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Love & Work2.0(その2)

早川@プノンペンです。こちらは雨季に差し掛かり、暑さに加えて湿度も上がってきました。外に 1-2時間いるだけで熱中症になります。いったん、これにかかると 2-3 日は頭がズキズキしてうまくまわりません。困ったものです。

さて、前回は<ナセバナルナサネバナラヌナニゴトモ>を端緒に、自力と自己生成(自己組織化)の関係について論じるところまできました。この先回の出口の議論について、ちょっと付言します。

自己生成=自己組織化とは複雑系の分野でよく使われる言葉です。複雑系は「鳥の群れはどのように編隊を形成するのか」と いったことを説明しようとします。他の例を挙げましょう。タイには同期をとって明滅する蛍がいるんだそうです(見てみたい!)。では、蛍はどうやって同期 をとっているのか(不思議だ!)?鳥の場合のことも、蛍の場合のことも、結論的にはよく分からないだそうですが(だから複雑系なんてエクスキューズを織り 込んだ名前になっているのかもしれません)、一羽の鳥、一匹の蛍が群れ全体に命令してそうなっているわけではないということは想像がつきます。むしろその 群れ全体の個々の構成要素の<局所的相互作用が全体的構造を生む>ということがおきているらしい・・・、ここまでは分かっている。 *1)

<局所的相互作用が全体的構造を生む>って台詞、いいでしょう。是非、みんなではやらせましょう。 07年の流行語大賞は<局所的相互作用が全体的構造を生む>です、なんてことになったら、日本の民度は相当上がったとみなしていいはずです(ムリか)。

この局所的相互作用の起点となる運動をおこすことが、為すこと・自力の問題で、それが全体的構造を生むということが、成る・自己生成(自己組織化)の問題です。経営学の分野では、前者がリーダーシップ論へ、後者が企業文化・風土論へと繋がっていきます。

ここまでは前回の出口部分の付言。で、今回は<成らせるためには、何をどうすればいいのか>ということについて考えたいと思います。<為すことについての WHATとHOW>ですね。そして、まず考えたいのは、<WHATとHOWはどちらが大事か?>ということです。

産業人として我々はほとんどが企業人であり、企業人はおのずと組織人です。組織人たるもの、<為す>べきことは、ほとん どの場合、外部(組織)から与えられます。個々人にとって、仕事とは所与のものであり、与件です。ですから、「仕事に主体的に取り組め!」なんて台詞は実 に欺瞞的なものです。仕事に関する主体性論への疑問、これを出発点として、我々は当事者性論へとすすまねばなりませなりません。

仕事に関して主体性を云々することは欺瞞的ですが、それでも個々の仕事に対して我々は<当事者性>を持つことはできる。 主体ではないが、当事者ではある。そのように私は常々論じてきました。*2) そもそも「生きる」という事態自体が<主体的>に始まったのではなくて、他律的に始まりました(頼んで生んでもらった人はいない)。それでも私たちは自分 自身の生を<当事者>として生きています。仕事というアプリケーションは人生というプラットフォームの上に乗っています。プラットフォームとアプリケー ションは構造的に同型でないといけませんね。

しかし、<主体性>と<当事者性>をこのように区別することの実践的意味はどこにあるのでしょうか?<主体性より当事者 性>という態度は、仕事においては「何をするか」より「どのようにするか」の方を重視する態度へと繋がります。< What よりHow>の方が大事。たとえば、マザー・テレサの行き方に感動した人が彼女のように生きたいと思ったとき、倣うべきは彼女の愛(HOW)であって、必 ずしも看護婦になったり、発展途上国に行ったりすること(WHAT)ではないはずです。

<WHAT>を過度に強調することは、天職主義に繋がります。そして天職を見出した稀有な個人だけがプロフェッショ ナルになり、創造性はそのようなプロにだけ許されまた求められる神秘的な能力とみなされる。逆にたどれば、創造的に生きるためには、天職を見出し、その道 のプロにならねばない。自分が本当にやりたいこと(天職というWHAT)を見出せずに就職しない若者、就職しても3年持たずに会社を辞めフリーターになっ ていく若者、彼らが迷い込んでいる隘路の背後にはこのような天職主義、プロフェッショナル観、創造性観があるように思います。
そのような窮屈な「仕事観」に風穴を開けるために、私はこれまで<WHATよりもHOW>だと言い続けてきました。たとえば、2006年6月15日のブログではこう書きました。

『<プロとは、その仕事を自分の成長機会としている人このとである>

他人(ひと)にできないことができることも、他人よりも上手くできることも、必要ない。そんなこといったら、プロなんて ホンの少しの一握りの人だけになってしまう。ちょうど、プロの野球選手の、そのまた大リーグの選手の、そのまた一握りのスター選手がトップ・プロと言われ る、そのトップ・プロだけがプロであるというようなプロ観ではないプロ観、それを大切にしたい。どんな分野の、どんなクラスのスタッフでも、自分がその仕 事を自分の成長機会を獲得する場であると思い定めてそれに取り組む限り、その人はその仕事のプロである。そう思います。

で、そういうプロはお互いを励まし合う。なぜなら、それぞれは仕事を自分の成長機会としようとしているのであって、他人 (ひと)との競争機会としようとしているのではないからです。そして、自分の成長(ゼロサムな<競争>における成長ではなく、プラスサムな<競走>におけ る成長)実感は結局、他人(ひと)といかに助け合えたかによってもたらされるものだからです。』

さて、ここまではいわばこれまでのブログにおける発言の復習の類です。いわば、Love & Work1.0のまとめ。ここから表題の2.0に跳ばねばなりません。しかし、Look before you leap! でもこの続きは次回に。
再見!
Love & Work!!

*1) 「複雑な世界、単純な法則」-ネットワーク科学の最前線 (マーク・ブキャナン著、草思社)

*2)本ブログ:2005 年10 月15日 <「自発性と当事者性」または「自発から自律へ」>をご覧ください。