事後的、回顧的、遡及的評価

「人は、誰も生きない、
このように生きたかったというふうには。
どう生きようと、このように生きた。
誰だろうと、そのようにしか言えないのだ。」
(長田弘、「世界は美しいと」より)

長田弘はMy favorite poetのひとりです。
高校生のころに「ネコに未来はない」にはまりました。
詩集「深呼吸の必要」もとってもよかった。
機会があったらぜひご覧ください。

「世界は美しいと」は彼の比較的新しい詩集です。
上の言葉はその一節。

内田樹さんは「肝心なことはは事後に、回顧的に、遡及的にしか評価できない」ということを手を換え、品を換え、繰り返し述べています。

例えば、何かを<学ぶ>ということ。
人は学ぶことの価値を事前に評価してその学びに入っていくことはできません。
学ぶ前には学ぶことの価値を知らない。
知らないことについて学ぶことが学ぶということだからです。

そして、それは「肝心なこと」一般、そして「人生」そのものについても言える。
それが、「生きる」ということが時間の中に組み込まれているその組み込まれ方(=生きるということの時間内構造)そのものだからです。
長田さんの詩はそのことをとってもうまく言い当てていると思います。

よい結婚、よい子育て、よい人生をすみずみまで設計し、計画通りにそれらを展開することはできない。
かりに計画通り展開できたとしても、計画通りだったこと=よいこと=価値ではない。

結婚における、子育てにおける、人生における<よい>とは何かを考えながら、結婚生活を、子育てを、人生を生きる。
そしてそのヨシアシは事後的に、回顧的に、遡及的にしか評価できない。

それは<よい>ことだったか?
ヨキニツテアシキニツケそれは本当に<自分の人生>だったか?

少なくとも<自分の人生>だったと自分でいえれば、それは<人生>足りえたことになる。
ウン、ソレデイイノダ!

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