「街場の憂国論」

「街場の憂国論」(内田樹著)を読了。

ツンドク本の山は高くなる一方なのに、内田さんの本はどうしても優先的に読んでしまう。
困ったものです。

引用したいフレーズがテンコ盛りなので、それにも困らされますが、今回はここの部分にしておきます。

「人間たちが集団的に生き延びていくためにほんとうに重要な社会制度は『誰でもできるように』設計されている。
そうでなければ困る。
例外的に卓越した資質を持っている人間にしか社会制度の枢要な機能を担い得ないという方針で社会制度が設計されていたら、とっくの昔に人類は滅んでいただろう。
以前大相撲の力士をしていた方から不思議な話を伺ったことがある。
彼は、『相撲取りというのは、ある程度身体が大きければ、誰でもプロになれるのです』という驚くべき事実を教えてくれた。
『サッカーや野球であれば、生得的に高い運動能力を持っていなければプロにはなれません。
でも、相撲は違う。
生得的資質が凡庸であっても、プロになれる。
とてつもなく強くなれる。
そうなれるように相撲の身体技法は合理的にプログラムされているのです」
私は驚き、その後深く納得した。
(中略)
相撲において最優先するのは『たとえ凡庸な身体能力しかもたないものについても、そのポテンシャルを爆発的に開花させることのできる能力開発プログラム』を次世代に継承することである。
(中略)
『決して失われてはならぬ制度については「その気になれば、誰でも十分にそれを担う資格がある」ように構造化されていなければならない』という人類学的知見には深く同意する。」

私の仕事は企業の人材育成のお手伝いです。
その際にいつも言ってきたのはこういうことです。

「私は天才と病人は助けない。
天才は助ける必要がないし、病人を助けるのは医者の仕事であるから。
私が助けたいのは<普通の人>である。
<普通の人の普通であることの閾値を高めること>、私はそれを使命と考えている」

「たとえ凡庸な身体能力しかもたないものについても、そのポテンシャルを爆発的に開花させることのできる能力開発プログラム」が必要なのは力士だけではないでしょう。
すべての産業人のためにもそれは必要です。
たとえ生得的な資質において凡庸な者でも、プロになれて、ポテンシャルを爆発させることができるという仕方で構造化されている必要がある分野とは、<仕事>という分野そのものであるからです。

Fight, 自分!

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