戦略におけるゴールと主体的な意思

ある登山家がピレネー山脈を登山中に雪崩に遭遇し遭難。隊員たちは一時的に意識を失う。意識が戻ったときにはすべての装備が失われたことに気づき、ポケットに残っているものと言えば、わずかのチョコレートと食料。最悪なのはコンパスがなくなったことだった。これでは山を降りることなど到底できないというあきらめの気持ちが漂った。

ところが、ある隊員のポケットから1枚の地図が出てきた。これを見ているうちにだんだんと元気が出てくる。尾根がこういう風に走っていて、周囲の地形がこうなっていて、どうやら我々はこの辺にいるのではないかと・・・。今、太陽がこの辺に出ていると言うことは、東はこっち・・・。地図の上に下山のルートの印をつける作業が始まった。つまり、ストーリーを組み立て「下山戦略」を皆で共有したわけです。

下山の過程には想定しなかった幾多の困難がありましたが、印をつけたルートを皆で信じて、それを頼りに困難をひとつまたひとつと乗り越え、奇跡的に下山をすることができた。ゴール達成というわけです。

この話から学びたい点は、実はこの後のオチです。雪崩の状況は山麓にも届いており、麓の人々は救援隊を組織していました。しかし、上空から探しても手がかりは見つからず、生還は絶望的という半ばあきらめの状況に、登山隊が生きて自力で戻ってきたのですから、驚いたはずです。「あの状況で、いったいどうやって戻ってこれたんですか?」という質問に、登山隊のリーダーは、一枚の地図を取り出し、「この地図のおかげで助かりました」と見せる。それを見た救援隊は、笑ってこう言いました。「こんなときによくそんな冗談を言う余裕がありますね。これはアルプスの地図じゃないですか」。隊員たちが良く見ると、確かに、それはピレネーではなくアルプスの地図だったのです。*

この話の一番重要なポイントは、皆でゴールを共有したことだけではなく、戦略というのは、きわめて主体的な意思を問うものだということです。われわれはこの道筋を進んで行こうという明確な意思、これが戦略を成功させる本質的な部分だということです。もちろん、たとえ間違っていてもどんな戦略でも良いと言っているのではなく、戦略の筋の良さも必要ですが、主体的な意思=当事者性の重要性がよく学べます。

この種のことは、我々の人生においても生じることではないでしょうか?当初設定したゴールと道筋は必ずしも到達可能で完璧なものではなかったにしても、筋が良ければ、そして当事者としてそれに取り組めば(自分の人生ですから)、その道を歩んでいる過程が統御され、思考が束ねられ、迷いを打ち払い、エネルギーが終結し、結局は目指さなければ決して到達し得なかったものに到達できるという経験をするものです。

企業における戦略立案と実行においても同じです。主体的な意思の価値を織り込んだ命ある戦略が求められるということです。

* 「ストーリーとしての競争戦略」 楠木 健 (東洋経済2010)

ワークプレイス・ラーニングで活気ある職場を

産労総合研究所の「企業と人材」の8月号にWPL(ワークプレイス・ラーニング)の特集記事を掲載しました。

表紙⇒http://www.insightcnslt.com/document/insightcnslt_WPL_cover.pdf
記事⇒http://www.insightcnslt.com/document/insightcnslt_WPL_article.pdf

10月30日東京大学安田講堂でWPL2009が開催されました。カルチャ・コンビニエンス・クラブ、アサヒビール、バンダイ3社のケーススタディをベースにWPLのあり方をディスカッションしました。今年のテーマは、個と組織の成長関係でした。WPLのコンセプトは、用語レベルで随分浸透してきていると感じます。一方で、現場レベルでは、実際にどんな施策を打つことができるか、体系的なWPL”手法”については手探り状態という声が多く聞かれました。上記の記事が一助になれば幸いです。

対話による組織変革

組織文化が変われば究極の組織変革が実現したことになります。では、文化が変わるとはどういうことでしょうか?

心理学者のカール・ワイクは、「文化を共にすることは、共通経験に関する物語を語ること」と言っています。組織のメンバー一人ひとりが、組織の中で体験したこと、見聞きしたことを主体的に語り、意味づけていかない限り、組織文化は醸成されないし、共有されることもない。

「対話する組織」*1)の中で、著者は組織における物語(ストーリー)の果たす役割を説明しています。

情報は有形で移動させることで伝わると考えるのが導管メタファー。導管の中を情報が移動するイメージです。でもそれで本当に相手に伝わったと言えるのか。わたしたちの感覚では、伝わったかどうかの判定は、伝えられた側が共感し、変化し、主体性をもって行動することにより測られるのではないか。ではそのために必要な組織のコミュニケーションとは何か?それが、ダイアローグです。

ブルーナーによれば、人間の認知作用には2つある。1つは論理実証モードであり、事実を分析し一般化して理解する。もう1つは、ストーリーモードともいうべきもので、意味を紡ぎ特殊化して理解する。人間には物語文法というものがあり、人は物事を分析的に理解するだけでなく、物語(ストーリー)で把握するようにできているようです。ですから、共感し、主体的に変化するという協調行動には、事実の共有(客観主義)ではなく、意味付けの共有(主観主義)が必要であり、共有すべきことはその結果ではなくプロセスが重要ということになります。

ダイアローグ(対話)はまさに意味付けのプロセスを共有するものです。議論や雑談との相違は次のように考えることができます。対話では、緊急なことよりも重要なこと、つまり本質的なことを真剣な中身とし、自由な場で実現することが望ましい。

<中身=真剣>×<場=緊張>=議論
<中身=戯れ>×<場=自由>=雑談
<中身=真剣>×<場=自由>=対話

このような対話により、今の組織が抱える3つの課題に取り組む文化が生まれます。
1. 協調的問題解決・・・問いと答えが一義的に決まっていない不良定義問題こそビジネスであり、議論で解決策を決めることよりも、対話で問題を意味づけることが重要(問題解決症候群からの脱皮)
2. 実践的知恵の共有・・・現場で共有すべき知とは、宣言的事実(~とは~である)ではなく、手続的やり方(~なら~する)の方であり、それは個人ではなくヒューマンネットワークにある。
3. 組織変革・・・学習とは伝達ではなく変容、つまり主体的に変わっていくことである。組織変革の見えない力は、明文化された戦略やステートメントではなく、個々人の学びと成長の積み重ねの果てにある。

文化が変わるとは、事実への意味付けが変わることであり、その触媒となるのが物語(ストーリー)であり、物語を語るコミュニケーション様式、すなわち「対話」こそが組織変革の原動力になるとまとめられるでしょう。

さて、この「対話」を前向きに駆動させるさらなる原動力とは何か?単に経験談を共有するだけでは、単なる体験の繰り返しに過ぎません。振り返り、つまり内省(Reflection)がない体験の繰り返しは「這い回る経験主義」と言われるそうです。それに対し、ヘレン・ケラーは、Unlearn(学びほぐし)の必要を感じていました。経験し学んだことを自分の中で解きほぐす行為が必要だということでしょう。そのためには、自らが経験したことから原則を抽出する力(表出化)、一般化された原則を自分の状況に適用する力(内面化)の両方が必要でしょう。

ある出版社の編集者に教えていただきましたが、最近売れる本の特徴は、コツコツ君型の本だそうです。その「コツ」を教えて欲しいという読者層に受けなければならない。同じような傾向を私自身も強く感じることがあります。たとえば、物事をたとえ(メタファー)で考え、そこから原則を導いて、自分の仕事に適用するという思考が通じない!理解を促進するために良かれと思ってやったことが、全く理解されない。それよりも、要点のまとめをリストにして欲しいなどと言われる。

対話の原動力としての、原則の抽出と適用の力、大切にしていきたいと感じます。日常の生活の中でも、意識して取り組めます。たとえば、映画やドラマを見た後、学んだことを一言で話してみる。本を読んだら、手帳に学んだことを簡潔に書きとめておく。日記をつけるときは、事実ではなく感じたことや考えたことを書く。人と会って話した後は、自分が賢くなったことを書き留めておく。ニュースを見聞きしたら、自分なりに意味付けをする。などなど。できることはたくさんあります。こうやって書くのも役立っているはずと信じて・・・。

*1)「ダイアローグ 対話する組織」(中原淳・長岡健著、ダイヤモンド社2009)

知的創造の場(WPLの仕掛け)

職場を知的創造の場にしたい。

東工大の妹尾先生による知的創造論の解説によれば、「創造的な個人はいない」ということが帰結だそうです。ということは、知的創造(Creativity)とは、個人の属性ではなく、関係の属性であると捉える必要があります。だから、知的創造の場を作るには、個人間の相互作用が生まれる場を作るということ。人の創造とは、ゼロから生み出すのではなく、個人の暗黙知→形式知化されて交換→個人の暗黙知というプロセスであるというのが、野中先生のSECIモデルの意味するところです。

さて、職場においてこの理論を適用するには、これまで2つのアプローチが取られていました。一つは、風土という場の視点で知的創造をどのように促すか、もう一つは、物理的な場という視点で知的創造をどのように促すかです。

前者の風土に関しては、企業教育によるところが大きいでしょう。18世紀の一斉授業スタイルは今日においても継承され、企業教育と言っても教室に詰め込んで先生が教える研修スタイルの域を出ていません。これでは、いくら知的創造と言っても、仕事は教えてもらうものということになります。そこで、職場での学びを促進するWPL(Work Place Learning)が注目を集めるようになってきました。これは、上司のできることを部下に教える(すなわちCopy)と言う意味でのOJTではなく、上司の知らないことを部下と一緒に考えて学ぶという取り組みです。

後者の物理的な面に関して考えると、欧米企業では個室やパーティションで区切られた個室や大きなテーブルの周りに荘厳な椅子を配置する距離のある会議室、日本企業では会社の組織図をそのままデスクの配置図にしたようなオフィス空間での仕事が当たり前で、ようやく最近、コスト削減の視点からフリーアドレス制などの取組みが見られるようになりました。

一方、仕事におけるパラダイムは、2つに大別されます。1つは「情報処理パラダイム」で、大きな仕事はできるだけ互いに独立する単位に分けて分業し階層化を高めて効率を図るという世界。この世界では、やるべきことがはっきりしていて競争は量的効率性で決まるため、他の人に相談しなくても個人で仕事を進められる体制作りが鍵となります。もう1つは「知識創造パラダイム」で、だれも経験したことのない答えが分からない仕事をできるだけ相互に情報を交換することで生み出し学びながら作っていくという世界。この世界では、競争は質的高度性で決まるため、できるだけインタラクティブな関係を作り出すことが鍵となるわけです。

このように考えると、企業教育が情報処理パラダイム(=集合研修型)+職場環境が知識創造パラダイム(=フリーアドレス型)でも、企業教育が知識創造パラダイム(=WPL型)+職場環境が情報処理パラダイム(=独立固定席型)でもダメで、その両方が知識創造パラダイムに基づいて設計されなければならないということになります。したがって、企業教育におけるWPLの推進の仕掛けとしてのフリーアドレス職場空間の設計があるべきということになります。

東大Learning Bar(2009年1月30日)で日本コムシスの潮田さんの話を聴きました。クリエイティブオフィスと題して、単なる環境改善ではなくワークスタイル改善を図る取り組みです。大変興味深かったのは、フリーアドレス制が単なるコスト削減やペーパレスの施策ではなく、明確なゴールを自主性(WILL)を引き出すことに設定されたことです。席がフリーということは、毎朝自ら席を選ぶ。選ぶためには考える。その時に人を意識する。誰と座れば賢くなれるか、つまり創造プロセスを実現できるか、だんだん前もって考え計画するようになる。そのうち、明日はどうするかを自主的に考える。人を意識するために、イントラネットで個人を紹介し、参照できるようにする。そうすると、隣人になり、隣人を選ぶきっかけを作ることになる。そのうち、情報検索は人によってインデックスされる。そうすると、人と人の間に相互作用が生じる。知的創造は、ジャムである。すなわち、即興。即興はわざわざ会議室に移すとダメになる。だから、その場で即興しやすい空間を設計する。暗黙知と形式知が飛び交い知の即興の場となるオフィス。よく観察すると、テーブルに4席を設けても、即興はテーブルのコーナー部分で三人組によって生じる。そうであれば、それが実現しやすい空間を作る。袖机を撤廃。テーブルと椅子は可動式。・・・

という話でした。妹尾先生は、この三人組現象を組織論的に展開しようとしておられるようです。三人目の役割として、メタ認知=当事者でなければ意味づけがしやすい、政治回避=損得の綱引きが消える、観客効果=セミパブリックな空間による客観性があるそうですが、知的創造のためには、企業教育の推進にしても職場空間の設計にしても、3という数字が鍵となるのかもしれません。

今後WPLの実装において、職場環境の設計という視点も深めて考えていきたいと思います。

変革の増幅ループ

年末のTV番組ガイアの夜明けで、インドネシアのスラバヤ市の話がありました。スラバヤ市はインドネシア第2の都市ですが、ごみが溢れ、町は悪臭・害虫・伝染病で悩まされていました。東南アジアなどの発展途上国では、ゴミの焼却施設が足りなく、回収システムも不十分で、町に投棄ゴミが溢れる共通の社会問題を抱えています。

ところが、ある一人の日本人が開発した「魔法のバケツ」のおかげで、かつてはごみで溢れていた町が数年でごみが消えつつあるという画期的な変革を成し遂げています。このバケツは、ジェイペック若松環境研究所の高倉弘二さんが開発したもので、大豆を発酵させるテンペ菌を使い、早ければわずか1日でゴミを分解し堆肥にしてしまいます。映像で見ましたが、たった一晩でバナナの皮なんか、姿形もなくなります。いくら分解すると言っても、驚異的なスピード!

結局2万世帯にこの「魔法のバケツ」は普及し、スラバヤ市ではゴミの量が20%も削減されたそうです。この種の技術革新そのものに驚かされますが、このストーリーの中で、感心したのがその変革普及のメカニズムです。

優れた技術がありますよ。試してみましょう!・・・すごい!わたしも、わたしも・・・。と単純に普及したのでは、町全体が数年でクリーンになる驚異的な変革スピードは実現できなかったでしょう。スラバヤ市には、変革を普及させる3つの仕掛けがあったように思います。

1. バケツは無料配布だが、市はごみ処理費用を考えれば3年でもとが取れると試算
2. 分解後の堆肥を市が有償で買い取る
3. 分解後の堆肥によりグリーン化が進む

です。そこには変革者、被変革者(参加者)、そして変革社会の3者に利益がもたらされる仕掛けがあったわけです。変革が通常のスピードを超えて普及するには、直線的な変革ではなく、ループを描きながら増幅するような変革の仕方をしなければなりません。これを「変革の増幅ループ」と呼んでいます。
20090106
よく、ループやサイクルを描くとき、ぐるっと繋げるために、最後のプロセスがいとも簡単に最初のプロセスに繋がっていく絵を見ることがあります。仕組みとしては立派ですが、持続可能な増幅のためには、変革者、被変革者、そして変革社会の3者に利益がもたらされる仕掛けがないと、すぐに火が消えるか、変革が遅々として進まないということになってしまいます。スラバヤ市の例は、変革の増幅ループを見事に実現した例だと思います。環境問題にせよ、企業の変革にせよ、この3者のどれかが途切れてしまっていないかどうか考えてみましょう。

共感か反感か

変革をスムーズに進めるために、共感者を募ることが必要です。そもそも共感とは何かという部分から紐解いて考えてみましょう。

共感とは簡単に言うと、同じように感じること。変革の必要性について同じように感じてくれれば、共感者として変革側に回ってくれると言うわけです。心理学的に定義すると、「他者の中に自分を認める能力」となるようです。逆に言えば、他者の中に自分を認めないこと=反感となるでしょう。

この定義は、わたしたちがしばしば遭遇する人間関係におけるゆがみを見事に説明してくれます。こんな実験があります。だれか知っている人で自分をいつも理不尽にいらいらさせる人物を思い浮かべる。たいていの人はうまく付き合えるが、この人に限っては、黒板をつめで引っかいたように神経に障る。そこで、一枚の紙にその人のいらいらする特徴を表す形容詞を出来るだけたくさん遠慮せずに書き出してみる(リストA)。次に、そのリストのすぐ隣に、正反対の言葉を書き込んでいく(リストB)。たとえば、臆病なら勇敢、遅いなら早いなど。出来上がったら、リストBを読み上げる。たいていは、もっとも誇りにしている自分の特徴になっている。

この実験において、リストAは自分が抱いている反感、つまり他者の中に自分を認めない感情が表されています。たとえば、勇敢であるべきだといつも自己と闘っている人にとって、臆病というのは、自分に決して認めたくない感情でしょう。何事も早く仕上げることをモットーにしている人にとって、いつも遅いというのは許しがたい自分の姿なのです。つまり、本当の自分は、実は反感を抱くような闘っている自分であり、その自分が許容されているような他者を見ると苛立ちを覚えるというわけです。実際の自分の本当の姿はリストBではなく、多分にリストAであるにもかかわらず・・・。*

さて、この実験結果を変革に当てはめてみましょう。常にあるべき姿を前面に掲げてリストBだけで変革を推し進めようとすると、当然ながら共感者を誘うこともあれば、反感者を誘うことにもなるでしょう。この反感者に対して変革者はどう感じるべきでしょうか?変革を邪魔する気に障る存在と写れば、リストAのようになるでしょう。ところが、自分の方から共感する姿勢を示すとどうでしょうか?実際には、変革者自身が闘っている自分の姿であるリストBを他者に認めるという努力です。

実際には、変革に関わる人々に共感すること、すなわち、この変革はやるべきだし、とてもよいと思うが、でもやるとなれば、いまのこれはこう変わってしまう、あれはどうなってしまうのだろう、現場のことが分かればこそ不安になる、という感情を受け止め、認める努力が必要です。共感すれば、共感してくれるはずだからです。たとえば、あるべき姿や戦略部分ばかりを前面に掲げるのではなく、現状を如何に理解しているか、実行計画はどれほど地に足の着いたものかを示し続けることでしょう。

反感を生じさせている部分が、実は自分も闘っている弱い部分なのだということが分かると、人は「そうだったのか」という共感を持つようになるというわけです。弱い自分=反感を自分の中にまずは認めることが必要というわけです。反感部分を隠しておいたままでは、人は共感してくれません。「この人は、わかっていない」で終わるだけです。自分の中の葛藤を共有する姿勢が共感を呼ぶのです。

共感か、反感か。共感は単にビジョンや戦略に対して理性的に生じるものではありません。共感のメカニズムを理解すると、反感も実は共感に変えることができるということがわかります。

* 誰が世界を変えるのか 2008 フランシス・ウェストリー 英治出版

触媒になる

1823年にドイツの科学者ヨハン・デーベライナーは、白金のかけらに水素を吹き付けると点火することに気がつきました。白金は消耗しないのに、その存在によって、吹き付けた水素と空気中の酸素とを反応させることが出来たのです。化学の世界では、この白金のように、変化しないのに反応を助けるものを「触媒」と言います。触媒は、通常では反応に参加しないような内部エネルギーの小さい分子を反応に参加させるので、見かけ上は反応の速度を増加させる働きを持ちます。

変革においても触媒は大変重要です。通常では変革という反応に参加しないように思える「分子」を反応に参加させ、変革に弾みをつけて成功へと導く必要があるからです。リーダーがいくらひとりで優秀な戦略を描いていわば「水素」を吹き付けても、周りの酸素が参加してくれなければ、火はつきません。一般に、変革の成否は、戦略の優位性と関係者の納得度の掛け算によって図られます。戦略に優位性があり、関係者の納得度も高ければもちろん、成功確率は高くなり成果も上がるでしょう。では、戦略に優位性があっても関係者の納得度が低い、あるいは戦略に優位性がなくても関係者の納得度が高い、さてどちらが成功確率が高く成果が上がるでしょう?

20081209

答えは、後者すなわち戦略に優位性がなくても関係者の納得度が高い方です。なぜなら、戦略の優位性は、関係者の納得度によって変革の過程でカバーされるからです。たとえば、全社的に見るとこの戦略はどうだろうと思えるような場合でも、関係者らが納得していれば、変革が前に進むので、その過程で徐々に戦略は最適化されていくものだからです。しかし、逆の場合はそうはいかない。変革が進むにつれて、納得感の低さは、抵抗勢力の台頭を招き、骨抜きになるリスクをはらみます。

では、関係者の納得度を高めるためにはどうしたらよいでしょうか?端的に言えば、関係者の当事者性を高めることです。この変革は自分で起こすもの!という感覚をみなが持てるようにする。

と言うのは簡単ですが、実際にどうしたらよいのでしょうか?当事者性に関する人の心理は次の3つに要約されるのではないかと思います。

1. ひとは打ち込んでいるうちに徐々に自分のことにできる
2. ひとは自分で口にしたことなら自分のこととして捉える
3. ひとは自分に期待されると自分で動く

1番目の点について考えてみましょう。英語で「生まれる」と言うのは、Be Bornと受身形で表されます。言語学的にはもっと複雑な説明になるのでしょうが、簡単に言うと生まれること事態は自動詞なのに、他動詞「生む」の受身形として表現されるということです。何が言いたいかと言うと、ひとはそもそも<自分のこと>を元々持っているのではなく、生まれるという最初の行為からずっと、<人のこと>を<自分のこと>にすることによって、当事者性を<発揮してきた>に過ぎないという事実です。生まれながらに当事者は神以外にいない。

この事実を踏まえると、変革なんてそもそも外から与えられたものに当事者性なんか出せるか、出せたとしてもそれは捏造だ!なんていう変な諦めや誤解から逃れられます。現に、上に挙げた3つに共通することは、元々持っていた天賦の当事者事項のようなものでないとダメというわけでないことが分かります。

たとえば、営業なんて自分には向いていないと感じつつそれでも営業にひたすら打ち込んでいるうちに、「営業というものは・・・」とか「俺の営業は・・・」なんて、まるでもともと自分のことのように話す人をよく見かけます。親から<教えられた>こと、子供の頃習い事を<させられた>ことが、生涯の自分の仕事になっている人も多くいます。親戚や知人から<勧められた>仕事がそのうち自分の天職という感覚になるのも同じでしょう。とにかく、最初は気乗りがしなくても、たとえ嫌なことでも、打ち込んでいるうちに<自分のこと>になるというのが、いわゆる仕事ではないでしょうか?

2番目の点も考えてみましょう。子供が宿題をするときにも親に言われたらやる気が出ないのに、自分でやると言ったら(実際には言わされているのかもしれませんが)、なんとなくやる気が出るなんていうのはその典型です。会社でも目標管理の中で、普段はあまり自分で考えていないようなことでも、上司と話し合いをしていくうちに、自分で目標を口にすると(実際には誘導されて言わされているのかもしれませんが)、その目標に対する乗り気のようなものが出てきて、指示として言われたこととは随分違うでしょう。これは言語の持つ不思議な力とも思えるのですが、自分で口にすると自分のことになるんですね。

3番目の点は、単に期待されるとそれに応えたくなるという単純なことではありません。褒められるとか感謝されるとかよりも、もうちょっと深く期待されること、たとえば、「あなたがやってくれればきっとうまくいく」とか「あなたがいなければ絶対に成功しない」という類の期待です。やろうとしていることに対して、自分が必要とされている、不可欠な存在だと分かると、<自分のこと>になるのです。

間違ってはいけないことは、あなた<も>いると・・・という考え方ではダメです。あなた<が>にならなくてはいけない。なぜなら、<も>の場合は、全体最適つまりチームや組織全体にとって益があるからそれに貢献して欲しいという程度のメッセージになり、たとえあなたにとって部分不最適つまり不都合なことがあっても全体にあなたも貢献できるといったメリットの強調の仕方しかしていないことになります。もっと強烈に、<が>が必要です。そんなことを言ってあげられるほど仕事が出来る人はそもそもそんなにいない。そんなのお世辞に過ぎないからすぐに見透かされてしまうとは考えないでください。まずは、周りが非常に熱くなっているということがその人に分かるようにしましょう。そうすれば、スタート時点で少なくとも、自分が冷めることが自分のとってリスクとなる環境に置かれているという心理になります。その上で、あなた<が>必要というメッセージは、どんな場合でも、お世辞などではなく、本当に真剣なメッセージとして伝わることでしょう。

さて、実際の変革のファシリテーションでは、この3つの要素を踏まえて、当事者性を関係者に発揮していただく仕掛け作りを考えていくことになります。以下に具体例を考えてみましょう。

1. ひとは打ち込んでいるうちに徐々に自分のことにできる
まずはやってもらうことが必要ですから、この場合大切なことは、その人が何をすべきか(What)と、どうやってやるか(How)、どの程度やるか(How much)ということを明確にすることです。そのためには、全体の変革テーマを出来るだけシンプルに、でも、美辞麗句を並べ立てた全体目標のような感じにしないことです。実は意味がよく分からないとか、すぐに忘れてしまうようなものは、なかなか自分のことにできません。シンプルで尖った目標の方が、ボールとして受け取りやすいし、自分のことに加工しやすいのです。

たとえば、「収益性向上」とか「売上増大」などはダメです。その人との関係距離が遠いからです。もっと現場の共感を得られるようなシンプルかつ具体的な目標がよいでしょう。「脱箱物売り」とか「獲得顧客の笑顔」なんてどうでしょう。そうして、どうやってやるのか最初の滑り出しだけでも明確に示すことです。

ここでよく間違うのは、当事者性を発揮して欲しいからと言って、どうやってやるか(How)は自分で考えてやりなさいという丸投げです。もっと悪いのは、何をやるか(What)まで自分で考えろと叱咤激励だけは論外。「ひとは打ち込んでいるうちに」と言う点を忘れないようにしましょう。まずは打ち込むところまではお膳立てが必要で、打ち込むまでの大変なところは勝手にどうぞでは決してうまくいきません。またその逆に、最後まで全部お膳立て(たとえば全部マニュアル化)もNGです。滑り出しは<ひとのこと>でも、「徐々に自分のことにできる」ような環境、自分で加工する余地、つまり余白を残しておくことが大事です。

2. ひとは自分で口にしたことなら自分のこととして捉える
そのためには、自分で口に出来るような場作りが必要でしょう。リーダーは、相手をして言わせしめる質問力が必要です。ぼんやりしていたことを整理しながら、あえて言葉にさせてみると、口に出来たという誘導が求められます。これは高度な技術ですが、質問を用いた会話の技術を磨く必要があります。

もう一つは、しがらみに縛られず自由な本音で議論できる場を作るためのルールの共有です。たとえば、言いたいことを言いたい人に言う、でも相手は決してその場で否定してはならないとか、主張のための根拠となるデータは原則すべて開示するとか。周りの顔色をうかがったり、情報権限の差のために、自分で口にするのを躊躇する環境は避けなければなりません。

人が自分で口にするのを躊躇する最大の要因は、言ったら責任を取らされるというリスクでしょう。だから、責任を<取らせる>という雰囲気ではなく、責任を<果たせる>よう支援する場作りが必要になります。支援の環境が整っている場では、自ら口にし行動することが容易になります。確かに行動を起こすこと、自らのものとすることは、人にとって「荷」となるでしょう。でも、それを言ったが最後、人にとって「重荷」となるような文化では、誰も手を挙げません。むしろ、「荷」を負い合う「くびき文化」があると、人は当事者性を発揮しやすくなります。

3. ひとは自分に期待されると自分で動く
一肌脱いでやろうと思えることです。そのためには、自分がいないとどうなるかということが容易に想像できるようにしなければなりません。現状が本当の意味で分かっているのは<あなただけ>。<あなたが>動いてくれればみんなが連なるような影響力がある。<あなたが>成功の鍵。<あなたに>かかっている。<あなたに>やって欲しい。<あなたでないと>できない。という類のメッセージを送り続けることでしょう。よく、協力して欲しい、協力者を求めるといった姿勢が見られますが、その程度ではなく、強くて真剣なメッセージが人を動かします。

人の基本的な欲求には、他者貢献という高次元のものがあるのです。人は自分の利益と引き換えにしか行動しないと言われますが、突き詰めると、人にとって最高の利益は、実は自分の利益を後にして他の人に利益をもたらすことなのです。とっても不思議なパラドックスですが、人はそもそも利他的に造られているという本質を認識すれば、当事者性の発揮において、期待されることはとても大切な要素と言えます。

N606

リバウンド状態に持ち上げて打破する

既存の枠組みに捕らわれてしまい、なかなか思い切った発想で、新たな世界が考えられない。議論をしていても考える前にダメだとあきらめて前に進まず煮詰まってしまうということがあります。人々の思考の”コリ”を一挙にほぐして、新たな世界に解き放つ方法の一つに、リバウンドで打破する方法があります。

変化というものはリバウンドの前と後で世界観が変わります。たとえば、人は一旦美味しいものを口にすると、その味が基準となって美味しさの判断レベルが上がるとか、個人的に絶対100回は無理と思っていたのに、それよりもはるかに高い目標が当たり前だと言うことが分かると、100回はいけるかも感じるとか。ある種の劇的な変化の後では、同じものに対する感じ方が大きく異なるという心理的特性があるのです。これを利用して、煮詰まった状況を打破する方法を考えます。

一例としてハンバーガーの味を劇的に改善するという変革を考えてみましょう。既存のハンバーガーに何を加えたら味が変わるのか、あるいは何を取り除いたらいいのか、それをしたらいくらかかるから価格設定に無理が来るとか、ハンバーガーだからこれは必須でしょ・・・などと考えているうちは、なかなか思考が解き放たれません。そこで、思い切ってコスト度外視で高級食材を使ってもいいから、自分が食べたい最良のハンバーガーを新作する<としたら>どうなるかやってみようと試作します。これにより、まずは顧客にとって理想の最高状態とはどういうものかを知るというリバウンドを招きます。もしかしたら何千円もするハンバーガーが出来てしまうかもしれません。それでも、理想状態を共有し、一旦思考をリバウンドさせてから、現実的に落とすべきところを落としていくという過程により、発想の変革を行ないます。

別の例では、現在の顧客訪問頻度を5割増しにしようという営業会議。この話は今に出てきた話ではなく、過去に何度も議題に上ったことのあるいわば積年の課題。話し合うといつもの通り、人が足りないから各拠点に増員をということになる。増員は出来ないから、やっぱり5割増しなんか無理。今回も、可能な限り頻度向上に努めようという掛け声だけになってしまう。そこで、思い切って営業が仮に内勤をゼロにして、すべての時間を外回りに費やした<としたら>、どうなるか試算してみようと促します。当然そんな理想的なことは計算しても意味がないという声が返ってきそうですが、とにかくすべての時間を顧客訪問だけに費やせたらどうなるでしょうという理想状態を一旦計算します。その結果はリバウンド状態を招きます。すると、何人かが計算機を片手に徐々に計算し始めます。100件はいけるな、いや200件はいける・・・などという答えが返ってきます。あくまで理想のリバウンド状態ですから、そのままで実行に移すことは出来ません。でも、一旦リバウンド状態に持ち上げておいてから、現実的な計算を行い、引き算を始める。すると、人々の思考が一旦解放されているので、堂々巡りだった議論が少しずつ前に進み始める。
20081208
このリバウンド状態に一旦持ち上げるポイントは、<としたら>という理想状態を一旦仮定し、その状態を垣間見せることです。すると、やるべきことは何も変わっていないのに、リバウンド状態の後の世界観は、できるわけがないという心理状態から、できるかもしれないという心理状態に転移しているのです。

ハンバーガーと言えば、最近、アメリカ人の奥さんをもらった日本人の友人が、海外から帰国し日本で働き始めました。奥さんは愛情たっぷりの愛妻弁当を持たせてくれます。ある日のこと、ランチボックスを開けてみると、かわいらしい”おにぎり”が。がぶっとかぶりついた瞬間、中に入っていたものとは・・・。なんと、ゆで卵とトマトのスライスです!思わず吹き出してしまうと同時に感動の涙が・・・。アメリカ人にとってはランチボックスと言えば、サンドイッチ。そこに挟むといえば・・・。ご主人を思う奥様の愛らしいエピソードでした。それを聞いて、日本にもライスバーガーと言うのがあるなと思い出しました。ライスバーガーの中身は、ライスに合う和食。でも、リバウンド状態に持ち上げてみると、案外ライスバーガーの中身はそうではないかも。もしかしたら、欧米で売れるライスバーガーが開発できる?と思いました。リバウンド状態の後では、ライスに卵とトマトもいけるかも?と思えるのでは?

N901

改革迷走の対立障壁

総論賛成、各論反対。これは改革当事者の心理的障壁をよく表しています。改革の方向性はOKなんだけど、自分に関わるところ、こだわるところの「つぼ」がNG。それじゃあ、この部分だけは残しておいて、先にこっちだけやりましょう。その後、様子を見てまた改めて・・・。というのが幾つも幾つも続き始めると、だんだん改革路線は迷走し始めます。この原因には、関係者の間の対立障壁があります。一般的に分類すると、次のような3次元で描けるでしょう。

X.時間軸
長期視点に立つのか短期視点で構えるのかということです。多少長く時間がかかっても抜本的な改革をこの機にしたいという視点もあれば、ジリ貧なので少しでも結果が出るものからどんどん手をつけたい。でも、それをしていると最終像に対しては二度手間になり、手戻りが生じるから、結果的には時間がかかるなど。ビッグバンでやるか、パッチワークで行くかというの議論です。別の例では、改革内容が人材育成や教育が関わるものであれば、どうしても長期視点に立たざるを得ない半面、業績に繋げるためにはある程度短期視点で臨まなければならない。新規事業の立ち上げに伴う改革とするか、既存事業の早期改善を積み上げるかなどの議論もあるでしょう。

Y.空間軸
全体最適のために部分不最適はやむを得ない、でも部分最適されなければやる意味がないし、非協力者にどう対応すればよいのか・・・。管理者にとっては有用だが、現場にとっては負担を強いる。全体コストは低減できるが、この工程については余計なコストがかかる。全体が見えるようになるだけで、何のメリットがあるのか、現場での作業ごとにすでに最適化されている。そうなれば、結果としてどれだけのコスト増になるか検討がつかない。特に、人員削減を伴う場合、管理側と現場側の主張の行き違いがつき物ですし、そのためにコストや品質はどうなるのか、会社全体として最終的には不利益になるのではないか、などの議論があることでしょう。

Z.評価軸
改革の指標を何に置くのか、あっちか立てばこっちが立たない、2つの指標の間で揺れる場合です。たとえば、生産ラインの時間を短縮させ、リードタイムを改革指標にしたら、不良品率が上昇するとか、売上増大の施策を掘り下げるためには、コストにある程度目をつぶらなければならないとか、物流コスト低減のために発注ロットを大きくすると、在庫回転率が落ちて結果としてコスト増大を招くなど。この改革は結局何を目指しているのかなどというそもそも論に立ち戻ってしまう要因になりやすい軸です。
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これら3次元の対立障壁を意識し、対立解消のためにとるべき施策は論理的に考えて3つです。

A.どちらか一方だけで完全に割り切ってしまう
色々な要素を考えてしまうあまり人々の目線が小さくまとまってしまう場合、抜本改革の必要性をみなで共有する雰囲気作りには、リスクがあるもののシンプルな方がまとまりやすい。思い切って人々を今ある場所から解き放つために、チェンジレーダーが言い切ってしまうという方法を取ることにより、対立障壁をなくします。

B.片方の犠牲を特定する
あっちがよくなるなら、こっちはこれくらいは大丈夫というトレードオフの考え方です。この場合、評価指標は2つになります。たとえば、リードタイムを5%改善するなら、不良品率を1%まで許容する。売上が20%増なら、コスト10%増まではOK。などという交換条件により対立障壁をなくす方法で、この2つの指標をトレードオフ指標といいます。

C.両立させる
あえて二兎を追う、一驚両得のやり方です。たとえば、業務目標の達成と人材育成の推進は、限られた業務時間の中では相対する障壁となるとすれば、日常の業務遂行の中でいかにして人材育成もやってしまうという発想の転換をすることです。そのためにはどうしたらよいかということを考えて、対立障壁をなくしていきます。結局は企業利益の最大化を大目標としていますので、よく考えれば両立のための解決策は見つかるでしょう。ただし、対立点が美辞麗句で曖昧にされてしまい、総論賛成各論反対の罠に陥ってしまわないような「仕掛け」作りがどうしても必要です。

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感動の素

「感動」は変革を推進して前に突き動かすポジティブな原動力の一つです。「危機感」もその一つですが、ネガティブな力であるという点が違います。ネガティブな原動力は、一点集中型の変革に向いていて、人々を一所に急速に引き付ける効果があります。一方で、変化に弱い。だから、変革に時間がかかったり、変革の最中に周りの環境が変化したり、ターゲットそのものがブレ始めると、途端に求心力が危ぶまれることになりがちです。

それに対して、ポジティブな原動力は変化に強い。なぜなら、アウトプットだけによって引き付けられているのではなく、プロセスそのものが引き付ける力となっているからです。こういう形を取る変革は、非常に強い。少々の波風は、自律的にどんどん乗り越えて、変革を前に進ませます。いわゆる行け行けドンドン。

そんなポジティブな原動力である「感動」。では、果たしてどうやって感動は生み出せるのでしょうか?とにかく前にある仕事をこなしてがむしゃらにやっていれば、結果として感動<できた>、というのでは変革を科学することにはなりません。感動を変革成功の大切な要素として科学する=設計することがとても大切なのです。では、感動にはどんなメカニズムがあるのでしょうか?

人が感動するためには基本的な2つの条件があります。1つは、自分に関係のあることにしか感動しないということです。他人事、つまり当事者意識がない状態で人が感動するのは難しい。自分事に重ね合わせて初めて人は感動します。その感動から、よし自分もやってみようというエネルギーが沸いてくるものです。ということは、少なくとも”関係者”が”部外者”ではなく、本当に”関係者”であるように、これからやろうとしていることと自分がやることとの結びつきがイメージできるようにすることがポイントです。よくあるシーンに、あるべき姿の全体像を共有して変革意識を高めようとして空転するという検討会があります。これは、簡単に言うと「自分には関係ない」と”関係者”が感じてしまうからです。全体像を示すとしても、必ず参画者が、「これは自分に関係がある」と感じるようにすること、これが感動の第一歩です。

もう1つの条件は、感動が生じるタイミングです。脳科学的な用語になりますが、感動は不快情動が快情動に転換するときに生じるということです。感動というものは、心の動きですが、実際には脳の動きであり、専門的に言うと大脳辺縁系の「情動反応」によるものです。「大脳辺縁系」は、身体内外の環境から入力される知覚刺激に対し、「快情動」と「不快情動」のどちら かを発生させます。簡単に言うと、「快情動」とはそれを好んで選びたいという衝動、「不快情動」とはそれを嫌い避けたいという衝動です。

不快情動が快情動に転換する際に、そのギャップが大きければ大きいほど感動も大きくなるということになります。逆に言えば、そのギャップが小さいと、同じ刺激に対しても、感動が生まれないということです。そのギャップは、①刺激の強さ、②刺激の新奇性、③学習の程度により左右されます。強い刺激も繰り返されるなら弱くなり、新奇な刺激も一度体験すると新奇性が失われ、経験から学習し予測ができるようになると感動が失われます。特に③は、自ら新たな感動を潰しているような状況であり、頭が固いと言われる要因でしょう。

ということは、同じことをやるにしても、その変革のインパクトの強さ、取り組みの新奇性、そして「どうせこんなもん?」という消極的予測ではなく、「どこまでいける?」という積極的予測という要素を意識して変革に取り組むことが、感動に繋がることになります。

さて、感動の2つの条件が揃ったとしましょう。あとは、人が仕事で感動する「素」は何かということを整理しておきたいと思います。これまでの仕事の中で、感動した仕事を思い出してみてください・・・。恐らく、次のようなときではなかったでしょうか?

「この人たちと、この仕事ができて、自分よくやったな!」

これは、前にも述べました。分解してみると、
<この人たちと>=仲間意識
<この仕事ができて>=貢献意識
<自分よくやったな>=成長意識
という3つの意識が感動を高める要素となるわけです。

これは、マズローの欲求段階説とも対応します。彼は、人間の基本的欲求を5段階で表現しました。

  1. 生理的欲求
  2. 安全の欲求
  3. 親和(所属)の欲求
  4. 自我(自尊)の欲求
  5. 自己実現の欲求

仲間意識が3番目の親和の欲求、つまり集団帰属の欲求です。同じ仕事でも、この人たちとやれてよかった、自分はぴったりはまった感がある、というのがそれです。

貢献意識が4番目の自我の欲求です。自分の存在が価値があり役に立ったと周りから認められる、感謝される、称えられるというものです。自尊心を形成する快が生じます。

成長意識が5番目の自己実現の欲求です。自分の能力を十分に活かせた、新しいことに取り組めた、この仕事を通して一皮むけたという感覚です。

これら3要素を全く意識しないで、がむしゃらに変革を推し進めて、結果として、幾らかの感動を味わうというのではなく、むしろ、変革を前に進める原動力としての感動が必要であり、その感動が、仲間意識、貢献意識、成長意識から生じるということを踏まえて、変革プロセスを設計し、判断決定してゆくのとでは、大きな違いが生じると思われませんか?

バランスの取れたチェンジリーダーは、これらの要素を決してなおざりにせず、常に人心に心を砕くものです。変革に当事者性を出せないメンバー、意義を見出せないメンバーがいるなら、この感動の「素」を随所に織り交ぜていくのはどうでしょうか?