「SEの持つべき思想」(秋月昭彦・爪生聖著)を読了。 この春、久々にSIの会社の新人研修に出講するので、「お勉強」の一貫で読みました。 アジャイル開発関する記述にもびっくり。 最終章は普遍的な意味での「成長論」としても秀逸です。
ツンドク状態が10年、やっと読めました。
10年前の本ですが、ぜんぜん古くなっていない。
つまり、SEが抱える問題はいっこうに解決されていないということですね。
業界的には最近やっと一般的になってきた手法です。
しかも説明が根源的で、単なる開発手法としてだけでなく、コミュニケーション論としても読める。
もっと早く読んでおけばよかった。
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「これだけPDCA!」
今年も新人研修を受注したので、最近売れているこの分野の本のチェックをしておこうとおもって・・・。 なぜPDCAは回らないのか、という問いに、川原さんは「そもそもP(=計画)が計画になっていないからだ」と言います。 私は、常々こう言っていきました。 私の場合は、欲望→ゴール→計画→実践。 <欲望→目的→ゴール→計画→PDCA> PDCAに終わりはない。 お勧めです。
これがなかなかいい!
多くの計画が「偽の計画」になってしまっている。
「本物の計画」とはその上位に、目標があり、そのまた上位に目的がある。
目的と目標と計画の区別のないところに、本当の計画はない。
そういう類のことを言っておられます。
全くその通りでしょうね。
「欲望とゴールと計画と実践を垂直統合しなければならない」
ちょっと似ている(ちょっと違うけど)。
川原さんは、目的→目標→計画→PDCA。
合体させればこうなります。
それは成長に終わりがないから。
組織の成長のためには組織の基礎力の向上が必要。
基礎力とは「当たり前にできることのレベル」のこと。
その「当たり前にできることのレベル」が上がっていくことこそが<成長>である。
といったことが結論。
これも全くその通りですね。
グローバル人材を定義する
皆さん気持ちのいい方々で楽しい研修になりました。
結論はこうです。
「グローバル人材とは<何でも食べられて、どこでも寝られて、誰とでも友達なれる人>のこと。
しかし、本当に何でも食べたり、どこででも寝たり、誰とでも友達になろうとしたら命が幾らあっても足りない。
<何でも食べられて、どこでも寝られて、誰とでも友達なれる人>とは、つまり、<食べていいものいけないもの、寝ていい場所いけない場所、友達になろうとしていい人いけない人をその場で見分けられる人>のことです。
そういう力のことを<先験力>という。
では、その<先験力>を鍛えるのはいつか?
それは、今現在から、それがいざ試される時点までの、全瞬間である。」
前半の<先験力>というコンセプトはは内田樹さんからいただいたもの。
後半は私オリジナルのメッセージです。
あー、楽しかった!
また、お座敷がかかるといいなー!!
「いい会社」
今朝の日経に「いい会社」とは何かを論じた記事が掲載されていました。
こうあります。
「会社の良さは社員一人ひとりの表情に出る。
まずは社員を大切にしなければ現場の力が弱まり、時代や顧客のニーズを汲み取る力も落ちる。
新しい価値も創造できない。」
「いい会社とは、働いている人が幸せな会社。
思い切り働き、結果を出し、その過程で係わる人を皆、幸せにするのが本当の仕事。
ろくに働かなくても高収入という職場があったとしても決していい会社ではない。
命が生きていない。」
「安定しているが時に不自由な家族型経営でもなく、短期の株価だけを気にする時価総額経営でもなく、社員が生き生きと働き、社会にも株主にも得がある。
そんな新しい成長企業。
新しい「いい会社」」
いかがですか?
なかなかいいでしょう?!
<「いい会社」とは、自分にとって「都合のいい会社」のことではない。
皆にとっての「いい会社」だ。
そんな会社が予めあるわけではない。
でも、自分の会社をそんな会社にしようとすることはできる。
そのためには「自分にとっての都合の良さ」を求めるよりも、「自分にとっての都合の悪さ」を引き受けようとする、そういう人がいなくてはならない。
そういう人に自分がなろうとする、そういう人が出てくる会社。
いい会社とは、そういう会社だ>
Love & Work!
「駆ける少年」
今朝の日経の文化欄にアミール・ナデリというイラン人の映画監督の文章が載っています。
「私は路上で育った」という文で始まります。
「海に捨てられた空き瓶を拾い集めたり、靴を磨いたり、水を売ったり。
生き延びるための仕事はみんなやった。
浜辺の廃船で一人で寝起きした。
動く物に興奮した。
自転車、列車、飛行機。
港の外国船にあこがれた。
家族のいない私の足を止めるものはなかった。」
「一緒に遊んでいた友達がいなくなった。
どこにいるのかと思ったら、学校にいた。
私は8歳でようやく学校に入った。
字を読めなかったので、同じクラスに上がれるよう懸命に勉強した。」
「貧しいとは思っていなかった。
ないものを悔やみはしなかった。
自分の目的ははっきりわかっていて、それに向かって走る。
何か手に入れたら、友と分け合う。
そうやってずっと生きてきた。」
「私とキロアスは自分の経験しか映画にしないと決め、児童映画を撮り始めた。
『駆ける少年』を撮ったのはイランイラク戦争が始まり、親を失ったストリートチルドレンが急増したからだ。
この映画は作らなければいけない。
命がけで撮った。
戦争の真っ最中で、撮影場所が翌日は爆撃で破壊されていたこともあった。」
「NYでは毎週月曜日の朝に市役所の前で待ち構え、撮影許可を取りに来る人たちと知り合った。
米国は列に並ぶより、走って手に入れる国だ。
私は走る人だから成功できた。」
ここへきて、今年の最高の文章と出会いました。
嬉しい!
『駆ける少年』は12月22日に渋谷で公開。
観なくっちゃ!
Run!
Don’t walk!
Jリーグの育成
今朝の日経の朝刊、41面、スポーツ欄に、サッカーのJリーグの「育成」に関する記事がありました。
こんな内容です。
まずはJリーグの現状についての、日本サッカー協会技術委員長の言葉。
「選手がひたむきになっていない。
ちょっとした接触で倒れ、なかなか起き上がらない。
ゴールに向かわず、後ろでパスばかりしている。
ゴール前の攻防が余りに少ない。」
解説者の清水英彦氏の言葉。
「みんなそろってリスク回避ばかり考え、腰が引けている。
スカッとするものがない。
世相と同じじゃ困る。」
柏レイソルの強化部長の言葉。
「俺はこの柏のサッカーに中毒してるんだという人を作りたい。
週に一度、これを観ずにはいられないんだという人を。」
「柏が求めているのは攻撃的な選手。
まずは相手の良さをすべてむしり取る。
マークするのではなく、プレーさせない。
それはすべて攻撃のためだと考える。
ポジショニングで勝負を優位に持っていき、相手の一歩先を行く。
そんな選手を作ってきた。」
Jリーグ技術委員長の言葉。
「世界で通用する選手を作ると言うが、それがどういう選手なのか細かく表現できないコーチがいる。」
「育成に関しては現場に丸投げし、しかもコーチの仕事のチェック機能がない。
コーチは自分の仕事を振る返り、自己分析していない。」
日本サッカー協会副会長の言葉。
「5年に一人は代表選手を育てるという覚悟をクラブにもって欲しい。
Jリーグアカエデミアはすごい指導をしていると思われなくては。」
是非、記事をお読みください!
Love & Work!
自分の碁を一旦壊してみる
棋士の今村俊也プロの話です。
彼がスランプに陥った時に、藤沢秀行先生にこう言われた。
実は、彼が言われたんじゃなくて、秀行先生が別の弟子に言っていたことを聞いただけだったらしいんですが。
<自分の碁を一旦壊してみなさい>
例えば、囲碁の最初の一手のことを<アタリ>と言います。
今村さんはこう思った。
「自分はアタリを知っているから習慣的にそこに打っているが、もしアタリを知らなかったとしたら、自分はいったいどこに打つか?―そこからを考え直してみなければいけない。」
そうした模索の結果、彼はスランプを脱し、その後、<世界一厚い碁>と言われる<棋風>を確立しました。
いい話です。
とはいえ、そのためには、<一旦壊してみる>なにかを持っている必要があります。
でも、ひるんでいるわけにはいきませんね。
「ニーチェの馬」
立ち往生した馬が御夫にしたたかに打たれるのを目撃したニーチェは馬に駆け寄り、馬を抱き、昏倒する。 ニーチェはキリスト教と闘いました。 永井均さんがどこかでこう言っていました。
目覚めて、語った言葉が、「母さん、私は愚かでした」。
そして、そのまま発狂。
10年の介護生活の後に死去。
これは一種のホラーだと思いました。
そして、人類の歴史そのものがある種のホラーなのだということが、タル・ベーラ監督の言いたかったことなのではないかとも。
ということは、キリスト教が悪と闘う、その闘い方と闘った、ということです。
つまり、彼はそのようにして悪と闘った。
「ニーチェがなぜ発狂したかと問うてはならない。
彼はただ狂ったのだ。」
「ある男」
「短編」ですから、物語はそれぞれの「ある男」が、屈託を抱えたまま、あるいは「不吉な予感」のうちに終わります。 お勧めです。
もちろん、その周囲には「ある女」たちも。
自分だったら、その後の「男」の人生をどう生きるか?
「仕事の充実はどこから来るのだろうか?」
「仕事の充実はどこから来るのだろうか?
立身出世したり名を知られたりすることよりも大切なのは、一緒に働く人を大事にすることではないか。
『この人とこういう仕事が出来た』と納得できる経験を積み重ねた先に、働くことの喜びがあると私は思う。
仕事とは『自分らしさ』を際立たせるという考えがあるが、それは違う。
自分とは外からの反響音で確かめるものだからだ。
現実には誰もが仕事人として大成できるわけではない。
既成の評価に一喜一憂するのは寂しい。
たとえどんなに他人に評価されても、自分の中で手を抜いていい加減な仕事をすればそれはゼロだ。
自分を評価する視点は自分の中に持つしかない。
自分が設定したラインを超えようともがくとき、人は初めて己の仕事に誇りを持てる。
自分の中に目標を設け、スポーツのように必要な準備を一つ一つこなしながらそこに向かっていく。
毎回超えられなくてもいい。
だが、超えたいという意志を持ち続けたい。
そんなふうに仕事に臨みたいと思う。
私は丁稚に行った先で面白いことを見つけ、工夫し、いい仕事をしたような人に魅力を感じる。
小説に書いてみたいのも、そんな人物だ。」
(木内昇、日経2012・10・31夕刊、インタビュー記事より)
木内さんは時代小説の書き手。
新作の「ある男」が出たばかりです。
読んでみたいと思います。