<独立生産者として自立し、自由に連合して相互扶助する>

「日本劣化論」(笠井潔×白井聡の対談本)を読了。

今年、2014年は第一次世界大戦の開始(1914年)から100年という年でもあります。
さまざまなところで、第一次大戦の意味を改めて問い、総括しようとする試みがおこなわれているようです。
そして1914年の国際情勢が不気味に現在の国際情勢に似ているという指摘も聞こえてきます。

というわけで、私も今、その類の本を並行して三冊読んでいます。

1:「日本劣化論」(笠井潔×白井聡)
2:「『反日』中国の文明史」(平野聡)
3:「第一世界大戦」(木村靖二)

白井さんは、近著「永続敗戦論」も評判になっています。
「永続敗戦論」は第二次大戦の「戦後」論。
私の読んできた本に限って言えば、次のような系譜に属するもののようです。

岸田秀「唯幻論」
→加藤典洋「敗戦後論」
→内田樹「ためらいの倫理学」、「日本辺境論」
→白井聡「永続敗戦論」

「日本劣化論」においては第一次大戦に遡った議論が行われています。
第一次大戦100年への興味から、「永続敗戦論」よりも先に「日本劣化論」を手にとりました。

前半をリードする白井さんのキレキレ具合にも感嘆しましたが、後半の笠井さんの近代全体を見渡すフレームワークのすばらしさに驚嘆。
白井さんは「反知性主義」が優勢になっている現在の趨勢を「劣化」と呼び、笠井さんは「倫理主義の観念的倒錯」を別種の「劣化」の例とする。

フランス革命が絶対王政を打倒しつつもその負の遺産たる「国家主権」からの解放をもたらさなかったこと。
「主権国家」が対等に決闘しあう権利としての「交戦権」が第一次大戦の反省から事実上否定され(パリ不戦条約)、以後戦争は「犯罪」になったこと。
しかし、その「犯罪」を無効化する(取り締まる)メタレベルの権威が存在しなかったために第二次大戦が起こったこと。
つまり第二次大戦はそのメタレベルの世界的権威=世界国家を造りだすための戦争でもあったこと。
しかし、戦後処理の中で半世界国家が二つ(米・ソ)ができてしまったこと。
国連もまた両国の拒否権のゆえに世界政府性を発揮できなかったこと。
冷戦の終結によって、アメリカが世界政府的役割を担おうとして国際警察行動に出たこと。
そのアメリカの衰退によって現在、<世界内戦>とでもいうべき事態が進捗しつつあること。

そうしたパースペクティブを提示した上で笠井さんは最後にそれへの対抗策として読者個々人にこう訴えます。

<とりあえずはグローバリズムと世界内戦の21世紀を、我々は生き延びていかねばならない。
そのためには、市場にダイレクトにアクセスできる独立生産者として自立することが必要になるでしょう。
20世紀後半に完成した福祉国家の時代のように、政府も会社も個人を守ろうとはしません。
国家や資本に身柄を預けるのはリスクが高すぎます。
それより独立生産者として自立し、自由に連合して相互扶助することを考えた方がいい。>

アナキスト系の思想家の面目躍如たる結論です。
うっとりしてしまう。

<独立生産者として自立し、自由に連合して相互扶助する>

指南力のある先達にまた出会ってしまった!
笠井さん、感謝!

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