「借金人間製造工場」

「借金人間製造工場」(マウリツィオ・ラッツアラート著)を読了。

国家の負債(財政問題)が薄気味の悪いしかたで積みあがっています。
国家にしても、企業にしても、そして個人にしても、借金を返すことが存続条件であり、そのためには新たな借金をすることが存続条件であり、その存続条件がいつしか、存在理由そのものであるような状態がいつのまにか生じてしまいました。

<人は何ゆえに働くのか?>
という貴重な問いへのリアルな答えが、
<借金を返すためである>
ということになってしまっている、としたらそれはとっても残念なことです。

「新自由主義の行動は、経済と主体性、『労働』と『自らに働きかける労働』といったものに同時に―しかし無差別的に―かかわるのだが、とりわけ自分を自分の経営者になるように仕向ける。
つまり、企業や国家が社会のなかに外部化するコストやリスクを『自分自身の身に引き受ける」ようにすることだ。
『自らに働きかける労働』が、解放的な『労働』として、喜びや自己実現、社会的認知、生の新しい形態の実験、可動性といったものをもたらすという約束は、それと引き換えに企業や国家が引き受けようとしないリスクやコストをわが身に引き受ける、という至上命題とセットになっている。」

久々に、レフトウィングからすごい球が飛んできたなー、という感じ。
私の仕事も広義の「労働倫理」の再構築を目指すものです。
だから、自分の言説の隠れたイデオロギー性については鈍感であってはならない、ということを思い起こさせられました。

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