<分からないを方法化する>

「人は分からないから考え、想像し、工夫し、成長するのだ。
自分の仕事の本質をなんとか見定めようと目を凝らすのだ。
小説とは何か、新聞とは何か、芸能とは、工芸とは、電気機器とは、車とは、建築とは・・・・ということを。
それはきっと『すぐに分かる』ような薄っぺらない場所ではなく、奥行きのある場所に自分が身を置いている証なのだと思う。
そうして、なかなか分からないものに、いつまでも面白がって係わっていけるとしたら、それこそが仕事をする上で至高のぜいたくであり、幸せなのではないか、近頃思い始めている。」
(木内昇、日経新聞2013/3/31、文化欄「分からないから面白い」より)
木内さんの仕事論を取り上げるのはこれで二度目です。
ね、なかなかいいでしょ。
エセーのタイトルは「分からないから面白い」というケレン味のない(=あまり面白くない)ものですが、彼女が言いたいことはもっと「面白い」ことだと思います。
橋本治は一歩進めて、「分からないを方法化する」ということを言ってます。
分からないから考えない
   ↓
分からないけど考える
   ↓
分からないから考える
同じ「分からない」が、同じ「から」によって結ばれて、「考えない」に至ったり、「考える」に至ったりする。
この差異はいったいどこから生じるのでしょうか?
それは「分かりたい」という欲望からだと思います。
分からなかったことが分かるようになる。
理解できなかったことが理解できるようになる。
そういうことより嬉しいどんなことが他にあるでしょうか?
だからこそ、知らないこと=怖いこと、に挑む。
挑むからこそ、上手くいかなくても、挑む前より一目盛りだけ強くなってる。
そうやって、できなかったことが少しづつできるようになっていく。
それが「成長」だと、木内さんは言っているんだろうと思います。
異議ナ~シ!

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