月別アーカイブ: 2011年7月

石中に火あり

石中に火あり、打たずんば出ず
(セキチュウニヒアリ、ウタズンバイデズ)

A stone has fire inside,
if  you do not hit it,
fire would not appear.

この場合の「石」とは火打石のことです。
火打石を「打つ」と火花がでます。
だから「石中に火あり」。
でも、その石を誰かが「打つ」ことをしなければ、 そこから火は出てきません。

自分の中に「火」がある。
でも、それを打たなければ、「火」はでてこない。
そして、それを「打つ」のは、自分しかないのです。

さて、この言葉は、山本周五郎の「雨上がる」

という短編の中に登場する言葉です。
最近、実家の書棚を整理していて、周五郎の「長い坂」を見つけ、読み返しました。
やっぱり、いいですねー。
そんなこんなで、この言葉を思い出しました。

「あんなものは何でもありません」

「彫刻家になるための苦労を思えば、あんなものは何でもありません」
(佐藤忠良)

That had been nothing to the difficulty I had to be a sculptor.

佐藤忠良さんは今年、99歳で亡くなられました。
世田谷美術館であった展覧会を見てきたばかりだったので驚きまし

た。
「群馬の人」、「常盤の大工」、「オリエ」シリーズなどの代表作も展示されていました。

「オリエ」シリーズのモデルの「オリエ」さんは忠良さんの娘さんで、後に女優になった「佐藤オリエ」さんです。
「寅さんシリーズ」第二作のマドンナですね。
なつかしいなー・・。

さて、忠良さんは先の大戦の終戦後、ロシアに抑留された経験をもっています。
その彼が、その後ロシアを再訪したときに、現地のマスコミにこう尋ねられる。
「抑留生活は大変だったでしょう?」
その問いへの答えが上記の言葉です。

うーん、かっこいい。
こんな台詞をはいてみたいものです。

マスターピース

「セザンヌの不朽の名作といわれる作品の大半は彼の晩年に描かれた。

それは、セザンヌが生涯一貫して最高傑作を描こうとしていたからだ。」
(ダニエル・ピンク、「モチベーション3.0」より)

Most of Cezanne’s masterpieces now evaluated as his immortal work were drawn in his later years.
Because he tried to draw the best picture each time, throughout his life.

平均寿命が長くなるということは、晩年が長くなるということでもあります。
「生涯一貫して最高傑作を描こうとしてい」るような人にとってそれはいいことでしょう。

晩年の目標が「ポックリ死ぬこと」なんていうレベルの人生が不幸なのは、その人生が晩年だけでなくて「生涯一貫して」つまらないものだったからかもしれない。
怖いなー・・。

さて、自分はこれからどんな自分のマスターピースを描こうとしているだろうか?!

もっとも愛し信じていることと現実の職業を結びつける努力

「わたしの生きる目的は
わたしの仕事と使命を一致させること
わたしの二つの目が一つのものを見るように」
(ローバート・フロスト)

フランシス・ウェストリー他著、「誰が世界を変えるのか」(英治出版)からの孫引きです。
P.63に引用されています。
それに先立つ部分にはこうあります。

「使命は、さまざまな形で、さまざまな人に降りてくる。
(中略)
ある人にとって、使命は長期間の献身的な行為となり、

またアイデンティティと宿命を練り上げたものとなり、
あるいは、もっとも愛し信じていることと現実の職業を結びつける努力となる。」

「もっとも愛し信じていることと現実の職業を結びつける努力となる」という部分、グッと来ます。

三品和広さん

「企業など、所詮は生まれて一世紀半しかたっていない未熟な社会制度に過ぎない。

それを大きく変えて進化させる次の一手が日本から出てくるかどうか、見守りたい。」
(三品和広、「02110718付け、日経『セミナール―企業を考える』より)

このシリーズは昨日、18日で連載が終わりました。
なかなか読み応えのある記事でした。
上の言葉はその最後の最後の結語です。

それに先立つ部分で、三品さんはこう書いています。
「たとえば、人事部を廃止して社員に仕事を選ばせる。
社員が集まらない仕事は魅力がない証しなのでやめてしまう。
他方、社員間で取り合いになる仕事は最大の利益貢献を約束する社員に割り振っていく。
約束を果たせなかった社員については、企業に対して『借金』を記録し、将来の稼ぎから返済してもらう。
同じように、給与は企業より受け取るものから、借りるものに変えてしまい、社員は稼ぎの中から返していく。
逆に『預金』できた社員は好きなときに現金化する。
ITを生かせば、社員と企業の貸し借り関係を管理するくらいたやすい。」

なかなか優れた「構想力」です。
さすが三品さん、たいしたものです。

連載、お読みになれましたか?
是非、ご一読を!

熱烈歓迎

「私たち全員が学ぶべきことは、
変化を恐れないことだけではなく、
変化を熱烈に歓迎することであり、
しかも、おそらくさらに重要なのが、
変化を促進、推進することです。」
(トニー・シェイ、「ザッポス」より)

What we all need to learn is
not only not to be afraid of changing,
but also to passionately welcome to changing.
Besides, it is more important
to advance and promote changing.

成長とは<良い方向への変化>です。
成長したいか?と問われればYESと答える人の全員が、
変化したいか?という問いにYESと答えるわけではありません。
「成長はしたい、でも変化はしたくない」
でも、<ソウハトンヤガオロサナイ>のです。

よいはすばらしいの敵である

よいはすばらしいの敵である。
(トニー・シェイ、「ザッポス」より)

Good is an enemy of great.

ほどほどのものを求めていては、ほどほど未満のものにしか到達できません。

例えば、お客があなたの提供するものを、「おもしろいね」と言ってくれたとする。
それはおそらく「断り文句」です。
「共感しました」などという反応も「自分ではやってみたいとは思いません」という意味です。

相手から引き出す反応が、関心→感心→感銘→感動まで行って、初めて人は動くのです。
相手に「関心」があるかないか、ではなくて、自分が相手に「感動」を作り出せたかどうか。
それが真の問題なのです。

「よい」くらいでは感動は生まれません。
「すばらしい」と言わせなければ。
そのためにも自分自身が「よい」以上の「すばらしい」体験を求める人になっていることが必要ですね。

福翁自伝

「時は何時でもかまわぬ、ほとんど昼夜の区別はない、

日が暮れたからといって寝ようとも思わずしきりに書を読んでいる。
読書にくたびれ眠くなれば、机の上に突っ伏して寝るか、あるいは床の間の床ふちを枕にして寝るかついぞ本当に布団を敷いて夜具をかけて枕をして寝るなどということはただの一度もしたことがない。
『なるほど枕がないはずだ、これまで枕をして寝たことがなかったのだから』とその時初めて気がつきました。」
(福沢諭吉、「福翁自伝」より)

福沢諭吉が緒方洪庵の塾で蘭学を学んでいた時の勉強振りを描いた文章の一節です。
高熱がでていよいよ寝なければならなくなって、枕を探したらない。
どうして枕がないのだろうと思ったら、枕などして布団で寝るなどということをついぞしたことがなかったことに初めて気がついたといっているわけです。

若き福沢とその仲間たちの汗の匂いが漂ってくるような文章ですね。
「福翁自伝」、面白くて、ためになるいい本です。
角川ソフィア文庫から出ています。
お勧めです。

胡散臭さ

「真理をさがし求めている人を信じなさい;
でも、真理をすでに知っているという人がいたら、

疑ってかからねばなりません。」
(アンドレ・ジッド)

Believe those who are seeking the truth;
doubt those who have found it.

アンドレ・ジッドなどという名は最近ついぞ聞きませんね。
今の若い人は読むんだろうか?
そもそも名前知ってる?

「狭き門」とか、「一粒の麦死なずば」など、聖書の中のイエスの言葉をタイトルにした本も多い作家です。
ノーベル賞もとった大家だけど、彼の著作はカトリックでは「禁書」扱いを受けたりもしています。
 

上の言葉、コンサルタントなどという仕事をしている者として、自分のしていることのある種の「胡散臭さ」を自覚しておく必要性を感じさせるものとなっています。
自覚した上で、「野暮を承知で」踏み込んでいく、それがプロというものなんですけど。

ドアマンになりたい

「ザッカーマンがティーンエージャーだったころ、

スクールカウンセラーが彼にこう尋ねた。
『何にでもなれるとしたら、何になりたい?』
彼は答えた。
『ドアマンになりたい。
だれかのためにドアを開けるのが好きだし、喜んでもらえると僕も嬉しいから』」
(レイチャル・ボッツマン他、「シェア」より)
後に、ザッカーマンは地元住民に日曜大工のツールを貸し出す「サンタローザズ・ツールライブラリ」を開設。
最初は自宅の物置で手持ちの15種類の工具を貸し出すことから始めます。
引退した自動車整備工がツール一式を寄付してくれた時がターニング・ポイントになりました。
今では数百のツールをそろえるまでになって、週中でも毎日5人がここに工具を借りにやってくる。
週末には15人になる、とのこと。
確かに、「だれかのためにドアを開け、喜んでもらう」仕事についたわけですね。