9月16日の日経「経済教室」はたいへん啓発的でした。
タイトルは「経済政策、『不確実』前提に」です。
金融危機に関してイギリスの中央銀行前総裁の次の言葉。
「今になってみれば判るが、10年前に判らなかった点は『将来のことはわからない』というケインズの思考の核となる経済のとらえかたであった。」
こうもいっています。
「『過去のデータに基づく合理的将来予想の下で最適行動を採用する』といった標準的経済学の単純な考え方が適用できない」
合理的推論(私の言葉では「演算」)ではなぜ不十分かといえば、その合理性の根拠となっている事実(データ)が過去のデータに過ぎないからです。
では、なぜ過去のデータは過去のデータでしかないか?
それは、「安定が長く続くと内生的に不安定な事態が引きおこされる」からです。
絶好調なバッターが、その好調さ自体のゆえにバランスを崩し、次第にスランプに陥っていくといったプロセスに近いですね。
「モデルが経済の現場から受け入れられない場合にはモデル自体のおかしさをまず疑う」
これも大切なことです。
私はこれを従来こういってきました。
<分からないということを方法化する>
オリジナルは橋本治さんの言葉です。
私はこういう意味で使っています。
「分かる」ということから出発しない。
「分からない」ということで終わらない。
「分からない」というところから出発して、「分からない」ままに、「分かっていく」=「分からない次元が深まる」ことを成長であるとする。
Love & Work!