それとも最初にすべて開かれたドアを徐々に閉めていくか、どちらのアプローチで仕事を進めているだろうかということです。

変化に前向きな「ことば」は、その心(マインド)から出てくるわけですから、そのプロジェクトのときだけ、前向きになってもダメで、その人柄が前向きでなければならないでしょう。同じことは、人に感謝を伝えることばも同じでしょう。先の研究では、前向きな人、感謝を伝える人は、そういう人を中核に、コミュニケーションの基幹ルートが形成されるとのことです。前向きな姿勢は人を引き付けるというわけですね。超プラス思考!と言われるくらいがいいのかも。

つい無意識に発する言葉が、ポジティブかネガティブか。気が付かないうちに、チェンジモンスターになっているかもしれません。少し意識して仕事をしましょう!

* 日経情報ストラテジー2011/5