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「日本の身体」

「日本の身体」(内田樹著)を読了。内田さんが茶道家、能楽師、文楽人形遣い、合気道家、女流義太夫、尺八奏者、雅楽演奏家、力士、マタギといった人たちとの日本的身体運用について対談本です。

雅楽演奏家の安倍季昌さんが紹介する「秘曲」と呼ばれる演奏。
20年に一度、伊勢神宮の式年遷宮のときだけ演奏されるもの。
大神相手に音を立てずに演奏する。

「時々、「はあっ」という息遣いは聞こえるし、笛や篳篥(ひちりき)でもひゅうっという音が一瞬鳴ったり、普段はざあらんと鳴らす和琴がちゃらちゃら、くらいだったり、その程度の音は出ますので、まったくの無音ではありません」

そうか、そういう世界があるのか・・・、という感じ。
早川義夫の歌いだし直前の、また歌っている間のブレスの時に一瞬生じる沈黙の中の息遣いを思い出しました。
そこには、 歌っている間(あいだ)よりも歌っている、歌と歌の間(ま)に在る音の不在が在ります。

「秘曲」は、その不在だけで成り立っている歌、そうものなのでしょう。
決して「間延び」しない「間だけの間」。
安倍さんは、「神を感じるひと時」だったと述懐しています。

尺八奏者の中村明一さんが伝える「密息」という呼吸法も面白かった。
胸式呼吸より複式呼吸の方が深いとされていますが、その複式でも尺八には十分ではない。
尺八という「世界で最も効率の悪い管楽器」に対して、「静穏なまま大量の呼気を瞬時にオペレートする」ためには複式呼吸では足りない。
尺八には「一本の筒と化した身体の柔らかな深部を呼吸が往還する」が如き呼吸法が必要であり、それが「密息」。

やりかたも書いてあって、その通りすると、これが案外簡単に「ああこんな感じか」というところまでいける。
これも私の身体もやはり「日本の身体」である証拠なのかも知れません。
ただ内田さんの真骨頂は、こうした日本的身体運用を「世界に冠たる優れたもの」としていないところにあります。
昔、内田さんは「日本辺境論」でこう書いていました。

「アメリカ人はアメリカ人に固有の仕方で病んでいる。
日本人は日本人に固有の仕方で病んでいる。」

ここでも内田さんはオイディプス神話を解説してこう言います。

「身体運用は集団的な仕方で制度化されている。
(中略)
私たちの一挙手一投足は制度的に規定されている。
(中略)
人間の本質は合理的な生き方よりも、自由な生き方を選ぶ点に存する。
単一の正しい生き方よりも、正解の無い多様な生き方を選ぶ点に存する。
(中略)
変な歩き方をするもの、それが人間だ。
神話はそう語って、人間の身体運用の自由と多様性を祝福したのである。」

身体運用の仕方においても「日本人は日本人に固有の仕方で病んでいる」ことを内田さんはちゃんと認めている。
自分もまた、「武道と能楽という『変な歩き方』を日々稽古している」一症例であることを認める。
その文脈では、対談相手の各界の名人達こそ、ある意味、その「固有の病み方」における最たる症例だということになる。

しかし、同時に内田さんはその「固有に変な」身体運用の仕方を日本人が選んできた背景に日本に独特の「自然に対する心性」があるとし、そこに日本の未来の希望の根拠を見出します。
そのロジックもたいへん周到です。

まず、「文明崩壊」のジャレッド・ダイヤモンドに、江戸時代の日本だけが例外的に、森林再生の制度化に成功し、定常社会を成立させたと語らせ、かつダイヤモンドの次の言葉を引きます。

「江戸時代中・後期の日本の成功を解釈するに際にありがちな答えー日本人らしい自然への愛、仏教徒としての生命の尊重、あるいは儒教的な価値観ーは早々に、退けていいだろう。
これらの単純な言葉は、日本人の意識に内在する複雑な現実を正確に表していないうえに、江戸時代初期の日本が国の資源を枯渇させるのを防いではくれなかったし、現代の日本が海洋および他国の資源を枯渇させつつあるのを防いでもくれないのだ。」

この辛らつな表現を逆説的に踏まえて、内田さんは、ダイヤモンドが指摘する日本に過去あった例外的な「強み」が、まだ「負けしろ」として現代の日本にも残っていると言います。
そしてその「負けしろ」が残っており間に、新しい「定常社会」(=非成長社会)を再建すべきだと言います。

そのためには、自然に対する「日本的心性」の再建が先行しなければならないでしょう。
それについては、鈴木大拙の「日本的霊性」を引いて論じます。

「大拙によれば、『古代の日本人には、本当に言う宗教はなかった』。
古代人にももちろん素朴な宗教性はあった。
だが、それは万葉集の歌が教えるように『山を愛し水を愛し、別れを悲しみ、戦いに勇み、男は女を女は男を恋い、慕い、死者を悼み、君を敬い、神々を畏れるなど、すべて自然人の心待ちが歌われている。
生まれながらの人間の情緒そのままで、まだひとたびも試練を通過していない。
全く嬰がい性を脱却していぬといってよい。』
(中略)
『物質に恵まれ、政治権力に近づき得られる貴族で固めた文化財の中からは、宗教は生まれぬ。
霊性は湧き出さない。
美しい女の子が生まれないで、尊貴の身辺に近づけぬ悩み、位が上がらないので威張れぬ悩み、文芸の才が無く男振りが良くないので異性にもてはやされぬ悩みーそんな悩みくらいでは宗教は生まれぬ。』
そして、鎌倉時代に至り、自然と直接向き合って生きる人間たちが登場して、霊的嬰児や柔弱な貴族に代わって精神生活の主人公になったときに、日本的霊性はついに発動する。
『人間は大地において自然と人間との交錯を経験する。
人間はその力を大地に加えて農作物の収穫に努める。
大地は人間の力に応じてこれを助ける。
人間の力に誠がなければ大地は協力せぬ。
誠が深ければ深いだけ大地はこれを助ける。
大地は偽らぬ、欺かぬ、またごまかされぬ。』
(中略)
『大地に足が着いて』はじめて人は霊性の湧出を経験する。
それが大拙の仮説である。
『それゆえ宗教は、親しく大地の上に起臥する人間ーすなわち農民の中から出るときに、最も真実性をもつ。』
(中略)
鎌倉武士が平安貴族に代わって支配者になった理由を大拙は歴史家に抗って『武家に武力という物理的・勢力的なおのがあったためではない」と言い切る。
『彼らの脚こんが、深く地中に食い込んでいたからである。
歴史家は、これを経済力と物質力というかも知れぬ。
しかし、自分は大地の霊という。』
(中略)
なぜ長々と大拙を引いたかというと、私たちが現在「日本の伝統的な身体文化」と呼んでいるものは、その核心部分は、鎌倉期発祥のように私には思われるからである。
武道がそうである。
能楽がそうである。
禅と念仏がそうである。
いずれも人知を超えた圧倒的な自然力、超越的な力を身体を通じて発動させる。
身体を『大地の霊』に供物として捧げる。
その任に堪えるものへと身体を整えること、それが『修行』である。」

あ~、やっと「身体論」に戻ってきた。
長かったな~・・。

内田さんは、身体論を介して日本人論に進み、鈴木大拙を引いて「日本的霊性」に遡行する。
柄谷さんは、柳田国男の「固有信仰」を介して本居宣長の「古の道」に遡行する。
流儀の異なる二人が、しかし、その遡行の目的と長さと方向性において響きあうことを語っているように私には思えます。

柄谷さんの「遊動論」と内田さんの「日本の身体」を前後して読むことができたこのセレンディピティを自ら寿ぎたいと思います。

「遊動論」

「遊動論」(柄谷行人著)を読了。

ここのところ、飛行機だの列車だのバスだのに乗っている時間がずいぶんあったので、ツンドク本の消化がだいぶ進みました。
備忘もかねてメモします。

で、まずは「遊動論」。
柄谷さんが日本のポストモダンを牽引していたころからのファンです。
今、思想界は「ポスト柄谷」の時代へと移行しているようにも見えますが、なんのなんの柄谷さんの疾走ぶりは衰えていない。
やっぱりこの人は本物だ!

「遊動論」は柳田国男を論じたもの。
柳田国男が受容され、かつ批判され、かつ過去の人になろうとしていること、その全体についての強烈な批判となっています。
読んでいて、柳田国男が柄谷さんにかぶってきます。
ああ、柄谷さんは「自分のこと」を書いているんだなー、という感じ。

柳田国男の<山人>についての次の言葉。
「(自分が)無闇に山の中が好きであったり、同じ日本人の中にも見ただけで震える程嫌な人があったりするのを考えると、唯神のみぞ知しめす、どの筋からか山人の血を遺伝しているのかも知れぬ」(→あ、私と一緒だ!)

柳田国男が<山人>への言及から離れて<島人>をテーマにするようになってからの次の言葉。
「ゆえに今もし沖縄の学者たちが、ひとたびこの大小孤島の比較に徹底して、一方には目下自分たちの知友親族等の悩み患うるところのものは、以前久しく微少なる諸族島が、痛烈に味わっていたところの不幸と同じものであったことを知り、さらに他の一方にはそれがまた、この日本という島帝国全体の、行く行くまさに陥らんとするところの惨状を探り治術の要点を見出すことに率先したならば、彼らの学問の光は一朝にして国の光となり、ついには人間界の最も大いなる希望も、これに伴って成長するに違いない」(「青年と学問」)

「青年と学問」は昔、学生時代に読んだんだけど、内容は全く覚えていない。
柳田はここで、<世界の中での日本>と<日本の中での沖縄>と<沖縄の中での諸孤島>との関係が相似形であると言っています。

そして、そこにある苦悩を<世界苦>に対して<孤島苦>と呼び、こう言います。
「諸君の所謂世界苦は、よく注意してみたまえ、半分は孤島苦だ」。

自分の苦悩が<孤島苦>であることを理解したうえで、その<孤島苦>の療術を<世界苦>の療術へと繋げていくこと。
それが出来なければ、「我々は、公平を談ずる資格が無い」(ジュネーブの思い出」)。

柄谷さんは「互酬的贈与関係」、「互酬的交換形式」からの離陸、「純粋贈与」への離陸がなった社会を希求している。
そのような社会の社会構造を生成し条件付ける交換様式、交換形態、つまり「世界宗教が神の名で命じる」<愛>のその唯物的形式を希求している。

それがなぜ必要なのかということ、それを一貫して求めた先駆者として柳田がいたこと、それを次ぐ志を柄谷さんが持っていること(協同組合運動へのコミット)、そこまでは分かった!
で、そこから先。

柄谷さん、柳田さん、分かりました。
私もひとつの<孤島苦>を抱く者として、<孤島苦>の療術を<世界苦>のそれに繋げるべく、生きていきたいと思います。
そして、早く「公正を談じる」資格を有する者となって、「贈与」の「互酬」性の「呪い」から解脱し、<愛>の一つの唯物的表現形式となっていきたいと思います。

柄谷さん、柳田さん、Thanks!

「働く幸せ」

「働く幸せ」(大山泰弘著)を読了。

著者は日本化学工業という会社の経営者。
本社は東京都大田区、基幹工場は神奈川県の川崎市にあるチョークメーカーです。
障害者、それも知的障害者を多く雇い入れて成功していることで有名。

川崎工場:47人の社員33人が知的障害者、内22人が重度。
健常者の大半が事務職で、工場で働く健常者は3人だけ。

障害者を一定割合雇用して手続きをすると「最低賃金」の指定解除を受けることができる。
でも、あくまでも「指定解除」を受けずに、「最低賃金」以上の報酬を払いたい。
そのための工夫がかえって工程改善や付加価値の高い商品の開発に繋がっていく。

なにより、障害者が体中で表す「働く幸せ」が、健常者や大山さん自身に伝わってきて、会社中が「働く幸せ」で充ちていく、そのプロセスに泣かされました。

入社したての障害者が、暴れて机をひっくり返し、出来たばかりの製品を壊してしまう。
入社時の約束どおり、社長は本人を家に帰す。
でも、親御さんには「待っている」と伝える。
大山さんはこう言います。

「私たちは待つことに意味があると考えています。
例えば、毎週のように行動障害を起こていた社員が2週間に1回、3週間に1回というふうに、少しづつでも変化しているようであれば、本人が成長したととらえるのです。
(中略)
そして、待ち続けることで、確実に彼らは成長していくのです。
(中略)
何度家に帰されても、会社に戻ってくるKさんの『思い』を大事にしたかった。
私は張り切って仕事をしているKさんの姿を知っています。
実にいい目をしているのです。
(中略)
『息子が、もうしませんから、母さん、社長さんに電話してと泣いて頼んでいます。
なんとかもう一度受け入れていただくわけにはまいりませんでしょうか。』
(中略)
『一緒に頑張っていきましょう。
明日、楽しみにお待ちしています』
(中略)
以前は、誰かが制止するまで暴れ続けていましたが、あるときから、暴れている途中に気づいて、自分の力で止めることが出来るようになりました。
そして、『また、やっちゃった・・・・、ああ、また帰らないといけない・・・』とつぶやくのです。
(中略)
私は、彼の内面の葛藤を想像しました。
自分ではどうにもならない衝動と、働きたいという思い、彼はその両者の間で必死に戦っていたのです。
(中略)
こんな状態が、5~6年ほども続いたでしょうか。
Kさんは次第に落ち着いて仕事に取り組めるようになっていきました。
ついには鎮静剤も不要になりました。
『働きたい』という思いが勝って、彼に『忍耐力』がついていったのでしょう。
自分の抱えているハンディキャップを乗り越えたのです。
(中略)
今も、Kさんは働き続けています。
あんな暴れて、何十回も帰された人とは思えないくらい、表情はとても和やかです。
それどころか、新入社員のめんどうをとても親切にみてあげるほどに成長しました。
あんなに人にやさしく出来るのは、自分が苦しみを潜り抜けてきたからではないかと思います。
周りの社員との関係も親密です。
”嵐”をともに乗り越えたからでしょう。」

Kさん、偉い!
大山さんも偉い!
社員の皆さんも偉い!

私もKさんのように、自分の中の”嵐”と闘って、その「苦しみを潜り抜け」て、「あんなにやさしく」できる人になりたいです。

Love & Work!