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より少なく働き、よりよく働き、よりよく生きる

「身体を引き締める食べ方」(石川三知著)を読了。

石川さんはフィギャースケートの高橋大輔さんの食事のコーチをしている方。

石川さんの提唱する食べ方とは、主食:主菜、副菜類を重さの比で1:1:2で食べるというもの。

有名な「食事革命」が提唱する、炭水化物:たんぱく質:脂質をエネルギー比(カロリー費)で、4:3:3で食べるというのを思い出しました。
この4:4:3はエネルギーベースなので、これを実現するためには全部の食材についての栄養分析×カロリー計算が必要になります。
実際には毎日の食事になかなか使えない。

その点、石川さんの1:1:2は重さの比だし、主食:主菜、副菜類という大雑把な分類なので、とっつきやすいといえるでしょう。
こういうやりかたで、炭水化物:たんぱく質:ビタミン等のミネラルの摂取のバランスを、炭水化物↓、たんぱく質↑、ビタミン等↑へと誘導していこうという趣旨なんだろうと思います。
カロリー比より重量比の方が測りやすいのは当然ですが、とはいえ、重量比といっても食材の重量(調理前)なのか、料理の重量なのか(調理後)なのかといったあたりが曖昧だなーと思いながら読みました。
おそらくは調理後の重さなんだろうと思います。
つまりは「だいたいこんなふうに気をつけていると、まあまあこんなふうに調子がよくなる」といったアバウトな指南書になっている。

とはいえ、ご飯150グラム:お肉150グラム:野菜300グラムを毎食摂るというのはそう簡単なことではないでしょう。
いくつかレシピも掲載されていますが、個別のレシピがいくらあってもそうは役に立つとは思えません。

結局はご飯を減らして、肉もちゃんと食べる、が全体としては野菜中心といった食事なります。
里山に住んで、自家菜園で季節の野菜が豊富に採れるといった環境でないと、なかなか継続的な実践は難しいなー、と思いました。

これまでも、食事のあり方についてはずいぶん模索を続けてきました。
丸元淑生さん→ナチュラルハイジーン→マクロビオテック→無糖質ダイエットといろいろ試してみました。
その全てが今の私の身体を形作っています。
感謝!

人類はその誕生以来、ずーーと「食べ」続けているのに、未だに「何をどう食べるか」といったことについて決定的な知識を欠いている。
それが不思議といえば不思議、面白いといえば面白い。

今時点で、食事に関して私が学んだ一番確かなこと。
それは<我々は食べ過ぎている>ということです。

<より少なく食べ、よりよく食べる>
これが私の理想の食べ方です。

あれ?どこかで聞いたことがあるなー。
そうだ、アンドレ・ゴルツの「労働のメタモルフォーズ」の中のあの台詞に似ているんだ。

<より少なく働き、よりよく生きる>

もちろん、<より少なく働く>ことが<よりよく生きる>ことに繋がるためには、<よりよく働く>といったことが実現されていなければなりません。
<よりよく働く>とは、では、どういうことか?
これはつまり<働くことの≪よさ≫とはなにか?>ということでもあります。

食と働、この二つが私のなかでこんなふうに問題領域としての重なり合いを有しているのだということがよく分かりました。


Love & Work!

ポスト「あまちゃん」

「地方にこもる若者たち」(阿部真大著)を読了。
 
大都市と田舎の中間の地方都市に若者にとっての「ほどほどパラダイス」が存在している、と著者は指摘します。
大型ショッピングモールの登場とモータリゼーションの完成がそれを実現させた、と。
阿部さんは岡山市での調査を元に論じていますが、私も都城に行ったときに同じ現象を垣間見たので、たいへん納得感が高かったです。
 
80年代にBOOWYが、「地元への同化を拒否」するために「反抗」を唄う。
そこでは「夢」は「見る」ものであり、叶わぬ夢を抱く「自分」が「母性による承認」によって救い上げられていく。
まあ、「ヤンキー文化」ですね。
 
90年代に入ると、「同化」を強要する「大人の世界」が安定性を失い、若者がわかりやすい「敵」を喪失してしまう。
そこで、B’zは「夢」を「見る」ものとしてではなく、「叶える」べきものとして再定義する。
そこでは「反抗」ではなく、「努力」=「自己変革」が称揚される。
まあ、「自己実現」のモードですね。
 
90年代の後半にはミスチルが現れ、今度は「関係性」のなかでの「自己肯定」を唄う。
しかし、ミスチルまでは、その「関係性」は男女=恋愛に閉じていた。
 
21世紀に入ると、ヒップホップやジャパニーズ・レゲエが男女に閉じない、さらに開かれた「関係性」(新しい「公共圏」)について唄う。
そうした現状が現在の「地元」ブームと響きあっている。
これが阿部さんの見通しのようです。
なるほど!
 
いわゆる、ダイバーシティ・マネジメント論におけるダイバーシティ・マネジメントの4段階=拒否・同化・分離・統合という4段階説を引いて、阿部さんはこう論じます。
「大人」たちは未だ「同化」の段階にいる。
「地方にこもる若者たち」の方が「分離」の段階に進んでいる。
つまり、「統合」へと進む準備において、「こもる若者」たちの方にアドバンテージがあるのだ、と。
 
あと二日で「あまちゃん」が終わってしまいます。
ポスト「あまちゃん」を考える上で、とてもいいヒントをいただきました。
 
阿部さん、サンキュ!!

「分からないということを方法化する」

9月16日の日経「経済教室」はたいへん啓発的でした。
タイトルは「経済政策、『不確実』前提に」です。
 
金融危機に関してイギリスの中央銀行前総裁の次の言葉。
「今になってみれば判るが、10年前に判らなかった点は『将来のことはわからない』というケインズの思考の核となる経済のとらえかたであった。」
 
こうもいっています。
「『過去のデータに基づく合理的将来予想の下で最適行動を採用する』といった標準的経済学の単純な考え方が適用できない」
 
合理的推論(私の言葉では「演算」)ではなぜ不十分かといえば、その合理性の根拠となっている事実(データ)が過去のデータに過ぎないからです。
 
では、なぜ過去のデータは過去のデータでしかないか?
それは、「安定が長く続くと内生的に不安定な事態が引きおこされる」からです。
絶好調なバッターが、その好調さ自体のゆえにバランスを崩し、次第にスランプに陥っていくといったプロセスに近いですね。
 
「モデルが経済の現場から受け入れられない場合にはモデル自体のおかしさをまず疑う」
これも大切なことです。
 
私はこれを従来こういってきました。
<分からないということを方法化する>
 
オリジナルは橋本治さんの言葉です。
私はこういう意味で使っています。
 
「分かる」ということから出発しない。
「分からない」ということで終わらない。
「分からない」というところから出発して、「分からない」ままに、「分かっていく」=「分からない次元が深まる」ことを成長であるとする。
 
Love & Work!

リービ英雄

「日本語を書く部屋」(リービ英雄著)を読了。

アメリカの大学の日本学の教授であることを辞めて、「日本語で書く」作家になることを選んだリービさんが、「なぜ日本語で書くか」を語っています。

「17歳の頃、誰かの下宿にいって朝まで話しこんだことがある。
10人の内、ぼく一人だけが日本人ではなかった。
話は1,2割しか理解できなかったが、黙って聞いていた。
下宿の六畳間の空気の中で、言葉が形となって飛び交っているのが見えるような気がした。
教科書の言葉ではなくて、感情の伴った言葉だった。
これはなんだろうと好奇心以上のものに衝き動かされた。
これを自分のものにしたいという思いにかられた。」

その「衝き動かされ」や「思いにかられた」その「かられ」方がいかに大きなものだったかは、続く文によって明らかになります。

「それからは、喋れるようになるまでじっと日本語に耳を傾け、書けるようになるまでひたすら日本語を読んだ。」

すばらしい!

リービさんが日本語ネイティブに求めること、それは次のようなことです。

「日本人として生まれた人でも、日本語を書くためには、一度「外国人」にならなければだめなのだ。
『当たり前な日本語』の『外』に立って、自分の言葉に異邦人として対する意識をもたなければよい作品は生まれない。
(中略)
日本では、そういった普遍的な問題が、文字を通して、他の国よりもはっきりと浮かび上がっているのではないか。
地球レベルで表現することの重要性。
その一つのモデルを、この鎖国の歴史を持った島国が提供するようになっているのではないだろうか。」

私の「グローバル研修」の課題図書は次の3冊でしたが、今後はこの本も加えていきたいと思います。

「日本辺境論」内田樹
「世界で生きる力」マーヅ・ガーゾン
「世界のグロービッシュ」ジャン・ポール・ネリエール

「牛乳の未来」

「牛乳の未来」(野原由香利著)を再読。

実家の父が、北海道、中標津の北根室ランチウェイを歩いてみたいと言い出しました。

 
 
「なら、付き合うよ」と気軽に応じてしまい、そこからあれこれと調査。
そしたら、「あれ?、以前にここいら辺について何かで読んだ気がする」ということになって、実家の本棚をひっくり返して取り出してきました。

再読してみて、改めてすばらしい本だと思いました。
2004年に刊行された本で、そのときにすぐ読んだのですが、それから約10年、ここに書かれていたこと、ここで読んだ(はずの)ことは、ボディブローのように私に(私の考えや感じ方に)ずいぶんと効いていたのだと感じました。

旭川の「斉藤牧場」の斉藤晶さん、足寄の「ありがとう牧場」の吉川友二さん、そして中標津の「三友牧場」の三友盛行さん、他にも岩手の「中洞牧場」の中洞さん(毎週ここのミルクを買っています)など、放牧で乳牛を飼う酪農家の仕事ぶりがルポされている本です。

特に、「蹄耕法」という、放牧した牛に山を拓かせる、一種の自然農法→自然酪農を実践する、「山地酪農」の(今や)カリスマ、斉藤さんの生き方に感嘆。
一緒に入植した開拓団が解散になったとき、只一人独身だったため、その時点で土地の割り当てさえなく、それまで本部職員としてさんざんタダ働きしてきた斉藤さんにも、頭割りで借金が押し付けられてしまう。
斉藤さんは4年間の出納簿を持っていたから、いざとなったらそれを証拠にことの不当性を訴えられるはずだった。
そのとき彼が考えたこと、そして行ったこと。

「ンでもある日、『こんなごといつまでも引きずっていたら、こんな証拠残しておごうなんて考えたら自分がダメになる』って思ったんですよ。
『だったらそんなものゼロにしてしまえ」って、皆に黙って、預かっていた帳簿を皆焼いてしまったんです。
私は仲間より一回り若いんだから、何とかなるだろうって思ったんです。
そうして、『これからは頼れるのは自分だけだ』と。
そうゆうどごに自分を追い込んだんですよ。」

そして、行政からも、農協からも、組合からも距離を置いて、「蹄耕法」に行き着く。
その様は、「奇跡のりんご」の木村秋則さんを彷彿とさせます。

斉藤さんよりはずっと若い世代に属する三友さんの実践、そして思想もすばらしい。
彼の酪農は「マイペース酪農」として知られています。
借金ズケで頭数を増やし、その世話に忙殺されて、牛も自分も家族も不幸、なんていう酪農地獄からの解脱は決して難しくない。
頭数を減らせばいいのだ。
その分、乳量は減るけれど、その分、かかるお金も、かけなければならない労力も減る。
収入は決して減らない、むしろ増える。
仕事は楽しく、牛は健康で、土地も美しい・・・。

そんな三友さんが米作に関してこういうことを言っています。
減反ゼロ、全面積作付け、但し、面積当りの収量を減らす。
面積当りの収量が半分になれば、全面積作付けしても、50%減反したのと同じ。
収量を減らしていいとなれば、「水田の力、応分の収量」になる。
「牛乳と同じで、たくさんというのはあれ美味しくないってことだから、養殖と同じ。
で、美味しくて安心で安全になるの、結果として、収量落とせば。」

秀逸なのは次のような議論が続いていることです。
「で、そのときに『じゃあ採算が合うかどうか』、これ別な議論だから。
農業論議するときに、価格の問題と品質の問題を一時切り離してあげないとね、これリンクして話するとね、もうこたこたになっちゃう。
で、日本人の仕事だと話の展開の悪いところは、その手段と目的を一緒にしちゃうから、こたこたになって進まないのね。
で、『何を大切にするか』って。
『これ大事にしよう』って。
その次に、『手段をどういうふうにするか』って。
で、手段はあのいろんな知恵だとか方法論で解決できる。」

 
最後に三友さんはこうも言っています。
「で、『マイペース』だとか『三友さん』っていうのが世間から注目される不幸っていうのがある。
こんなのは所詮路傍の石と同じで、うん、当たり前になればね、当たり前になっていることは、日本が成熟化していくことよね。」
 
2004年に書かれた台詞です。
それから我々は「成熟」することにどれほど成功できたでしょうか?

浅川智恵子さん

「結果はどうあれ、一度始めたことは最後までやる。
これは私の生き方です。
目が見えない人間の選択肢は限られている。
少ない選択肢の中から選んだものを諦めたら他にやれることはない。
健常者なら次を探せるでしょうけど、私たちには簡単じゃないんです。
決めるときは真剣に考え、選んだからにはやり抜く。
それと2つ選択肢があったら難しいほうにチャレンジする。
こうしてやってきました。」
(浅川智恵子、日経6月5日夕刊「人間発見」欄より)
浅川さんはIBMのフェローという肩書きをお持ちの方。
IBMフェローというのはIBMの技術職の最高位で、全世界のIBM社員40万人の内の100人に満たない。
日本ではノーベル賞受賞者の江崎玲於奈さんに続く5人目。
視覚障害者で、2人の娘さんの母親でもある。
視覚障害者の情報アクセスビリティの向上のための研究~開発で大きな業績を挙げておられます。
例えば、「紙の点字をデジタル化する点字編集システム」、「点字検索システム」の開発など。
それまでは、英語の辞書を調べるのに、全100巻に及ぶ点字辞書をくくらなけっればならなかった。
それがデジタル化されて、いかに便利になったかは容易に想像できます。
ご本人もこう述懐しておられます。
「私自身が苦労した経験がもとになっています。
実用化したものが自分の役にも立つ。
楽しかったですね。」
高齢者や非識字者といった情報アクセスビリティに障害がある人は世界人口70億の1/3に及ぶ。
だとすれば、視覚障害者はある意味、マイノリティではないことになります。
逆かな?
むしろ、自分のマイノリティ性に気づけるという点でアドバンテージを持っているのが視覚障害者だというべきなのかもしれません。
すべての人(個人)は残りの全人類との関係では常にマイノリティなのですから。
浅川さんの業績はそうしたことを証明して見せた。
アッパレです!

<分からないを方法化する>

「人は分からないから考え、想像し、工夫し、成長するのだ。
自分の仕事の本質をなんとか見定めようと目を凝らすのだ。
小説とは何か、新聞とは何か、芸能とは、工芸とは、電気機器とは、車とは、建築とは・・・・ということを。
それはきっと『すぐに分かる』ような薄っぺらない場所ではなく、奥行きのある場所に自分が身を置いている証なのだと思う。
そうして、なかなか分からないものに、いつまでも面白がって係わっていけるとしたら、それこそが仕事をする上で至高のぜいたくであり、幸せなのではないか、近頃思い始めている。」
(木内昇、日経新聞2013/3/31、文化欄「分からないから面白い」より)
木内さんの仕事論を取り上げるのはこれで二度目です。
ね、なかなかいいでしょ。
エセーのタイトルは「分からないから面白い」というケレン味のない(=あまり面白くない)ものですが、彼女が言いたいことはもっと「面白い」ことだと思います。
橋本治は一歩進めて、「分からないを方法化する」ということを言ってます。
分からないから考えない
   ↓
分からないけど考える
   ↓
分からないから考える
同じ「分からない」が、同じ「から」によって結ばれて、「考えない」に至ったり、「考える」に至ったりする。
この差異はいったいどこから生じるのでしょうか?
それは「分かりたい」という欲望からだと思います。
分からなかったことが分かるようになる。
理解できなかったことが理解できるようになる。
そういうことより嬉しいどんなことが他にあるでしょうか?
だからこそ、知らないこと=怖いこと、に挑む。
挑むからこそ、上手くいかなくても、挑む前より一目盛りだけ強くなってる。
そうやって、できなかったことが少しづつできるようになっていく。
それが「成長」だと、木内さんは言っているんだろうと思います。
異議ナ~シ!

<桜は散らない>

東京の桜が昨日がピークだったんだそうですね。
今日からは徐々に「花吹雪モード」になっていくんでしょう。
それもまた一興ですね。

さて、この時期になるといつも思い出すことがあります。
実は<桜は散らない>ということです。
<桜は散らない>、雨にも風にも負けない(宮沢賢治みたいだ)。

桜は、桜花は、それを愛でる私たちの都合で咲いているのではありません。
桜は桜の都合で桜花を咲かせているのです。
桜が桜花を咲かせる都合とは、それによって虫を集めて受粉を手伝わせる、というものです。

では、めでたく受粉が済んだら、桜はどうするか?
そのとき桜は桜花を<落とす>のです。
桜は<散る>のではない、桜はその用を終えたときに花びらを自ら<落とす>。

両親が住む実家の庭に落葉広葉樹が生えています。
落葉広葉樹ですから、秋になると紅葉し、そして冬になると落葉します。
庭には落ち葉のじゅうたんが敷かれ、枝は裸になって天を指します。

ある年に、その樹の枝が一本、秋口の台風で折れて落ちてしまいました。
いまだ紅葉していない青い葉をつけたままにです。

その枝の葉は、地面に落ちて、時がたっても紅葉しない。
枝から離れて散ることもない。
それは枝についたまま、緑のままに色あせて、ただ朽ちていった。

落葉広葉樹の紅葉と落葉もまた、「散る」プロセスではなく、樹が自ら「落とす」プロセスだ分かりました。
「散る」プロセスは「死ぬプロセス」です。
「落とす」プロセスは「生きる」プロセスです。

桜に戻せばこういうことでしょう。
桜は<潔く散っている>のではない、計画的に、意図的に花を落とすことによって<しぶとく行き続けている>のだ。

人が生きるということも、企業が生きるということも同じだと思います。
ドラッカーはこう言っていましたね。

「イノベーション戦略の一歩は、古いもの、死につつあるもの、陳腐化したものを計画的かつ体系的に捨てることである。

イノベーションを行う組織は、昨日を守るために時間と資源を使わない。
昨日を捨ててこそ、資源、特に人材という貴重な資源を新しいもののために解放できる。」
(P・ドラッカー、「マネジメント」より)

再見!

Modern Meeting

「次の会議までに読んでおくように!」(アル・ピタンパリ著)を読了!

私も仕事で<会議コンサル>をします。
だからピタンパリさんは同業者ということになります。

次の台詞が一番気に入りました。
 「会議は、フットボール中継を永久に中断させるように思えるTVコマーシャルではなく、むしろ、デイトナ500のときの、自動車レースのピットのようでなければならない。」

日本のホワイトカラーは自分のタスクに対するオーナーシップを持っていません。
オーナーシップないタスクについてピタンパリさんのいうモダン・ミーティングを主宰することは原理的に不可能です。
ですから、ここに書かれていることを日本の企業に制度的に導入することは極めて困難だと思います。
とはいえ、「自分が主宰する会議」をローカルにモダン・ニーティングに変えていくことは可能でしょう。
そういう志のある人には有効な提案に富んでいます。

私が<会議コンサル>をするとき、いつも言うことは次のことです。

「会議っていう日本語を英語になおすとMeeting.
このMeetって動詞には<出会う>という意味もあるんだ。
会議をするなら、<出会い>を創造するような会議にしなくっちゃね!」

「機械との競争」


「機会との競争」(エリック・ビリニョルフリン、アンドリュー・マカフィー著)を読了。

テクノロジーが雇用を奪うという現象は今に始まったことではありません。
両者は常に「競争」してきた。
ラッダイト運動(イギリスで19世紀初頭に起きた、機械破壊運動)は有名ですね。

とはいえ、結果的には両者は常にある種の均衡点に達した。
しかし、コンピュータライゼーションはあまりに「早すぎ」て、破壊を「創造的破壊」に転じることが今までになく難しくなっている。
そのことをとても分かりやすく論じています。

ではどうすればいいか?
Plan1:コンピュータが苦手なことが得意な人材になる
コンピュータが苦手なのは、創造的であることと肉体労働(ここで「肉体労働」が出てきたところにキョを突かれました)。
逆にコンピュータが得意なのは「規則に従うこと」。
だから「規則」=手順の学習に長けている人は「機械との競争」に決して勝てない(なるほど!)。

Plan2:コンピュータと「共闘」すること。
「機械と競争」しないで、それを使って一緒に闘う。
コンピュータがチェスで名人を破ったということはよく知られています。
しかし、その後、チェスで一番強いのは、人間でもコンピュータでもなく、コンピュータを使ってプレイする人間。
つまり人間とコンピュータのチームが一番強い。
今ではそうなっていることはあまり知られていない(ウン、知らなかった)。

私にとっては、「覇者の未来」(デビッド・C・モシュラ著、1997年)がテクノロジーを文明論レベルで読み解く際の出発点となった本でした。
「覇者の未来」が「未来」と呼んでいたのは、「2010年までの未来」でした。
まさしく、♪あの頃の未来に僕らは住んでいる♪わけです。

そろそろ自分が生きている時代についてのパースペクティブを更新する時期が来ているのかもしれません。
いい刺激になりました。

エリック&アンドリュー、Thank you!