「世界はシステムで動く」

「世界はシステムで動く」(ドネラ・H・メドウズ著)を読了。

「成長の限界」の主執筆者で、「世界がもし100人の村だったら」の原案者でもあります。

素晴らしい本です。
是非読んでいただきたい。
全編を引用したいくらいですが、そうもいかないので、一箇所だけ引いておきます。
こういうところ。

「システムには、あなたが生み出してほしいと望んだものだけをそのまま生み出すという怖ろしい傾向があるのです。
なにを生み出してほしいとお願いするのか、気を付けなければなりません。
もし、望ましいシステムの状態が「国家の安全保障」で、それは軍事支出額で定義されるとしたら、そのシステムは軍事支出を生み出すことになるでしょう。
それは国の安全保障を生み出すかもしれませんし、生み出さないかもしれません。
(中略)
もし、望ましいシステムの状態が『良い教育』で、その目標を生徒一人当たりに費やす金額で測るとしたら、生徒一人当たりの金額は確保されるでしょう。
教育の質を標準テストの成績で測るとしたら、システムは標準テストの成績を生み出すことになるでしょう。
これらの測定のいずれかが『良い教育』に繋がっているのか、少なくとも一考の余地があるでしょう。
インドで家族計画が行われた初期のころ、プログラムの目標は『避妊リングの装着数』で定められていました。
そこで医師たちは、目標を達成しようという熱心さのあまり、患者の同意を得ずに女性たちに避妊リングを装着したのです。
こういった例は、『努力』と『結果』の混同であり、間違った目標を中心に吸えてシステムを設計する際に最もよく起こる過ちです。
この種の過ちの中で最悪なものはおそらく、国の経済的な成功を測る指標としてGDPを採用してきたことでしょう。
(中略)
GDPは、達成したものではなく、達成のための取り組みや労力を測り、効率ではなく、総生産や総消費を測ります。
同じ明るさを作りだすのに必要な電力は1/8で、寿命は10倍長い新型電球は、GDPを引き下げることになります。
GDPは『スループット』(一年間に生産・購入されたモノのフロー)を測ります。
(中略)
資本のストックを測るのではないのです。
『最大ではなく最小のスループットで、社会の資本ストックが維持・活用されている社会こそ、最良の社会だ』と論じることもできるのではないでしょうか?
(中略)
『GDPが社会の目標だ』と定めれば、その社会は、GDPを生み出すために最大の努力をすることになるでしょう。
幸福や公正、正義や効率の目標を定義し、定期的に測定し、その状態を報告することをしなければ、公正、正義、効率は生み出されないでしょう。
(中略)
『ルールのせいで』ばかげたことが起こった、というときは、間違った目標の問題です。
ルールを迂回するやり方をしたからバカなことが起きたというなら、ルールのすり抜けの問題です。
システムのこの逸脱の両方が、同じルールに関して同時に進むこともあります。」

いやはやおみごと!

わたしもクライアント企業に常々こう言ってきました。
「期毎の売り上げや利益を成功の指標にしてはならない。
企業にとっての成功とは、ミッションをどう果たしたか、ヴィジョンにどれほど近づいたか、その間、社員がどれほど成長し、幸福になったかで測られなければならない。
利益を期毎に計算するのは、国家が企業から税金を取るための手段に過ぎない。
株主が資本的利回り計算をするための方便に過ぎない。
それらは必要なことではあるが、目的ではない。
ゆえにそれらを成功の指標にしてはならない。」

ドネラさんの言っていることと多少響きあうところがあると感じました。
嬉しい!

今年は「いい本との出会い」に関して、本当に<当たり年>だな~。
ドネラさん、訳者の枝廣淳子さんに感謝!

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