「地方にこもる若者たち」(阿部真大著)を読了。
大都市と田舎の中間の地方都市に若者にとっての「ほどほどパラダイス」が存在している、と著者は指摘します。
大型ショッピングモールの登場とモータリゼーションの完成がそれを実現させた、と。
阿部さんは岡山市での調査を元に論じていますが、私も都城に行ったときに同じ現象を垣間見たので、たいへん納得感が高かったです。
80年代にBOOWYが、「地元への同化を拒否」するために「反抗」を唄う。
そこでは「夢」は「見る」ものであり、叶わぬ夢を抱く「自分」が「母性による承認」によって救い上げられていく。
まあ、「ヤンキー文化」ですね。
90年代に入ると、「同化」を強要する「大人の世界」が安定性を失い、若者がわかりやすい「敵」を喪失してしまう。
そこで、B’zは「夢」を「見る」ものとしてではなく、「叶える」べきものとして再定義する。
そこでは「反抗」ではなく、「努力」=「自己変革」が称揚される。
まあ、「自己実現」のモードですね。
90年代の後半にはミスチルが現れ、今度は「関係性」のなかでの「自己肯定」を唄う。
しかし、ミスチルまでは、その「関係性」は男女=恋愛に閉じていた。
21世紀に入ると、ヒップホップやジャパニーズ・レゲエが男女に閉じない、さらに開かれた「関係性」(新しい「公共圏」)について唄う。
そうした現状が現在の「地元」ブームと響きあっている。
これが阿部さんの見通しのようです。
なるほど!
いわゆる、ダイバーシティ・マネジメント論におけるダイバーシティ・マネジメントの4段階=拒否・同化・分離・統合という4段階説を引いて、阿部さんはこう論じます。
「大人」たちは未だ「同化」の段階にいる。
「地方にこもる若者たち」の方が「分離」の段階に進んでいる。
つまり、「統合」へと進む準備において、「こもる若者」たちの方にアドバンテージがあるのだ、と。
あと二日で「あまちゃん」が終わってしまいます。
ポスト「あまちゃん」を考える上で、とてもいいヒントをいただきました。
阿部さん、サンキュ!!