「絶望が足りない」
(吉本隆明)
What is insufficient is despair.
「希望」という日本語は大変面白いつくりをしています。
希望の<希>はマレ、カスカという意味。
つまり少ないということです。
薄い塩酸が希塩酸、薄い硫酸が希硫酸という場合の<希>ですね。
希望の<希>はマレ、カスカという意味。
つまり少ないということです。
薄い塩酸が希塩酸、薄い硫酸が希硫酸という場合の<希>ですね。
その<希>に<望>と書いて、<希望>。
つまり<希望>とは<望みが少ないこと>、<かすかな望み>だというわけです。
「浅いところで満足してしまう態度」のゆえに<望>が充ちている状態。
そういう「浅い態度」、「自己欺瞞」に対して、吉本は「絶望が足りない」と言ったのだと思います。
ベトナム戦争時に北ベトナムの捕虜となり、後に帰還したストックデールという人は、生き残った理由を尋ねられてこう言っています。
「自分と捕虜仲間に何が起きているかについて注意を怠らず、生き残るための戦略や作戦を日々更新し続けたこと」
逆に死んでいった人たちに共通だったこととしてこういう指摘をしています。
「クリスマスまでには出られるだろう、次はイースターまでには、次は夏が終わるまでには、そしてまたクリスマスまでには・・・・、と常に未来の希望にだけすがっていた人」
ムズカシイですねー。
そこが面白いんですけど。