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「牛乳の未来」

「牛乳の未来」(野原由香利著)を再読。

実家の父が、北海道、中標津の北根室ランチウェイを歩いてみたいと言い出しました。

 
 
「なら、付き合うよ」と気軽に応じてしまい、そこからあれこれと調査。
そしたら、「あれ?、以前にここいら辺について何かで読んだ気がする」ということになって、実家の本棚をひっくり返して取り出してきました。

再読してみて、改めてすばらしい本だと思いました。
2004年に刊行された本で、そのときにすぐ読んだのですが、それから約10年、ここに書かれていたこと、ここで読んだ(はずの)ことは、ボディブローのように私に(私の考えや感じ方に)ずいぶんと効いていたのだと感じました。

旭川の「斉藤牧場」の斉藤晶さん、足寄の「ありがとう牧場」の吉川友二さん、そして中標津の「三友牧場」の三友盛行さん、他にも岩手の「中洞牧場」の中洞さん(毎週ここのミルクを買っています)など、放牧で乳牛を飼う酪農家の仕事ぶりがルポされている本です。

特に、「蹄耕法」という、放牧した牛に山を拓かせる、一種の自然農法→自然酪農を実践する、「山地酪農」の(今や)カリスマ、斉藤さんの生き方に感嘆。
一緒に入植した開拓団が解散になったとき、只一人独身だったため、その時点で土地の割り当てさえなく、それまで本部職員としてさんざんタダ働きしてきた斉藤さんにも、頭割りで借金が押し付けられてしまう。
斉藤さんは4年間の出納簿を持っていたから、いざとなったらそれを証拠にことの不当性を訴えられるはずだった。
そのとき彼が考えたこと、そして行ったこと。

「ンでもある日、『こんなごといつまでも引きずっていたら、こんな証拠残しておごうなんて考えたら自分がダメになる』って思ったんですよ。
『だったらそんなものゼロにしてしまえ」って、皆に黙って、預かっていた帳簿を皆焼いてしまったんです。
私は仲間より一回り若いんだから、何とかなるだろうって思ったんです。
そうして、『これからは頼れるのは自分だけだ』と。
そうゆうどごに自分を追い込んだんですよ。」

そして、行政からも、農協からも、組合からも距離を置いて、「蹄耕法」に行き着く。
その様は、「奇跡のりんご」の木村秋則さんを彷彿とさせます。

斉藤さんよりはずっと若い世代に属する三友さんの実践、そして思想もすばらしい。
彼の酪農は「マイペース酪農」として知られています。
借金ズケで頭数を増やし、その世話に忙殺されて、牛も自分も家族も不幸、なんていう酪農地獄からの解脱は決して難しくない。
頭数を減らせばいいのだ。
その分、乳量は減るけれど、その分、かかるお金も、かけなければならない労力も減る。
収入は決して減らない、むしろ増える。
仕事は楽しく、牛は健康で、土地も美しい・・・。

そんな三友さんが米作に関してこういうことを言っています。
減反ゼロ、全面積作付け、但し、面積当りの収量を減らす。
面積当りの収量が半分になれば、全面積作付けしても、50%減反したのと同じ。
収量を減らしていいとなれば、「水田の力、応分の収量」になる。
「牛乳と同じで、たくさんというのはあれ美味しくないってことだから、養殖と同じ。
で、美味しくて安心で安全になるの、結果として、収量落とせば。」

秀逸なのは次のような議論が続いていることです。
「で、そのときに『じゃあ採算が合うかどうか』、これ別な議論だから。
農業論議するときに、価格の問題と品質の問題を一時切り離してあげないとね、これリンクして話するとね、もうこたこたになっちゃう。
で、日本人の仕事だと話の展開の悪いところは、その手段と目的を一緒にしちゃうから、こたこたになって進まないのね。
で、『何を大切にするか』って。
『これ大事にしよう』って。
その次に、『手段をどういうふうにするか』って。
で、手段はあのいろんな知恵だとか方法論で解決できる。」

 
最後に三友さんはこうも言っています。
「で、『マイペース』だとか『三友さん』っていうのが世間から注目される不幸っていうのがある。
こんなのは所詮路傍の石と同じで、うん、当たり前になればね、当たり前になっていることは、日本が成熟化していくことよね。」
 
2004年に書かれた台詞です。
それから我々は「成熟」することにどれほど成功できたでしょうか?