「彼は天才である必要がなかったのだ」

「カヴァーは天才ではなかったということなのか?
いや、彼は天才である必要がなかったのだ。」
(村上春樹、「夢を見るために毎朝僕は目覚めるのです」より)

“Does it mean Carver was not a genius?

Well, he did not need to be a genius.”

カヴァーとはレイモンド・カヴァー(アメリカの短編小説家)のことです。

村上春樹さんはカヴァーの全集の翻訳者でもあります。

なぜ、カヴァーは天才である必要がなかったのか?
それについて、春樹さんはこう書いて文章を結んでいます。

「レイモンド・カヴァーにとっては、死に物狂いで自分の身を削ってものを書くというのは最低限のモラルだったんです。
だから、そういうモラルを実行していない人を目にするのは、彼には耐え難いことだった。
優しくて親切な人なんだけど、文章を書くことに手を抜いている人間に対して、あるいは手を抜いているとしか思えない人間に対して、自分はどうしても友達としての親愛の情をもつことができなかったと、あるエッセーの中で告白しています。
そういう場合、「あいつはいいやつなんだけど」というんじゃなくて、「いいやつ」という視点すらすっぽりと消えうせてしまうわけです。
そういう人が近くにいると、やっぱり身が引き締まりますよね。」

なぜ、カヴァーは天才である必要がなかったのか?
天才とはオートノミーだけで勝負できている人のことです(「モチベーション3.0」)。
カヴァーにはオートノミーは必要なかった。
彼にはそれに代わるもの=倫理的使命感があった。
春樹さんはそう言っているのでしょう。

それがあれば天才は要らない。
天才がいらないどころか、才能もスキル自体が二次的なものになるし、それがあれば必要な才能やスキルは必ず身につく。

<欲望に見合った分しか、スキルは身につかない>と私は常々言っています。
ここでいう<欲望>とは上の文脈における「倫理的使命感」と同じものです。

企業に「理念」が必要なのはそのためです。
社員がその「理念」を内面化する必要があるのもそのためなのです。

あなたは「天才」になりますか?
それとも、「理念を内面化」して「天才になる必要のない者」になりますか?

どちらでも選ぶことができますが、どちらかは選ばなければなりません。
それが<オキテ>です。

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