「大人になるという過程は興味深いものです。
我々は理解できないままよからぬ現実を知るのです。
我々は「死」を理解できないまま、死を知ることになる。
世界にはびこる悪について理解できるようになる前に悪を知るようになる。
しかし、心の底からは理解していない。
大人になるとは(そのような)自分の(ありよう)の至らなさを認め、(それでも、その)自分(のそうしたありよう)を赦すことだ。
現実には人生は困難だが、それでも(そのように)折り合いをつけることを学ばねばならない。」
(カズオイシグロ、「NHKの特集番組でのインタビュー」より)
上の分の(カッコ内)のところはわたしの挿入です。
昨日の福岡さんの言に対する彼の応答がこれです。
似たことを、内田樹はこう表現しています。
「人は人生に遅れてやってくる」
人が生まれたとき、世界は先に存在していて、ゲームはすでに始まっており、ゲームのルールも先行して決まっています。
ルールも知らないままに人は世界にいきなり投げ込まれる。
そして、ゲームのルールを学びながらそのゲームを生きなければならない。
イシグロも福岡さんもこうした遅延に対する対応として「折り合い」という言葉を使っている。
でも、私は人生には「折り合いをつける」以上の成熟がありうると思っています。
とはいえ、一旦、「折り合う」しかないというような静謐な諦観を経験することは重要です。
その先には、そこから行かねばなりません。