「人間は時として、終わってしまった過去でさえも、もっと良くしたいと思う」
(小島寛之、「確率論的発想法」より)
“Humans sometimes wish to improve even the past which has gone.”
小島さんは経済学者で、数学エッセイストでもある方。
「確率論的発想法」は分量的には薄い本ながら、確率=数学を論じて経済(学)を語り、最後には「正義論」に及ぶという、内容的には壮大な本です。
上の言葉は、その「正義論」の一部。
社会学者の「大澤真幸氏の「責任論」からとられたものらしい。
つまり孫引きですね。
小島さんは続けて、こう書いています。
「不確実性下の意思決定では、『過去に可能性として存在していた事態』を結果の判断に加えなければ、選択行動を正しく描写できない。
『形而上の罪』に苦しむ人々は明らかに『そうであったかもしれない世界』に自分を置き、そこを変えることのできない苦しみを背負って生きている。
もしも、経済理論が想定するように、人々がいつでも未来だけを最適化するなら、このような人々の感性や善悪基準は不合理だということになる。
しかし、人々の内面には、過去を最適化することへの欲求が厳然と存在している。
あるいは存在することを認めざるをえない。
ならば、経済理論はそれを組み込んだ形に理論を修正すべき責務をもっているといわねばならない。」
すばらしい志だと思います。