月別アーカイブ: 2005年12月

「企業にとって存在価値とはなにか?」

はじめてのバンコクの12月。確かに「涼しい」です。夜は冷房がいりませんし、窓を閉めて寝ても寝汗をかかなくなりました。でも、雨が降らない分、空気が悪くなって(排気ガスです)、それはちょっと困りまね。まさに、<Nothing is perfect!>です。

さて、先々回、成長について、こう言いました。<企業にとって、『成長』とは、事業機会と経営資源の間の不均衡を、拡大方向に解消しようとする運動 である>。そして、先回、戦略について、こう言いました。<企業にとって、『戦略』とは、企業行動の全体的一貫性のことである>。そして、今回はこの二つ を繋げるとお約束しました。やってみたいと思います。うまくいきましたら、拍手ご喝采!

企業が成長するためには、事業機会の発見とそれに新たな事業機会にマッチした人材の調整、そしてその両者のスパイラルな好循環が必要です。この事業 機会の発見が、経営トップによりなされ、人材調整も事後的なスキル・マッチングという形で行われる(既存の人材に対するスキル教育と予めスキルをもった者 の中途採用)というのが、戦略論における、トップダウン型、戦略授与型。事業機会の発見が人材開発のプロセスと一体になって、その過程で生じ、<発見=人 材調整=戦略生成>というのが、ボトムアップ型、戦略生成型。

こう書けば、後者が理想形であることは明らかに見えますが、とはいえ、理想的にすぎて、現実的ではない、という声が聞こえてきそうです。実際、企業 の規模や、企業ドメイン、業態をネグって、こうした一般論を語ることにどんな実践的意味があるのかという批判もありうるでしょう。しかし、ここはしばら く、「理想とねて」みようと思います*1)。ヘーゲルさんも言っています。「理想的なものは現実的であり、現実的なものは理想的である」と。

先回の最後で、成長と戦略の関係について、成長が目的であり、戦略が手段であると書きました。では、成長の目的はなんなんでしょうか?それは「存 在」(を更新=継続)することです。企業は成長し続けないと存在を継続できないからです。では、企業が存在する(存在を更新し続ける)目的・理由・価値は なんでしょうか?それは、「外部に価値を生み出すこと」です。つなげて言えばこうなります。

<企業は外部に価値を創造するために存在している><その存在価値を更新できなければ、企業は存続できない><企業の成長は、企業の存続=存在価値の更新=価値創造の継続のためにある>そして、<企業の成長とはその存在価値の不断の更新のプロセスである>

これは考えてみればあたりまえのことです。存在価値のないものは存在できない、ということだからです。やはり、<理想的なものは現実的で、現実的なものは理想的なもの>なのです。

そうした企業の存在価値の更新のサイクルに、企業規模やドメイン、業態によって長短があることは確かです。ビジネスモデルの賞味期間に長短があるということです。しかし、長いか短いかはともかく、賞味期間があるということ自体は普遍的です。

賞味期間が長い場合(規模が大きく、ドメインが上流にある)、その間の蓄積により、急激な変化は難しくなりますから、問題は緩慢にやってくる分、深 刻になりえます。いわゆる、「大型タンカーはゆっくりとしか曲がれない」というやつですね。逆に、規模が小さく、ドメインが下流にある場合、その賞味期間 は短くなるので、業態に柔軟性を持たせて企業価値更新のサイクルを早めていかねばなりません。「自転車操業」はなにも資金繰りだけの問題ではなく、経営全 体の問題なのです*2)。

では、企業が生み出し、更新していかねばならない「価値」とはなんでしょうか。結局のところ、それは、「人の幸福への寄与」であり、そして、市場とはそうした寄与・貢献への信任投票である、というのが資本主義の原理、いや信仰告白です*3)。

高度成長期というのは、物やサービスをともかく広く行き渡らせることが「人の幸福に寄与」した時代です。ですから、国家(=国民経済の主体としての 国家)にはそのためのシステムがあり、企業にはそのシステム内での役割があり、その役割を果たすことが企業にとっての価値創造の方式でした。これを私は 「割当て型経済」と呼んでいます。通産省他からの許認可と大蔵省からの予算があり、許認可と予算分配という形で割当てられたドメインがあり、それが上流か ら下流に下りてくる。もちろん、割当て型経済の中にも競争はあるんですが、それは業界秩序を破壊しない範囲での、シェア競争といった微温的なものでしかな い。

しかし、そのような割当て型の産業構造では、経済が回らなくなった。市場が成熟して、経済の重心が供給側から需要側に、最終的には生産側から消費側 に移ったからです。何を生産することが価値を生み出すことかが自明であるような状況下では、どのように生み出すかだけが問題であり、その解は合理性の論理 によって導けました。しかし、何を生産することが消費者にとって価値あることとされるかが自明ではないような状況下では、どのようにではなく、何を生み出 すかということそれ自体が問題であり、その解は合理性の論理によっては導くことができません。

こうした変化に伴ってよく言われたのが、「プロダクトアウトからマーケットインへ」ということでした。マーケットインという言葉は、供給側からの需要側への摺りよりのための謂いです。しかし、結局事態はさらにその先に進んでいきます。

次に登場したタームが「価値創発」というものです。それは単なるマーケッティング用語ではなく、産業構造全体を射程にいれた言葉です。「価値創発」 という言葉のストレスは「価値」にではなく、「創発」にあります。企業が「価値」を生み出さねばならないことは、割当て型が機能していた時代も同じだから です。しかし、割当て型では「価値」が生み出せなくなった。「価値」は「創発」されねばならなくなったのです。

この場合の「創発」という言葉には、供給側がむりやり作るのではなく、需要側から生成されてくる、といった含みがあります。いわゆる、自己生成、自己組織化、複雑系の考え方ですね。

だいたい話の落とし所が見えてきたんじゃないでしょうか。経済の重心が供給側から需要側に移った。それに伴って、企業が外部に向かって生み出すべき 価値は企業自体が割当て型でプロダクトアウトできる時代ではなくなった。価値は企業が外部とのコミュニケーションによって創発、生成していくべきものと なった。外部との関係で生成論的創造が必要なのであれば、内部構造もそれに見合ったものになっている必要がある。それに見合った構造とは、例えば戦略論の 文脈では、戦略生成型の戦略形成プロセスを重視することを意味する。

こうした時代の変化を最近亡くなられたドラッカー氏の名言を使って表現してみたいと思います。ドラッカー曰く、<従業員はコストではない、資源である>。インサイト曰く、<従業員は資源ではない、人間である>

企業は人間(自然人)ではなく法人です。これは企業の強みでもあり、弱みでもあります。企業は究極的には(B2Bの会社でも)、人に向けて価値を創 造していかねばなりません。最終消費者としての人間と、企業は実は内部で繋がっています。それは社員です。その社員を人間として遇し、その創造性の発動を 促すことに成功した企業だけが、「価値創発」時代に価値を生み続けることができるのです。

Love & Work !!

*1)「理想とねる」という表現は、「現場とねる」という言葉をひっくり返したものです。「現場とねる」というのは、文芸批評の世界などで用いる言 い回しで、批評理論の一般的研究から離れて、生の具体的創作物とじっくりと対峙することを指しています。例えば、文芸時評を担当するとか。ですから、「理 想とねる」とは、現実の名で呼ばれる先入観からいったん離れて、理想を深堀して、現実への回路を開こうとする営みをさしています。私の造語ですから、他で 通用しないと思います。ご注意を!

*2)サルトルさんは確か「嘔吐」のなかで(「存在と自由」だったかもしれない)、「悪は自転車のようなものだ、走っていないと倒れてしまう」と いったようことを言っていました。でも、自転車みたいなのは、悪だけでなく、善も、個人も、企業、社会も、みんなですね。泳ぎ続けていないと死んでしまう 回遊魚みたいでもあります。

*3)これは「主義」(=イデオロギー=宗教)としての資本主義の定義の問題です。日本には、制度としての資本制はありますが、主義としての資本主 義も資本主義者もほぼ存在しないといっていいでしょう。ちなみに、私もそのような意味での「資本主義者」ではありません。しかし、資本制の下で、その理念 的価値を問い、局所的にその価値を実現しようとすることには意義があると考えています。所与・与件は活かされねばならないからです。

「企業にとって戦略とは何か?」

タイのバンコクには「戦勝記念塔」というのがあって、BTS(モノレール)の駅にもなってるんですが、地元のタイ人には、この戦勝記念というのがど の戦争の戦勝記念なのかを知らない人が多い、という話を聞きました。タイ人が「今」を生きていて、「歴史的時間」を生きていないことをよくあらわすエピ ソードのような気がします。

もともと東洋の時間感は歴史的時間感(=時間は直線的に一方向に流れ、戻ってこない&歴史にはGoalがあるという時間感)ではなくて、循環的時間 感です。日本は第二次世界大戦の敗戦という民族的経験をくぐることで、循環的時間感から歴史的時間感に離陸しましたが、タイにはそういう経験がないため に、人々は循環的時間の中に生きているような気がします。吉本隆明風に言えば、「絶望が足りない」ということでしょう。まあ、それはそれで幸せなことでは ありますが・・・。

日本の敗戦の原因分析についての著名な先駆的論文として、「失敗の本質-日本軍の組織論的研究」*1)というのがあります。日本軍の失敗の本質はな にか?同書の結論は「戦略がない」ということ。日本軍には局所的に戦術レベルの工夫は存在しても、その全体的行動に組織論上の戦略的一貫性が欠けていた (もしくは脆弱だった)というわけです。

同書はその結論の部分で、その組織論上の特徴が戦後の日本企業のあり方にもそのまま引き継がれているという趣旨の観察を述べています。たぶんそうな んでしょうね。でも、日本企業にかけている戦略性とはいったいなんなんでしょうか?というわけで、やっと、お題にたどり着きました。今回のお題は「企業に とって、戦略とはなにか?」です。先回の「企業にとって、成長とはなにか?」の続きとお考えください。で、インサイト版「戦略」の定義です。

<企業にとって、『戦略』とは、企業行動の全体的一貫性のことである>*2)

解説しましょう。<戦略=一貫性>、というところはだいたい問題ないでしょう。ただし、一貫した<戦略内容>が経営者(もしくは戦略授与型のコンサ ルタント)の頭の中にあるだけでは、つまり戦略的意図があるだけでは、「企業に戦略あり」とは言えません。<戦略内容>が企業行動全体に一貫して浸透し、 機能してはじめて、「企業に戦略あり」と言えるのです。つまり、<戦略=一貫性>の一貫性は<戦略内容>の一貫性ではなく、<企業行動>の一貫性を指すと いうわけです。

経営者(もしくは戦略授与型のコンサルタント)の頭の中の一貫した<戦略内容>が<企業行動>の全体的一貫性の生成を促す場合もあるでしょうが、そ の逆の結果を生じさせることも(多々)あります。戦略的意図の浸透(努力)の過程で、コミュニケーション・ギャップが生じ、かえって企業行動の全体的一貫 性が損なわれるというようなことです。ですから、戦略的経営を行いたいなら、戦略的意図=一貫した戦略内容の立案だけでなく、その浸透のための戦略的対応 が必要です。

企業行動に戦略的一貫性を実現させる方法には、2つのモデルが考えられます。その一つは、トップダウン型、もう一つはボトムアップ型です。トップダ ウン型は経営者=経営トップが戦略的意図をもって戦略内容を立案し、それを組織全体に浸透させていくという方向で形成されるものです。ここでは、戦略内容 の一貫性は当初から保証されていますが、その浸透は保証されていません。一方、ボトムアップ型は組織の構成員が自己組織的に企業行動の一貫性を生成させて いくものです。ここでは、生成された戦略の組織への浸透性は保証されていますが(生成=浸透だから)、一貫性ある戦略内容の生成それ自体は保証されていま せん。

コンサルティングの世界で言えば、前者を支援するのが、戦略授与型のコンサルタント。後者を支援するのが、企業文化・風土改善支援型のコンサルタン トだといえるでしょう*3)。前者は欧米型の経営にマッチし、後者は日本型経営の適合すると、一応モデル論的に整理しておくこともできると思います。

トップダウン型:ボトムアップ型=戦略立案起点:戦略浸透起点=形成:生成=戦略授与型コンサル:企業文化・風土改善支援型コンサル=欧米型経営適 合:日本型経営適合。ただし、こうした整理はあくまでモデル論の水準のものです。二項対立的分類・整理それ自体は具体的実践には概して役に立たないもので す。ましてや、両方大切とか、バランスが必要などと宣うていたのでは、思考停止しているに等しい。

では、文化や伝統、趣味や好き嫌い、行きがかりや成り行きを超えた未来型の経営戦略形成・生成理論というものはないものでしょうか?それを考えるた めには、戦略論単独で考えるだけでは足りないと思います。前回論じた「成長論」と繋げて考える必要があるでしょう。だって、成長が目的で、戦略はその方法 なのですから。次回は、その二つ繋げるとどういう地平が開かれるかをみてみたいと思っています。

Love & Work !!

*1)「失敗の本質-日本軍の組織論的研究」戸部良一他著、中公文庫刊

*2)この定義また本稿全体については、次の論文が種本(論文)になっています。
「戦略的組織か学習する組織か-戦略形成プロセスの分析」大薗恵美著、一ツ橋ビジネスレビュー2002年夏号掲載

*3)この分野での先駆的仕事は「なぜ会社は変われないか」シリーズの柴田昌治氏によるものです。
「なぜ会社は変われないのか(ビジネス戦略ストーリー)危機突破の企業風土改革」柴田昌治著、日本経済新聞社刊

(番外):読者の方から、このコラムは誰が書いているのかという質問をいただきました。第一回の時にご披露したつもりでしたが、ミスしたかもしれま せん。失礼しました。あらためて、事後紹介、でなくて、自己紹介いたします。早川賢雄(ただお)でございます。株式会社インサイト・コンサルティングの CEOです。ただ今、アセアン方面での事業機会のフィジビリティ・スタディのためにバンコクを中心に活動しております。このコラム、しばらくバンコクネタ から離れておりますが、ご要望があればまたご披露いたします。今後ともご愛読のほど、よろしくお願いいたします。