月別アーカイブ: 2011年12月

「プログラムを脱プログラム化する」

「ニューロン働きがひとつ出来事であり、一大事件となるに違いないは、まさにそれが自ら出来事を作り出し、そしてプログラムを出来事化する、すなわち、ある意味でプログラムを脱プログラム化することができるからなだ」

(カトリーヌ・マラブー、「わたしたち脳をどうするか」より)

マラブー・シリーズ第二弾。
「プログラムを脱プログラム化」なんて上手いこといいますねー。

つまり、脳には「非決定論的」(=非機械的、非運命的)領域がちゃんとある(=自由だ!)ということ。
そして脳機能自由性(=出来事性)を信じるということ自体が、脳において生じている。
うーーん、奇跡だ!

「すべての人に好機を!」

「よりよい社会を築くために我々に求められることは、成功者を決める幸運や気まぐれな優位点、

タイミングのいい誕生日や歴史の幸せな偶然の代わりに、
すべての人間に好機を与える社会を築くことだ。」
(マルコム・グラッドウェル、「天才!」より)

“To build a better world we need to replace the patchwork of lucky breaks and arbitrary advantages that today determine success
- the fortunate birth dates and the happy accidents of history
- with a society that provides opportunities for all. ”

彼は「天才!」の中で、成功者の成功の原因がいかに偶然に左右されていたかということを例証しています。
例えば、IT革命をリードした3人、B・ゲイツ(マイクロソフト)、S・ジョブス(アップル)、ビル・ジョイ(サンマイクロ)が、1954~1955年生まれであり、それが彼らの後の人生にいかに幸運に作用したかということ。
世界のプロスポーツリーグのスター選手やオリンピック選手の大半が、遅生まれであり、そうした偶然がアスリートになる必須の条件となっているということ、などなど。
ちなみに、わたしも1955年生まれで、しかも3月27日生まれという超早生まれです。

グラッドウェルはこう続けます。
「一年の後半生まれの子供を対象とする第二期アイスホッケーチームがカナダにあったら、現在の二倍のスター選手が生まれていただろう。
そのようにして花開いた才能を、あらゆる分野や職業に掛け算してみればいい。
世界は、いまよりずっと豊かだったかもしれない。」

なーるほど!という感じでしょ。
「すべての人に好機を!」という彼の主張は天才論としてだけでなく、正義論としても読めますね。

「彼は天才である必要がなかったのだ」

「カヴァーは天才ではなかったということなのか?
いや、彼は天才である必要がなかったのだ。」
(村上春樹、「夢を見るために毎朝僕は目覚めるのです」より)

“Does it mean Carver was not a genius?

Well, he did not need to be a genius.”

カヴァーとはレイモンド・カヴァー(アメリカの短編小説家)のことです。

村上春樹さんはカヴァーの全集の翻訳者でもあります。

なぜ、カヴァーは天才である必要がなかったのか?
それについて、春樹さんはこう書いて文章を結んでいます。

「レイモンド・カヴァーにとっては、死に物狂いで自分の身を削ってものを書くというのは最低限のモラルだったんです。
だから、そういうモラルを実行していない人を目にするのは、彼には耐え難いことだった。
優しくて親切な人なんだけど、文章を書くことに手を抜いている人間に対して、あるいは手を抜いているとしか思えない人間に対して、自分はどうしても友達としての親愛の情をもつことができなかったと、あるエッセーの中で告白しています。
そういう場合、「あいつはいいやつなんだけど」というんじゃなくて、「いいやつ」という視点すらすっぽりと消えうせてしまうわけです。
そういう人が近くにいると、やっぱり身が引き締まりますよね。」

なぜ、カヴァーは天才である必要がなかったのか?
天才とはオートノミーだけで勝負できている人のことです(「モチベーション3.0」)。
カヴァーにはオートノミーは必要なかった。
彼にはそれに代わるもの=倫理的使命感があった。
春樹さんはそう言っているのでしょう。

それがあれば天才は要らない。
天才がいらないどころか、才能もスキル自体が二次的なものになるし、それがあれば必要な才能やスキルは必ず身につく。

<欲望に見合った分しか、スキルは身につかない>と私は常々言っています。
ここでいう<欲望>とは上の文脈における「倫理的使命感」と同じものです。

企業に「理念」が必要なのはそのためです。
社員がその「理念」を内面化する必要があるのもそのためなのです。

あなたは「天才」になりますか?
それとも、「理念を内面化」して「天才になる必要のない者」になりますか?

どちらでも選ぶことができますが、どちらかは選ばなければなりません。
それが<オキテ>です。