月別アーカイブ: 2013年9月

ポスト「あまちゃん」

「地方にこもる若者たち」(阿部真大著)を読了。
 
大都市と田舎の中間の地方都市に若者にとっての「ほどほどパラダイス」が存在している、と著者は指摘します。
大型ショッピングモールの登場とモータリゼーションの完成がそれを実現させた、と。
阿部さんは岡山市での調査を元に論じていますが、私も都城に行ったときに同じ現象を垣間見たので、たいへん納得感が高かったです。
 
80年代にBOOWYが、「地元への同化を拒否」するために「反抗」を唄う。
そこでは「夢」は「見る」ものであり、叶わぬ夢を抱く「自分」が「母性による承認」によって救い上げられていく。
まあ、「ヤンキー文化」ですね。
 
90年代に入ると、「同化」を強要する「大人の世界」が安定性を失い、若者がわかりやすい「敵」を喪失してしまう。
そこで、B’zは「夢」を「見る」ものとしてではなく、「叶える」べきものとして再定義する。
そこでは「反抗」ではなく、「努力」=「自己変革」が称揚される。
まあ、「自己実現」のモードですね。
 
90年代の後半にはミスチルが現れ、今度は「関係性」のなかでの「自己肯定」を唄う。
しかし、ミスチルまでは、その「関係性」は男女=恋愛に閉じていた。
 
21世紀に入ると、ヒップホップやジャパニーズ・レゲエが男女に閉じない、さらに開かれた「関係性」(新しい「公共圏」)について唄う。
そうした現状が現在の「地元」ブームと響きあっている。
これが阿部さんの見通しのようです。
なるほど!
 
いわゆる、ダイバーシティ・マネジメント論におけるダイバーシティ・マネジメントの4段階=拒否・同化・分離・統合という4段階説を引いて、阿部さんはこう論じます。
「大人」たちは未だ「同化」の段階にいる。
「地方にこもる若者たち」の方が「分離」の段階に進んでいる。
つまり、「統合」へと進む準備において、「こもる若者」たちの方にアドバンテージがあるのだ、と。
 
あと二日で「あまちゃん」が終わってしまいます。
ポスト「あまちゃん」を考える上で、とてもいいヒントをいただきました。
 
阿部さん、サンキュ!!

「分からないということを方法化する」

9月16日の日経「経済教室」はたいへん啓発的でした。
タイトルは「経済政策、『不確実』前提に」です。
 
金融危機に関してイギリスの中央銀行前総裁の次の言葉。
「今になってみれば判るが、10年前に判らなかった点は『将来のことはわからない』というケインズの思考の核となる経済のとらえかたであった。」
 
こうもいっています。
「『過去のデータに基づく合理的将来予想の下で最適行動を採用する』といった標準的経済学の単純な考え方が適用できない」
 
合理的推論(私の言葉では「演算」)ではなぜ不十分かといえば、その合理性の根拠となっている事実(データ)が過去のデータに過ぎないからです。
 
では、なぜ過去のデータは過去のデータでしかないか?
それは、「安定が長く続くと内生的に不安定な事態が引きおこされる」からです。
絶好調なバッターが、その好調さ自体のゆえにバランスを崩し、次第にスランプに陥っていくといったプロセスに近いですね。
 
「モデルが経済の現場から受け入れられない場合にはモデル自体のおかしさをまず疑う」
これも大切なことです。
 
私はこれを従来こういってきました。
<分からないということを方法化する>
 
オリジナルは橋本治さんの言葉です。
私はこういう意味で使っています。
 
「分かる」ということから出発しない。
「分からない」ということで終わらない。
「分からない」というところから出発して、「分からない」ままに、「分かっていく」=「分からない次元が深まる」ことを成長であるとする。
 
Love & Work!

リービ英雄

「日本語を書く部屋」(リービ英雄著)を読了。

アメリカの大学の日本学の教授であることを辞めて、「日本語で書く」作家になることを選んだリービさんが、「なぜ日本語で書くか」を語っています。

「17歳の頃、誰かの下宿にいって朝まで話しこんだことがある。
10人の内、ぼく一人だけが日本人ではなかった。
話は1,2割しか理解できなかったが、黙って聞いていた。
下宿の六畳間の空気の中で、言葉が形となって飛び交っているのが見えるような気がした。
教科書の言葉ではなくて、感情の伴った言葉だった。
これはなんだろうと好奇心以上のものに衝き動かされた。
これを自分のものにしたいという思いにかられた。」

その「衝き動かされ」や「思いにかられた」その「かられ」方がいかに大きなものだったかは、続く文によって明らかになります。

「それからは、喋れるようになるまでじっと日本語に耳を傾け、書けるようになるまでひたすら日本語を読んだ。」

すばらしい!

リービさんが日本語ネイティブに求めること、それは次のようなことです。

「日本人として生まれた人でも、日本語を書くためには、一度「外国人」にならなければだめなのだ。
『当たり前な日本語』の『外』に立って、自分の言葉に異邦人として対する意識をもたなければよい作品は生まれない。
(中略)
日本では、そういった普遍的な問題が、文字を通して、他の国よりもはっきりと浮かび上がっているのではないか。
地球レベルで表現することの重要性。
その一つのモデルを、この鎖国の歴史を持った島国が提供するようになっているのではないだろうか。」

私の「グローバル研修」の課題図書は次の3冊でしたが、今後はこの本も加えていきたいと思います。

「日本辺境論」内田樹
「世界で生きる力」マーヅ・ガーゾン
「世界のグロービッシュ」ジャン・ポール・ネリエール