「人は生涯にひとたび詩人であることを選ぶ」
(ジャン・ポール・サルトル)
“Poets choose to be poets just once in their life.”
これは私が学生のころ、常に頭の中で鳴っていた言葉です。
何かで読んで衝撃を受けました。
でもどうしても出典が思い出せない。
「嘔吐」か、「自由への道」か、「存在と時間」か・・・。
でも今更あんな長いもの読み返せないし・・・。
サイトを検索しても出てこないし・・・。
で、記憶のまま記しました。
「人は生涯に一度」と言っても、「人はだれでも生涯に一度」
恩師の栗田勇先生は、私がこれをmy verseにしているのを知って、こう解説してくださいました。
「人がひとたび詩人であることを選ぶとは、言語との関係でそれを選ぶと言うことだ。」
それ以来、ますますこの言葉に惹かれ、同時にますますこの言葉の意味が分からなくなりました。
でも、考え続けているといいことがありますねー。
最近、やっと「ああ、こういうことか」と次のように思い当たりました。
言語との関係で詩人であることを選ぶとは、言語を伝達やコミュニケーションの道具として考えるのでなくて、世界を分節化する道具として考えるということ。
言葉は人とわかりあうためにではなく、自分が世界を理解するためにある、と覚悟すること。
つまり詩人とは、人に自分を分かってもらうためによりも、自分が世界を理解するために言葉を用いる人だということです。
というわけで、詩人は人々の中で「浮いて」しまいます。
しかし、彼らが「言葉」をそのようなものとして扱ってくれるおかげで、言葉は世界との結びつきを維持し、結局それが言語のコミュニケーション・ツールとしての有効性をも担保しているのです。
私のような「(いまだ)詩人であることを選ぶ」に至っていない「普通の人」にできること。
それは、そのような「詩人」に敬意を払うことです。
彼らの仕事によって世界はすこしづつ言葉化されて、人間化され、理解され、発見されているのですから。