「私は私になっていく」

「私は私になっていく」(クリスティーン・ブライデン著)を読了。

著者は46歳でアルツハイマーの診断を受け、3年後に前頭側頭型認知症と再診断を受けた方。
診断当時彼女はオーストラリア政府内で要職に着き、かつ9歳から20歳までの3人の娘のシングルマザーだった。
診断後(!)、大学に入りなおし、結婚し、認知症支援ネットワークを結成し、二冊の著書を執筆し・・・・(凄い!)。

最初の著書のタイトルが「私は誰になっていくの?」。
そして、二冊目のタイトルが「私は私になっていく」。

このタイトルに「ガツン」とやられてしまいました。
還暦を前にした私の目標も「私になる」というものです。
まさに「同志」を見つけた!という感じ。
しかも、その同志が認知症をもっておられるなんて!

認知症予防の本、認知症介護の本はいろいろ読んできました。
それらの本から学んだことは「我々人間は程度の差こそあれ皆、認知症だ」ということです。
だって、完全な認知力を持っている人などいないのですから。
この本は著者が認知症を患っている本人であるというところが私にとって新しかったのですが、「我々はみんな認知症」という感じは、確信に変わりました。

著者はこう言います。
「私たちは必死で話そうとしているのだけれど、文法も語法もめちゃくちゃな、支離滅裂な話になることが多い。
どうか、私たちが伝えようとしているその思いを汲み取ってほしい。
話を聞いてくれている、わかってくれているという感覚を得ることで、私たちは自分が尊重されている、あなたと繋がっていると感じるのである。
これが、脈略のない考えやバラバラになった自己と向き合っている私たちに必要なことだ。
(中略)
うまく言えないからといって、私たちには言いたいことが何もないわけではない。
私たちの考えや言葉はもつれ、こんがらかっているので、あなたは言語以外のヒントに注意して、聞き上手にならなくてはいけない。
(中略)
私たちが適切な言葉や文章を見つけようと苦心している時、それをすぐに言ってしまわずに、私たちが教えてほしいと思っているかどうかを確かめてほしい。
間違いを指摘せず、ただ私たちが何を言おうとしているかを理解しようと努めたほしい。
私たちが考ええているときは邪魔をせずに待ってほしいが、私たちが何かを思いついた時に、あなたの話をさえぎって喋ることをどうか許してほしい。
待っている間に自分の思いついたことが消えてしまうからだ。」

これは第3章「私たちがしてほしいこと 認知症とのダンスを踊るパートナーへ」の一節。
妻に読んで聴かせたら、「これは私の言いたいことそのものだ」と言われました。
そうじゃないかと思ったんだ。
それ以降、夫婦のコミュニケーションの次元が一段上がったように思います。
Thank you Chrisine!

認知症と診断されるとその瞬間から「認知症患者」になってしまい、ケアの「対象」になってしまう。
彼女はそのことと闘い、「自分は認知症患者ではなく、認知症を持つ一人の人間で」であり、ケアの「対象」ではなく、ケアする人のパートナーである。
自分は「認知症患者」ではなく、「認知症とダンスを踊る」者である。
だから、ケアする人には「共にダンスを踊るパートナー」になってもらいたい。
彼女はそう言います。

認知症そのものとの闘いに加えて、彼女が「認知症業界」とでもいうものと闘わねばならなかった。
しかし、その闘いが彼女を鍛え、結局それが彼女の新しい「使命」となっていく。
そして、その「使命」を介して、認知症よって「自分が壊れていく」のではなく、「自分になる」ことができるのだということを発見する。

2104年もまだ半分たっていませんが、この本は私にとっての今年の「Best1」間違いなしです。
今は妻が読んでます。
80歳を越え、認知症の影におびえる実家の両親にも読んでもらおうと思っています。

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