Work2.0(その4)

プノンペンは今、雨季です。毎晩雨が降りますが、今年はさほどの豪雨がなく、助かっています。なにせ、本気で降られると、町中が海になってしまい、身動きが取れなくなりますから。

カンボジアの人は、タイ人より気性が荒く、人々の活動量、運動量も豊富です。マーケットでの客の奪い合いの光景など、なかなか凄まじいものがありま す。タイのバンコクなどではありえない光景。目先の競争では負けまいとするのですが、それが生産性に反映されないところがご愛嬌で、その点でもタイ人に負 けている印象があります。

世界中を廻って、ずっと「人はなぜ働くのか?」ということについて考えています。「なぜ働かねばならないのか?」ではありません。「なぜ働くの か?」=「なぜ働いてしまうのか?」です。人の本性のなかにビルドインされている「働く」という傾向の本質を知りたい。それがわかれば我々はもっと「良く 働く」ことができる。なぜなら、その「なぜ」を充たす仕方で「働く」ことが「良く働く」ことに違いないからです。

ここでいう「良く働く」とはより勤勉に働くとか、生産性を上げるとかいうことを意味しているのではありません。「良く働く」の「良い」は、良い世 界、良い家族、良い会社、良い人、良い親、良い牛乳、良いとんかつ、良い・・・、一般における「良さ」に適うという意味での「良い」です。これについて は、『働き方における<良さ>-<良く>働くと言うこと』で論じましたね(注1)。

で、「なぜ人は働くのか?」。まず、「働く」ということには四つの機能があると考えます。第一は生産、第二が成長、第三が保護です。第四については ひとまずブラックボックスということにさせていただき、第一から第三について論じます。まず、「生産」について。人が働くのは第一に、何かを生み出す、作 り出すためです。これが「生産」ですね。乏しければ乏しいほどそのための<必要>は大きいはずですが、今日では「生産」欲求を起動させているのは<必要> ではなくて、<欲望>です。空腹感は生物学的な欲求ですから、食べないことによって生じます。しかし、食欲は文化的欲望ですから、食べたことのないものに 対しては生じません。同じように「生産」欲求を起動させる<欲望>も見たことのないものについては生じませんから、それを外から見せる=刺激することが必 要になります。だから、<必要>が大きいはずの貧困国、最貧国よりも、<欲望>が大きい先進国の方が「生産」欲求が高いのです。

次に「成長」について。人はよく「働きがい」といったことを問題にしますが、<必要>なものを生産するといった第一の機能によって十分に欲求が起動 されていれば、働くことに「甲斐」もへったくれもない。しかし、「生産」するか否か、何を生産するか、どのように生産するかといったことに関して、選択の 余地が生まれてくると、人は「働きがい」を求めるようになる。昨今、<ES>(従業員満足度)といったことが問題にされ、「働きやすさから働きがいへ」と いったトレンドについて語られるようになりました(注2)。この「働きがい」の中核にあるものが「成長」実感です。仕事を通じて、産業人として、あわよく ば人間的にも成長したい。人はそのような欲求にもまた動かされて「働く」のです。ですから、「良く働く」ことには「働くことによって成長するという仕方で 働く」ということが含まれます。

第三に、人は「働く」ことによって「保護」されます。これはつまり「小人閑居為不善」(人閑居して不全を為すという)ということです。たいていの人 は、閑にしているとろくなことはしない。失業率の増加が犯罪率の増加に繋がる。だから失業対策は経済対策であるだけでなく、刑事政策でもある、といったよ うなことと同じ文脈です。愚かなことに巻き込まれないようにするためには「働く」ことに精を出すのが一番だということを昔の人は良く知っていたというわけ でしょう。

では、第四のものは何か?それは、ここカンボジア、プノンペンに来て、毎日カンボジア人を眺めていて発見したものです。彼らは生産機能との関係で働 く<必要>を大いに有していますが、<欲望>は目先のことに向いている(客の奪い合いで目の前のあいつに負けたくないというような欲望)ので、「生産」そ のものに向けた<欲望>は小さい。「成長」欲求も、「保護」(社会的自己保全)欲求だってさして大きくない。そういう彼らは何に起動されて=なぜ「働い て」いるのか?それは「時間を充たすため」です。

人は一日24時間を何かをして「過す」という必要をもっています。食べる、寝るという必要があって、それを充たすために何かを生産する=稼ぐ。その 稼ぐ作業によって、一日が、時間が費やされ、過されていく。稼ぐこと、それによって必要が充たされることと、それらによって時間が充ちることとが一体化し ている生活はある意味、幸福です。そこにはある種の完結性と簡潔性がある。

カンボジアでは、稼いでも稼がなくても、食べること、寝ることの量と質に大きな差が生じるわけではありません。働いたからといって先進国のような暮 らしが出来るわけではなく、働かないからといって餓えて死んでしまうわけではない。乱暴な言い方をすれば、その差は先進国の人間から見れば「誤差」程度の ものに見えます。それでも運動量という観点からみれば彼らは結構がつがつと働いている。それはなぜか?それは何もしないことに耐えられないから、一人でい ることに耐えられないからです。それは第三の「保護機能」=社会的自己保存欲求に似ていますが、それより積極的で根源的で深いものだと思います。

プノンペンでよく見かける光景を素描してみましょう。車を運転していていると、幹線通りから一つ入ったくらいの道で、若者(子供?)が車に向って、 「こっちへ来い、ここに停めろ」と手招きするのによく出会います。たいていは、レストランか床屋の客引きです。こういった駐車場係は町のいたるところにい て、どこかに車を停めようとすると、どこからともなくやってきて、車を誘導し(大きなお世話何だけど)、車のドアを開けてくれます(これも大きなお世 話)。で、帰りにも同じことをして、ちょっとしたチップをもらう(大体1000リエル=25セント=30円くらい)。

もちろん、それはチップを稼ぐための労働には違いないのでけれど、でも彼らの働きぶりは、それだけではない、なにかの「喜び」や「やりがい」といっ た感覚を発散させもいます。それはたいした仕事ではない。床屋の店先で車の呼び込みをする。それは床屋の本体が生産している付加価値と比較すれば非本質的 で些細なものでしかありません。実際、床屋の主人が彼に何がしかの報酬を払っているようには思えない。客からもらうチップだってタカが知れています。それ でも、そこを自分のショバ(場所)にできていること、そこを任されているという自覚がある種の「やりがい」の自覚を生んでいるのでしょう。

毎日そこに通ってきて、仲間と会い、彼らと一緒に時を過す。そのためにその場の有力者からの信任を得、それを維持しなければならない。そのために一 生懸命働く。それは日本に昔あった丁稚システムのさらにプリミティブな形態と言えるかもしれません。昔といったってそんなに昔じゃありません。私の父が祖 父の家業を手伝うようになる直前まで、店員は丁稚で、「**ドン」と呼ばれていたのですから。丁稚さんは、「家でブラブラさせていてもナンだから」とツテ をたどって預けられるといった仕方で都会にやってきました。そこでも彼らにとっての仕事とは「皆と一緒に何かする」(そうやって時を過ごす)こと自体を目 的としたその「何か」だったのです。

そして今、日本では「ネットカフェ難民」のことが問題にされていますが、もし、ネットカフェがなかったら、「難民」は何もしないこと、一人きりでい ることに耐えられないでしょう。だからかれらはネットカフェに滞留するのです。ネットやネットカフェがない環境であれば、人は何かを誰かと一緒にすると いった仕方でしか時を過ごすことが出来ません。そしてそのためにもとりあえず「働く」のです。

であってみれば、つまり「働く」ということにこのような第四の意味があるとすれば、「良く働く」ことはこの第四の意味にもよく応えねばならないこと になります。どのように?「働く」ことを通して、友を作り、その友と助け合うことを通して、充実した時を過すという仕方によってです。「仕事」の本質には 「時の過し方」という一面がある。「時」を物(お金)に換える。これが生産。「時」を使って自分の価値を上げる。これが成長。「時」を空費しないことで、 不善から逃れる。これが保護(社会的自己保全)。そして、人(他人)とともに「時」を過すことそれ自体によって創造しうるもの。それは信頼、信用、友情。

幸い、先進国では、労働が、仕事が、働くことが、こうした四つの機能、意味を総合的にかつ自覚的に充たせるようになりつつある。そのような仕事を巡 る社会的、歴史的、文明論的環境が整いつつあるのではないか。そのような環境=仕事の社会的プラットフォームのことをWork2.0と呼びたい。どのよう な変化、情況がその名にふさわしいか、それについてはまた次回。

再見!

注1:「働き方における<良さ>-<良く>働くということ」

注2:「人材教育」2007年6月号特集「働きがいとESを重視する組織作り」

Work2.0(その3)

プノンペンは雨季に入り、夕方以降の外出がままならなくなりました。水が道に溢れ、車が動かなくなってしまう恐れがあるからです。

さて、私は昭和30年生まれ(不作の29年度組みで、55年体制の申し子)で、TVも洗濯機も冷蔵庫も物心ついてから、家に入ってきて後に爆発的に 普及した、そういう世代にあたります。長じて 95年にコンサルタントとして独立しましたが、ちょうどその年にWin95が発表され、以後、PCの普及やシステムのオープン化、そのネットワーク化、 WWWの登場とインターネットの普及、そして社会全体の情報化、ネットワーク化、経済全体のグローバル化、フラット化、労働市場の流動化・・・といった新 製品、新技術、新潮流の発生と流行を体験し、目撃し、観察し、批評し・・・てきました。どうも世代的にそういうめぐりあわせみたいなんです。

インターネットが普及し始めたころ、ある研究会でこういう発言をしたことがあります。

「日本ではこれまで汎用品というものは普及したためしがなかった。料理用具を見てもすき焼きにはすき焼きなべがあり、ジャブシャブにはそれようのな べがあり、湯豆腐には湯豆腐用のなべがあり・・・、といった具合。PCというのは文化的背景の下では稀有な存在。そこで、こういう問いが発生する。

<PCって何ができるの?>

その答えのひとつが<インターネット>ができる。つまりPCがインターネットという通信システムの端末になろうとしているということ。固定電話シス テムの端末のような端末でしかない端末ではなくて、 CPUを持った端末がPCであり、端末がCPUを持つということがインターネットのネットワーク型の通信システムとしての特徴。そこで今度は次の問いが生 じる。

<インターネットって何ができるの?>

それにどう答えるか?云々・・・。」

その問いに対する答えは以後、さまざまな形で変遷してきました。最初はHPを<見る>ものだったインターネットが、B2CあるいはB2Bのビジネス インフラとして<使う>ものとなり、さらに SNSのようなコミュニケーションツールのためのインフラとなっています。以前は端末としてのPCを含む物的なシステムとしてのインターネットがインフラ として存在し、それをプラットフォームとしてメディアとしてのインターネットがあり、その上にコンテンツやアプリケーションおかれているという感じだった ものが、今ではインターネットとその上に存在するアプリケーションが、技術的・物的側面が不可視化されたサービスとなり、ユーザはインターネットのユーザ ではなく、そうしたサービスのユーザとなっています。

インフラ>プラットフォーム>メディア>アプリケーションといった論理的階層構造やその物的実体が不可視化され、その全体がサービス・プラット フォーム化して、ユーザがその全体をサービスとして利用するという段階においては、その乗りこなしのための利用技術の洗練が求められるようになります。 ちょうど私より少し若い世代にとってはTVの存在そのものは所与のものであり、その利用技術が幼いころから身体化されていたように、今後ビジネスシーンに 順次登場することになるインターネット・ネイティブの世代(生まれたときからPCが家にあって、インターネットに接続されていた世代)にとっては、イン ターネットの存在は所与のものであり、ネットワーク上での振る舞いは第二の自然として身体化されてい ます。そうしたインターネットの使われ方の次元が進化した様は、昨今Web2.0といったタームで示唆されつつあります。

同じことが「働く」ということに関しても起きているのではないか?そのことを問うためにWork2.0というタームを造語してみました。では「働く」ことはどのように2.0化しているのか?いよいよ本題ですが、それはまた次回。

再見!

Love & Work2.0(その2)

早川@プノンペンです。こちらは雨季に差し掛かり、暑さに加えて湿度も上がってきました。外に 1-2時間いるだけで熱中症になります。いったん、これにかかると 2-3 日は頭がズキズキしてうまくまわりません。困ったものです。

さて、前回は<ナセバナルナサネバナラヌナニゴトモ>を端緒に、自力と自己生成(自己組織化)の関係について論じるところまできました。この先回の出口の議論について、ちょっと付言します。

自己生成=自己組織化とは複雑系の分野でよく使われる言葉です。複雑系は「鳥の群れはどのように編隊を形成するのか」と いったことを説明しようとします。他の例を挙げましょう。タイには同期をとって明滅する蛍がいるんだそうです(見てみたい!)。では、蛍はどうやって同期 をとっているのか(不思議だ!)?鳥の場合のことも、蛍の場合のことも、結論的にはよく分からないだそうですが(だから複雑系なんてエクスキューズを織り 込んだ名前になっているのかもしれません)、一羽の鳥、一匹の蛍が群れ全体に命令してそうなっているわけではないということは想像がつきます。むしろその 群れ全体の個々の構成要素の<局所的相互作用が全体的構造を生む>ということがおきているらしい・・・、ここまでは分かっている。 *1)

<局所的相互作用が全体的構造を生む>って台詞、いいでしょう。是非、みんなではやらせましょう。 07年の流行語大賞は<局所的相互作用が全体的構造を生む>です、なんてことになったら、日本の民度は相当上がったとみなしていいはずです(ムリか)。

この局所的相互作用の起点となる運動をおこすことが、為すこと・自力の問題で、それが全体的構造を生むということが、成る・自己生成(自己組織化)の問題です。経営学の分野では、前者がリーダーシップ論へ、後者が企業文化・風土論へと繋がっていきます。

ここまでは前回の出口部分の付言。で、今回は<成らせるためには、何をどうすればいいのか>ということについて考えたいと思います。<為すことについての WHATとHOW>ですね。そして、まず考えたいのは、<WHATとHOWはどちらが大事か?>ということです。

産業人として我々はほとんどが企業人であり、企業人はおのずと組織人です。組織人たるもの、<為す>べきことは、ほとん どの場合、外部(組織)から与えられます。個々人にとって、仕事とは所与のものであり、与件です。ですから、「仕事に主体的に取り組め!」なんて台詞は実 に欺瞞的なものです。仕事に関する主体性論への疑問、これを出発点として、我々は当事者性論へとすすまねばなりませなりません。

仕事に関して主体性を云々することは欺瞞的ですが、それでも個々の仕事に対して我々は<当事者性>を持つことはできる。 主体ではないが、当事者ではある。そのように私は常々論じてきました。*2) そもそも「生きる」という事態自体が<主体的>に始まったのではなくて、他律的に始まりました(頼んで生んでもらった人はいない)。それでも私たちは自分 自身の生を<当事者>として生きています。仕事というアプリケーションは人生というプラットフォームの上に乗っています。プラットフォームとアプリケー ションは構造的に同型でないといけませんね。

しかし、<主体性>と<当事者性>をこのように区別することの実践的意味はどこにあるのでしょうか?<主体性より当事者 性>という態度は、仕事においては「何をするか」より「どのようにするか」の方を重視する態度へと繋がります。< What よりHow>の方が大事。たとえば、マザー・テレサの行き方に感動した人が彼女のように生きたいと思ったとき、倣うべきは彼女の愛(HOW)であって、必 ずしも看護婦になったり、発展途上国に行ったりすること(WHAT)ではないはずです。

<WHAT>を過度に強調することは、天職主義に繋がります。そして天職を見出した稀有な個人だけがプロフェッショ ナルになり、創造性はそのようなプロにだけ許されまた求められる神秘的な能力とみなされる。逆にたどれば、創造的に生きるためには、天職を見出し、その道 のプロにならねばない。自分が本当にやりたいこと(天職というWHAT)を見出せずに就職しない若者、就職しても3年持たずに会社を辞めフリーターになっ ていく若者、彼らが迷い込んでいる隘路の背後にはこのような天職主義、プロフェッショナル観、創造性観があるように思います。
そのような窮屈な「仕事観」に風穴を開けるために、私はこれまで<WHATよりもHOW>だと言い続けてきました。たとえば、2006年6月15日のブログではこう書きました。

『<プロとは、その仕事を自分の成長機会としている人このとである>

他人(ひと)にできないことができることも、他人よりも上手くできることも、必要ない。そんなこといったら、プロなんて ホンの少しの一握りの人だけになってしまう。ちょうど、プロの野球選手の、そのまた大リーグの選手の、そのまた一握りのスター選手がトップ・プロと言われ る、そのトップ・プロだけがプロであるというようなプロ観ではないプロ観、それを大切にしたい。どんな分野の、どんなクラスのスタッフでも、自分がその仕 事を自分の成長機会を獲得する場であると思い定めてそれに取り組む限り、その人はその仕事のプロである。そう思います。

で、そういうプロはお互いを励まし合う。なぜなら、それぞれは仕事を自分の成長機会としようとしているのであって、他人 (ひと)との競争機会としようとしているのではないからです。そして、自分の成長(ゼロサムな<競争>における成長ではなく、プラスサムな<競走>におけ る成長)実感は結局、他人(ひと)といかに助け合えたかによってもたらされるものだからです。』

さて、ここまではいわばこれまでのブログにおける発言の復習の類です。いわば、Love & Work1.0のまとめ。ここから表題の2.0に跳ばねばなりません。しかし、Look before you leap! でもこの続きは次回に。
再見!
Love & Work!!

*1) 「複雑な世界、単純な法則」-ネットワーク科学の最前線 (マーク・ブキャナン著、草思社)

*2)本ブログ:2005 年10 月15日 <「自発性と当事者性」または「自発から自律へ」>をご覧ください。

Love & Work 2.0(その1) ナセバナルナサネバナラヌナニゴトモ

インサイト・コンサルティングの早川です。

プノンペンでこの原稿を書いています。
弊社のHPのリニューアルにあわせて、メルマガの過去ログをブログの形で公開することにしました。
形式面だけでなく、内容面でも<Love & Work>(1.0)を進化させ、<Love & Work2.0>なる新しいコンセプトを打ち出すことにしました。
2.0のどこがどう新しいのかをご理解いただくために、1.0時代の総括も含め、標記のお題で、しばらく続き物として発信してまいります。
で、今回はその第一回。

バンコク(BKK)でもプノンペン(PNH)でも、CATVでNHKの国際放送を見ることができます。
一つは、外国人向けの「NKHワールド」で、これはほとんどが英語での放送。
もう一つは、外国にいる日本人向けの「NHKワールド・プレミアム」。
これはほとんどが日本語放送で、「大河ドラマ」とか、「ためしてガッテン!」とか、「プロフェッショナル」とか、「その時歴史が動いた」とかいったNKHのカンバン番組を見ることができます(注1)。

で、最近見た「その時歴史が動いた」の中で、「も一度聞きたいあの人の言葉」という特集をやっていました。
過去の放送で取り上げたさまざまな人物の語った名言の人気投票です。
そこで第11位になったのが、上杉鷹山の有名な言葉<ナセバナルナサネバナラヌナニゴトモナラヌハヒトノナサヌナリケリ>です(注2)。

この言葉、しばしばつぎのように表記されます。
<成せば成る、成さねば成らぬ何事も、成らぬは人の成さぬなりけり>
どうやら、鷹山が書いた原典にもそのように表記されているらしい(注3)。
でも、これっておかしいですよね。

<成せば成る>ではトートロジー(同義反復)になってしまって、意味をなしません。
正しくは、<為せば成る>のはずです。
為す、つまり行為する、やってみるということがなければ、成るということはない、成らないのは為すこと、つまりやってみることをしないからだ、これはそういう意味でしょ。
<為せば成る、為さねば成らぬ何事も、成らぬは人の為さぬなりけり>

実は武田信玄も似たような言葉を残しています。
時代的にはこちらの方が古いですから、こちらがオリジナルである可能性もあります。
<為せば成る、為さねば成らぬ、成る業を、成らぬと捨つる、人の儚き>(注4)
で、あらためてこの言葉を味わってみましょう。
一般には、「成功のためにはまず行動、行動をおこさない人には成功はありえない」、といった意味で捉えられていると思います。
昔、所ジョージがやっていた宝くじの宣伝に、「買った人しか当たらない!」というのがありましたが、あれと同じです。
「飲んだ人しか効きません」というカゼ薬の宣伝もあったなー(ルル?)
でも、この格言、そんな当たり前のことしか言ってないんでしょか?

成るというのは、自己生成的なプロセスを表しています。
それに対して、為すはその自己生成的プロセスへの積極的な個人の働きかけを指しています。
この言葉は普通、「為す」ことに力点をおいて読まれますが、<起点としての為すことと、自己生成的な成ることの二つの関係>が論じられているところが本当の勘所だと思います。
成せば成るでもなく、為せば為るでもないのです。

丸山真男は有名な講演録「であることと、すること」(私の時代には国語の教科書で習いました)の中で、日本人は「であること」に安住し(保守)、「する」こと(変革)をしない、というふうに言っています。
しかし、「なる」こと(変化)を待つゆえに、「する」こと(変革)をしないという方が正確なような気がします。
「であることと、すること」ではなくて、「なることと、すること」。

確かに、全体はあくまで「なる」のです。
それを個人が「する」=創ることはできない。
しかし、その「なる」全体=自己生成的な全体への個人の働きかけとしての「する」は可能だし、必要である。
だからこそ、ナセバナルということばは、「起点はやはり<為す>ことにある」ということを言っているわけです。

「求めよさらば与えられん」、という聖書の言葉にも同じ意味合いを感じます。
求めるという自力と、与えられるという他力の総合がここにあります。
求めるという行為=為すことが必要です。
それでも結果は与えられる。
結果はしばしば、為す際の意図とずれた、もしくは超えたものとして与えられる-他律的に/自己生成的に。
私はこれを「出来事の過剰性」と言っています。

Love & Work1.0の時点では、この「為す」の部分が「リーダーシップ論」を、「成る」の部分が「学習する組織論」を構成していました(注5)。
では、2.0ではどうなっていくのか、それについては次回以降に。

Love & Work!!

注1:
http://www.nhk-jn.co.jp/wp/index.htm

注2:
http://www.nhk.or.jp/sonotoki/2007_03.html#03

注3:
NKHのサイトにもわざわざこのように注記されています。
「成せば成る 成さねば成らぬ何事も 成らぬは人の成さぬなりけり」
『なせばなる文書』(米沢市上杉博物館蔵)より
*漢字の表記は原文書によりました。」

注4:
これについては次のサイトから学びました。
で、あらためて鷹三の言葉を味わってみましょう。
http://www.tt.rim.or.jp/~rudyard/gohen027.html

注5:
次のアーカイブをご覧ください。
http://www.insightcnslt.com/blog2/

リーダーシップ論については

学習する組織論については

「働き方における<良さ>-<良く>働くということ」

プノンペンはここのところ大変涼しくて、朝晩などは「ちょっと寒い」と感じるほどです。とはいえ、日中は30度を超えるわけですから、日本的には真 夏日ですが・・・。おかげで、蚊がこれまで以上に発生して、元気に飛び回っています。暑い時期には蚊さえもが萎びているということなんでしょう。

先回、日本に帰った時に、しこしこと映画を見まくりました。あまりぱっとしたものにはめぐりあえませんでしたが、「フラガール」はA++だったと思 います。*1)常磐ハワイアンセンター設立にまつわる実話をベースにした物語です。お勧めです。 *1)「フラガール」においてではないのですが、別の映画(これはあまりぱっとしませんでした)の中で、ヒロインが口にした警句が気になって、帰ってから インターネットで検索してみました。*2)こういうものです。
Don’t be afraid your life will end; be afraid that it will never begin.
人生が終わってしまうことを恐れてはいけません。人生がいつまでも始まらないことが怖いのです
- Grace Hansen(グレース・ハンセン)

別のサイトでは同じ英文が 「あなたの人生がいずれ終わることを恐れてはいけない。二度と始まらないことを恐れなさい」というふうに訳されていました。いずれ終わることへの恐れと、 二度と始まらないことへの恐れはほぼ同義であって、それでは何を言っているのか分かりません。さらに、「二度と始まらない」、では人生は一度始まっている ことになります。しかし、ハンセンは「実は生まれただけでは人生は始まっていない」ということを言わんとしています。そして、そのことに気づかないでいる と、一生、生き始めないで死んでしまうことになるぞ、といっているわけです。だから、正しくは、「人生がいつまでも始まらないことが怖い」なのです。 うーーん、確かにそれは怖い!

似たような警句は他にもたくさんありますが、その一つを紹介しましょう。「生きるとはこの世でもっとも稀なことである。たいていの人間は存在しているに過ぎない。」これはオスカー・ワイルドの言葉です。

プラトンは、良いりんご、良い馬、良い父親といった場合の「良さ」(=Goodness)一般の定義を求めました。そして「良さ」のイデアがあるに 違いないと考えた。そのイデア論の背後の意図は「良さ」一般(=「良さ」のイデア)の理解を通じて、「生き方における良さ」、つまり「良い生き方」を探る ことにあったように思います。

先の二つ警句は、プラトンの「良い生き方」という問いが、現代では「本当に生きるとは」というふうに変奏されているということをよく表しています。 「良い生き方」と「悪い生き方」があるのではなくて、「本当に生きている」ことと「存在しているだけ」があるのだというわけです。でも、その問いは、さら に「本当に存在していること」と「存在していないこと」との差異へと転調されることになるでしょう。ハイデガーなどはその口ですね(「存在と時間」)。

どう変奏され、どう転調されても、結局は同じことが問われているのだとすれば、ここは問いをオリジナルな形に戻して、「生き方における良さ」=「良い生き方」とは何かを率直に問う方が優れているように思います。

さて、では「良い生き方」とは何か?それに正面から、全面的に答える力はありませんが、少なくともこういうことはいえるのではないでしょうか?ま ず、「生き方」とは「生きる仕方」のことですが、「生きる」とは「時間を生きる」(その個人について時間が止まると死んでしまいます)ことですから、「生 き方」とはつまり「時間の使い方」のことだ、ということになります。

人生において「時間」は多くのものによって充たされていきますが、たいていの場合その中核にあるのは「仕事」です。ですから、「良い人生には良い仕事が必須」だということになります。では、「良い人生」に必須の「良い仕事」とは何でしょうか?

まあ、それを考えることが私のライフワークであり、飯の種でもあるわけですが、最近、「仕事」にまつわる言葉に続けざまに二つめぐりあい、心惹かれました。

「職業というのは本来、愛の行為であるべきなんです。便宜的な結婚みたいなものじゃなく」

これは村上春樹(ノーベル賞、惜しかったですね-でも、きっととりますよ)の「東京奇譚集」に入っている「日々移動する腎臓のかたちをした石」という短編の中で、主人公のガールフレンドが述べる言葉です。

なんだか、Love & Work の宣伝をしてもらっているみたいでうれしいんですが、でも、この台詞の背後にはある、ある種の「天職主義」的な仕事観には賛成しかねます。実際、この台詞 の直前で、春樹さんはその彼女に、自分の「高い所に上る」という職業について、それが「私の天職です。それ以外の職業が頭に浮かびません」と語らせていま す。

「天職主義」において「良い仕事」とは、その人に合った何か=Whatです。そのWhatを見出した人は「良い仕事」を見出した人であり、そのWhatにかかわることを中核とした時間=人生は「良い人生」だということになります。しかし、そうでしょうか?

「衝動のようにさえ行はれる
すべての農業労働を
冷たく透明な解析によって
その藍いろの影といっしょに
舞踏の範囲にまで高めよ」

これは、宮沢賢治の「生徒諸君に寄せる」という詩の一節です。*3)「衝動のようにさえ行はれるすべての(農業)労働」を「舞踏の範囲まで高め」る こと。ここで、問題にされているのは、「仕事におけるWhat」(=何を仕事にしているか) ではなくて、仕事におけるHow(=どのようにそうしているか)です。私はそこに強く惹かれます。何をしているかにかかわらず、つまりWhatによらず、 どのようにそうしているか、つまりHowの力によって、仕事を「良い仕事」にしていく。「良い働き方」をすることで「働くことおける良さ (Goodness)」に出会い、その出会いによってその仕事がそのままその人にとって「良い仕事」となる。そしてそれが「人生における良さ」=「良い人 生」の発見へと繋がる。

仕事に関してそのような道筋をつけるためには「冷たく透明な解析」が必要だと賢治はうたっています。インサイトの思索と実践を、その必要とされる「冷たく透明な解析」の「範囲にまで高め」なければなりません。

ソウイウカイシャニヘイシャハナリタイ!

Love & Work !!

*1) http://www.hula-girl.jp/index2.html

*2) http://kuroneko22.cool.ne.jp/E&J.htm

*3) この賢治の詩には保坂和志の「途方に暮れて、人生論」の中で出会いました。この本もとてもいい本です。彼へのリスペクトをこめて宣伝しちゃいます。是非、ご一読ください。
http://web.soshisha.com/archives/life/index.php

中国の濃度

しばらく日本に帰国していて、最近再びプノンペンに戻りました。カンボジアに限らず、東南アジアは12月から2月にかけてがベストシーズンで、 HOT,HOTTER,HOTTESTと三つあるシーズンのうちのHOTシーズンになります。とはいえ、今年はなかなか涼しくならず、現地の人たちは「こ んなの初めてだ!」といっています。地球は温暖化しているといいますが、熱帯がさらに温暖化したら、熱帯でなくて灼熱帯になってしまいますね。人間という 生命体は上は45度Cの環境下でしか生存できないそうですから、HOTTESTシーズン(4月)には42度になるカンボジアあたりは、すでに生存限界に近 いのかもしれません。

先日、噂に聞いていたある光景をとうとう目にしました。<点滴をしながらバイクに乗っている人>というものです。しかも、そのバイクは4人乗りで、 一番後ろに乗っていた女性が赤ちゃんを抱え、多分その赤ちゃんが点滴中で、二人目(運転手の後ろにいた人)が点滴パックをつるした竹の棒を持っていまし た。灼熱の太陽の下、渋滞の中をそんなバイクが走っていきます。点滴液が沸いてしまわないか心配!

さて、今回のお題は「中国の濃度」。しばらく日本にいた間に、日本社会の中における中国(人や情報)の濃度がとても濃くなったと感じました。その印象について書いてみたいと思います。

今回、東京の銀座の八丁目にしばらく宿をとったので、毎日のように銀座界隈を歩く機会があったのですが、行き交う人々が中国語を話しているというこ とがとても多かった。しかも、一時のように一見中国人と分かる人々が団体で往来しているというのではなく、カップルや家族連れが日本人に紛れてそこここに いる。言葉を聴かなくては分からない。そんな感じ。

ちょうど世界バレー(バレー・ボール)をやっている時期でしたが、日本のエースが最近帰化した元中国籍の小山修加さん。*1)彼女のバックアタック をTVで観て、バレーボールは格闘技だなとつくづく感心しました。アスリート同士のゲームというより、格闘家同士の闘いという感じ。凄いですねー。

そんなこんなの東京での滞在期間中、たまたまなんですが、「泣きながら生きて」というTV番組を見ました。*2)フジテレビが放送したドキュメンタ リー番組で、日本に違法滞在している中国人の生活を10年も追ったもの。筋は次のようなものです。 主人公の丁尚彪(てい・しょうひょう)さんは、上海出身の中国人で、貧しい家で育ちました(母親は字を読めなかった)。彼は高い教育を受けてそうした境遇 から脱することを夢見ていましたが、ちょうど学齢期に文化大革命があって、下放政策で地方にやられ、教育の機会を失ってしまいます。文化大革命終息後、同 じく下放されていた女性を結婚して上海に戻り、一女をもうけますが、貧しい暮らしから抜け出せません。

あるとき、彼は日本のある大学の募集要項をたまたま手に入れ、「大学に行く」という夢に掛けてみようと思い立ちます。入学のための費用は42万円、 夫婦の収入の15年分に相当します。一族郎党から借金をしてなんとかそれを工面し、彼はとうとうその<日本の大学>に旅立ちます。1989年のことです。

しかし、その<大学>は北海道の阿寒町の***字番外地なるところにありました。村が炭鉱の閉山後の村おこしのために無理やり作った大学で、校舎は 廃校間直の中学校の校舎、宿舎は炭鉱労働者が使っていた町営住宅、といったものでした。丁さんをはじめとした中国人留学生は、日本に来て勉学の傍ら、その 後の授業料、生活費、謝金の返済のためにアルバイトをするつもりでいました。当然のことならが<番外地>にアルバイト先があるはずもなく、彼らはその地を 逃げるように去り、都市に移っていきました。留学ビザは更新されるはずもなく、その後丁さんは滞在者となって、東京に住むことになります。

東京での彼の生活は壮絶なものです。早朝の仕事、昼間の仕事、夜の仕事と三つの仕事を持ち、終電が通ったあとの線路を歩いてアパートに帰ります。ア パートでは台所の湯沸かし器からのお湯で頭を洗い、その後ポリバケツの中で体を洗います。「風呂の付いているアパートは2万円は高くつく。その分、多く仕 送りした方がいい。」と、彼は言います。不況の中でも仕事があることを感謝し、また今後も仕事にあぶれないために多くの資格をとっています。TVの画面上 では、目力があり、強健そうに見えますが、無理は歯に来ているらしく、ほとんどの歯が差し歯になってしまいました。

彼がそれほどまでに働いて仕送りするのは、上海で待つ家族の、とくに娘の学業のためです。自分が日本で大学を出て中国に戻り貧しい暮らしから抜け出 すという夢は諦めたものの、それを今度は娘に託そうというのです。彼女をアメリカの大学にやりたい、その一念で彼は働きます。「人生はリレーみたいなもの だ。自分は親からバトンを渡された。次に子供にそれを渡す。そのときまで、懸命に、懸命に走る。それだけだ。」と、彼は言います。

しかし、その彼の思いを上海の家族は必ずしも完全には理解していません。大学に行って4年で卒業して帰ってくるはずだった夫・父親が、仕送りはして くるもののいっこうに帰ってこない。妻は、「日本に女でもできたに違いない」と考えます。そして、夫からの仕送りにはいっさい手をつけずに自分もまた懸命 に働きます。

そんな家族の下に、1997年、取材班が撮りためたVTRを持ってやってきます。そして、夫・父親の日本での様子=仕事、暮らし、家族への想い、を見せます。そして、泣く。「こんなに苦労しているとは思わなかった」

娘は言います。「親が子供のためにこんなにも犠牲を払うというのは決して正しいことではない。私はそう何度も言った。でも両親は止めない。であれ ば、自分はその期待にこたえるよう励むしかない。」かくして、彼女はアメリカのNYの名門大学の医学部に合格し、渡米します。そして、そのアメリカ往きの 飛行機が成田を経由する、その時に24時間だけの入国許可が与えられる。そして、彼女は父親との8年ぶりの再会を果たします。

父は娘を自分のアパートでもてなし、また自分の元の職場に連れて行き、昔の同僚に紹介します。「日本人は本当によく働く。中国人は日本人に学ばなけ ればいけない。」と、彼は言います。別れのときが来て、二人は京成線で成田空港を目指します。でも、父は空港のひとつ手前の成田駅で下車しなければならな い。空港では身分証のチェックがあるからです。

二人並んで座る列車が成田駅のホームに着きます。父はさっと立ち上がり、右手を「じゃあ・・」という感じでちょっと振って、列車を降りてしまう。娘 も振り返ってホームの父を見ることもしない。扉が閉まり、列車が動き出す。その刹那、娘がチラッとホームに立つ父を見る。列車がホームを離れ、二人の距離 が閾値を超えたとき、二人はそれぞれの場所、ホームで、列車で、肩を震わせて泣く。

二人の再会の後、今度は妻・母がアメリカの娘を訪ねるために渡米します。そのときも経由地である日本での滞在が、今度は72時間許可される。そこ で、今度は夫婦が再会を果たします。夫はハトバスのパンフレットを持っている。そこには代金が8000円と書いてある。夫は、ハトバスの一日観光コースの 行き先をメモに取り、電車や都電・都バスなどを使ってそこを回ります。

そして再び別れの時が来ます。そこから先は娘のときとまったく同じ。まるでデジャブーのよう。二人はそっけなく別れ、そしてそれぞれの場所で泣く。 肩を震わせて。まさに、「泣きながら生きて」です。夫は言います。「妻には本当に苦労をかけた。」妻は言います。「夫を疑って悪かった。歯があんなに悪く なってしまって、どんなに苦労したかが分かる。」

娘は無事卒業し、インターンとして働き始めます。夫・父は今度こそ、帰国する決意をします。しかし、その前に、是非とも見ておきたいところがあると 言う。それはあの阿寒の地でした。スーツを着て、自転車を漕いで、彼は彼の地を回ります。学び舎だった中学の、今は廃校となった校舎。宿舎だった元町営住 宅。それぞれに場所で、誰と会うでもなく、その地に対して、彼は深々と頭を下げる。そして、こう言います。「あの時は本当申し訳なかった。でも、どうしよ うもなかったんです。きっと大きな迷惑をかけたにちがいない。すみませんでした。」

日本の地を後にするときも彼は、機内から見える日本の地に対して手を合わせ、涙を流して言います。「日本には本当にお世話になった。ありがとうございました。」

次いで上海の妻のシーン。少し広くなった印象の、たぶん新しい家の中で、妻が料理を作っています。「あの人は歯が悪くなってしまったから、軟らかいものを作りました。」なべには粥が湯気をあげています。

最後にアメリカの娘のシーン。娘は再び言います。「親が子供のためにこれほどの犠牲を払うことは正しくない。今でも、私はそう思う。でも、その結果 こうして私は高い教育を受けることができた。その恩は言葉では言い表せない。だから、それを私は次の世代の子供たちに向かって返していく。」彼女は小児科 医になっていました。

ううーーん、「泣きながら生きて」というより、「泣きながら観て」という感じの2時間でした。後で友人たちに何度もこの番組の話をしました。その度に泣いてしまう。今、こうしてこれを書いていても泣けてしまってしょうがない。マイッタ!

プノンペンでも、ある中国人医師に言われました。「ここに住む中華系カンボジア人はどうしてここに住むようになったか知っているか?中国人は拝金主 義で、金儲けのために進出してきたんだと思っていないか?でも、それは違う。東南アジアに中国人が大量に流出したのは20世紀には2度あった。1929年 と39年。29年の時は、中国の内乱のあおりで難民化した人たちが南下してきた。39年の時は、日本との戦争で難民化した人たちが再び南下してきた。タ イ、マレーシア、カンボジアに今住む潮州人や福建人たちはそういう人たちだ。」

東京に滞在中しばしば通った築地の場外売り場の食堂でも中国人をよく見かけました。贔屓にしているホルモン煮の「きつねや」さんに近い、ラーメンの **さんでラーメンを食べていると、そのとなりの日本蕎麦屋に中国人のカップルがやってきて、片言の日本語で日本蕎麦を注文しています。どうも、天ぷら蕎 麦をひとつ頼んでそれを二人で食べようとしているらしい。天ぷらだけ二つ入れてほしいと交渉している様子。店のおばちゃんは、二人で一つというのが気に入 らなかったのか、メニューにない注文が煩わしかったのか、不愉快そうな対応。「注文は一つなんだから、箸(割り箸)は一つだけにしてね。二つ使っちゃだめ よ!」

隣の店の露天のカウンターから見ていて、思いました。「中国人がわざわざ日本に来て、築地を訪ね、日本蕎麦を試そうとしているんじゃないか。そんな ケチクサイこと言わないで気持ちよく食べさせてあげろよ。」思うだけでなくて、直接そう言って、抗議すればよかった。後でそう思いました。TVを観る前の 経験でしたが、もし、観た後だったらそうしていたと思います。

そんなふうに、日本における中国の濃度が上がっているのを感じ、そして私の心の中の中国の濃度も上がりつつあるのを感じています。中国語、もっとちゃんと勉強しなくちゃ!

再見!

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*1) http://www.tbs.co.jp/sebare/diary20060705.html

*2) http://www.fujitv.co.jp/ichioshi06/061103nakinagara/index2.html

「フラット化する世界」

今、カンボジアはお盆の最中です。9月21日から25日までは官公庁がお休みです。日本大使館からは「パスポートを紛失した場合、パスポート自体の 再発行は可能だが、この期間中は、カンボジアのお役所が休みなので、出国ビザの発行ができないため、出国ができない」旨の注意メールが届きました。

で、期間中の街の様子はというと、カンボジア人(クメール人)にとってはお盆でも、中華系の人たちにはあまり関係ないらしく、中華系の商店(レストランやマッサージ店)などは通常通り営業しています。

でも、さすがにピークの一日だけは街はひっそり。道路はガラガラで、まるで正月のサンガニチの東京都心のよう。しかし、そのほかの日にはそれほどの ヒッソリ感はありません。どうやら、皆が皆田舎に帰るわけではなくて、家で静かにしているだけ人も多いようです。こういうときには皆が一斉に里帰りして日 ごろの喧騒と間逆になってしまうタイのバンコクとはずいぶん違うと感じました。

そんな中で、「フラット化する世界」(トーマス・フリードマン著)を読んでいたら、最貧国をフラット化の恩恵に浴させるためには、貧困者や不法占拠 者に不動産の権利証を与える必要があるという趣旨の文章にあたりました。そうしないと、彼らは自分の住居を守るために家を留守にできない=働きに出かけら れない。

一斉に田舎に帰るバンコク市民と家の中で時を過ごすプノンペン市民。彼らの違いの背景にはそのような事情があるのかもしれない…、なんてことを考え ていたら今度はタイでクーデターがありました。ことの最終的な帰趨は分かりませんが、今のところさしたる混乱はなく、バンコクの新国際空港も無事にオープ ンしそうです。

そうした地政学的リスクについて、フリードマンは「紛争防止の黄金のM型アーチ理論」というのを提唱しています。M型アーチとはマクドナルドのロゴ のことで、その意味するところは、「マクドナルドが出店している国同士は、マクドナルドがその国にできて以来戦争をしたことがない」というものです。

「フラット化する世界」には「マクドナルド理論」のバージョンアップ版が紹介されていています。曰く、「フラット化した世界でのカンバン方式サプラ イチェーンの出現と普及は、マクドナルドに象徴される生活水準の全般的向上よりもずっと地政学的な冒険主義を抑制する効果がある」。

さて、タイは「デルのサプライチェーンの内側」にいる国です。カンボジアには、マクドナルドもケンタッキー・フライドチキンもスターバックスもあり ません。バンコクではクーデターが起こり、プノンペンではクメール・ルージュ時代の虐殺を裁くための国際法廷が開かれようとしています。バンコクではタ イ・バーツが値下がりし(でも暴落はしませんでした)、プノンペンでは現地通貨リエルはドルのお釣りとしてしてか使われていません。

先月までいた台湾について、「フラット化する世界」はこうコメントしています。曰く、「フラットな世界における理想の国は、天然資源をまったく持た ない国なのだ。そうした国は対外内面を掘り起こそうとする。エネルギー資源ではなく、国民-男も女も-のエネルギー、起業家精神、想像力、知能を掘り起こ そうとする。台湾は台風の多い海にある小島で、国民のエネルギーと成功願望と才能を除けば実質的に天然資源はゼロだが、今日では世界三位の外貨準備高を有 している。」

こうした国々をイッタリキタリする生活も一年半になりますが、近頃「本番はこれからだ」という感じが強くなってきました。グローバル化=アメリカ化 =均一化といった文脈とは少しだけヅレたところで、世界のフラット化がどのように進行していくのか、その中で、個人や企業や組織、そして国家がどのように 身を処していくのか。

興味は尽きません。*1)

再見!

Love & Work !!

*1) グローバルアライアンス研究会:
株式会社インサイト・コンサルティングでは、情報システム学会においてグローバルアライアンス研究会に参画し、中国、インド、ベトナムだけではなく、ロシ ア、韓国、南アフリカ、タイ、その他ASEAN諸国における海外技術者の効果的なハンドリングやアライアンスプラニングについて現地情報を交えた研究活動 を実施しています。
http://issj.nuis.jp/
来る2006年12月2日(土曜日)には、情報システム学会第2回発表大会において活動報告が予定されておりますので、関心をお持ちの方は是非ご来場ください。
http://www.isc.senshu-u.ac.jp/ISSJ2006/

「台北便り2」

再び台北からです。

台北滞在もラスト1週間になりました。中国語の方は、発音に関しては多少、それらしくなってきました。中国語では口を完全に閉じる音はありません。 話し始めたら、話し終えるまで、口は開いたままです。藤山寛美演じるところの「大阪のアホノコ」みたいな感じを意識して話すと褒められます。

日本語の場合、口は上下に開きますが、中国語の場合は、下あごを奥に引くように開く音が多いです。これかできるようになるために、毎日、風呂の中で、表情筋ストレッチをしています。

下あごを奥に引く発音はタイ語にもあって、そのためにタイ人の口元は唇が「への字」になっています。その「への字」の口元が微笑むと「Vの字」になります。「への字」から「Vの字」への変化率の大きさがタイを「微笑みの国」と呼ばしめているような気がします。

しかし、中国人の口元は「への字」にはなっていません。彼らの口元はニュートラルで、あまり表情がありません。「口の形」は発音(音素)だけで決まるわけではないと言うことですね。

それにしても中国人の耳はたいしたもので、L/R、F/H、J/Z・・・・の区別、声調の違いをちゃんと聞き分けます。厳密に区別がつきすぎて、日本人の耳には近似な発音でも彼らは決して補って聞き取ってくれません。そういう意味では「耳が悪い」?

その点、タイでは事情が真逆でした。実はタイ語にも声調があって、それが違うと意味がまったく異なるらしいのですが(当然ですね)、タイ人はその辺 もおおらかに聞き取って外国人のタイ語をよしとしてくれます。「美しい」というタイ語は「スワイー」といいますが、声調を間違えると、「不吉な」と言う意 味になるらしい。でも、外国人が「スワイー」といえば、彼らはみな喜んでくれます。実際、私などはバンコクに一年いて、タイ語に声調があるということをバ ンコクを出てから知りました。

カンボジアのプノンペンでは、ポルポト時代に途絶えた中国語教育の再興が計られています。中華学校に大陸から北京語(普通語)の教師が呼ばれて来て います。西域の非中国語圏でも、長年、固有の言語を守ってきた地域で、中国語熱が高まっているとか。これもグローバル化のなせる業。日本では、グローバル 化=アメリカ化との批判がありますが、グローバル化=中国語化である地域もまた広大です*1)。

柄谷行人氏が「世界共和国へ-資本=ネーション=国家を超えて」(岩波新書)の中で、21世紀になって台頭してきたのは旧文明圏であるということを 指摘していました。確かに、中国もインドも古代文明圏ですし、イスラム世界もその中心は旧メソポタミヤ文明、旧エジプト文明圏です。文明論的には20世紀 までの現代が、むしろ例外的に「文明の周辺圏」が世界をリードした時代だったというわけです。イギリス、アメリカ、そして日本。

書家の石川九楊氏も、「日本語とはどういう言語か」(中央公論社)の中でこう言っています。「漢文、漢詩、漢語に加えて、女手(ひらがな)による和 文、和歌、和語ももつこと、西欧語を直截に表記する音写文字・カタカナをもつことから、日本語はいちはやく近代化を達成し、西欧列強による植民地化を免れ た。しかし、その後、百年以上を経ると、音写文字なき中国語も表音表意的、批判的に西欧語の理解と吸収を実現し、このころから西欧文明の限界が見え始めた ことと相俟って、底力を持った中国(語)の台頭が見られる。こまごまとした先端部分では、今後も日本(語)は敏捷に対応しようが、東アジアにおいて日本 (語)が、先駆的に領導する時代は終焉したのである。」

私としては、中国(語)がどのように「音写文字なき」ままに、「表音表意的、批判的に西欧語の理解と吸収を実現」したのかを知りたいと思います。 「こまごまとした先端部分で」、「敏捷に対応」するためにではなく、後何十年か生きるとして、その間、歴史に対する責任を果たしていくために。

再見!

Love & Work !!

*1) 日本でも中華学校の脱民族学校化=国際学校化が進んでいて、そこへの子弟の入校を希望する日本人も増えてきているとの報道もあります。
http://www.mainichi-msn.co.jp/shakai/edu/mori/archive/news/2005/10/20051003ddm004040083000c.html
http://www.nier.go.jp/homepage/kyoutsuu/kyoutsu2/kiyou134-143.pdf

先回の記事の訂正
先回の記事の中で「同じアパートに住む夫婦は、息子を中米のベニンに留学させています」と書きました。中米のベニン?、ベニンはアフリカです、中米ならベ リーズのはず・・、というご指摘をいただきました。そのとおりです。正しくは、中米のベリーズです。謹んで、訂正させていただきいます。細かいところま で、ちゃんと読んでいただいて、謝謝!

「台北便り」

台北に来て一月がたちました。バンコク、プノンペン、台北と巡ってきてすっかり、熱帯男になった気分です。暑いところにいるとさぞかしビールがおい しいだろうと想像されるでしょうが、ところがまったくそうではない。なにせ、一日中ペットボトルを持ち歩いて、水ばかりのんでいますと、夜になってもちっ ともビールがおいしくないんです。とはいえ、あとでおいしくビールを飲むために水を控えるなどということをしますと、熱中症にかかってしまいます。おかげ で、体はだいぶ絞れました。

台湾の仕事文化について、あれこれといろいろな人にインタビューしています。定量的なデータとの照合はまだですが、定性的観察の生の印象を綴りたいと思います。

まず、台湾の経済は中小企業によって支えられているようです。GDPの80%は中小企業によるものであり、残りの20%が大企業および、国営企業によるものだそうです。このあたりは、韓国と真逆の構造ですね。

台湾人は、独立意欲が高く、皆が「ラオバン」になりたがります。「ラオバン」とは店屋のおじさん(店主)、および社長さんのことです。今風に言えば、企業家精神が旺盛だということだと思いますが、これが元々の華僑精神なのかもしれません。

しかし、元来の華僑精神に加えて、台湾という国(?)の特殊な性格も関係しているようです。ともかく、中華民国を承認している国が少ないので、貿易 を行うにしても、国のバックアップも、母国の金融機関の援助も期待できない。全部自分たちでイッポンドッコでやっていかねばならない。その分、台湾では NGOの活動がとても盛んで、そういう面での先進性を随所に感じます。

女性の社会進出も盛んで、夫婦別姓は当然のこと、男女は対等に競争しています。子供が生まれると、一ヵ月半の育児休暇が与えられますが、その後は職 場復帰します。託児所、保育所の類もあるようですが、週中は、バオム(保母の「保」と女偏に母と書きます)と言われる乳母に預けっぱなしにする(週末は実 の両親のところに帰る)というシステムがあるようで、これが盛んに利用されているとのこと。

費用は3万台湾元(10万円くらい)/月。若いお母さんだと、サラリーが飛んでしまう額です。

そうした中で、出生率はどうかといえば、なんと世界最低水準。日本よりも低い。背景について、現地の友人は、、晩婚化と教育費の高騰をあげていまし た。教育費に関しては、たとえば幼稚園。昨今は幼稚園における英語教育が盛んで、その月謝は、大学の学費以上なんだそうで、いやはや大変です。同じアパー トに住む夫婦は、息子を中米のベリーズに留学させています。なぜベリーズかと言えば、英語が公用語で中華民国を承認している国が他にないからだそうです。

台湾人は「家族が一番」といった人たちでもある。仕事が終わると、まっすぐ、帰宅。家族との時間を大切にします。「日本人のように、アフターファイ ブの付き合いのようなものはない」とは、私の中国語の先生の談。実際、いわゆる飲み屋街(東京でいう歌舞伎町みたいなところ)以外のところには飲み屋が見 当たりません。淡水という観光地があって、先週末にそこに繰り出したのですが、ものすごい人ごみなのに、それでも酒場がみつからない。それどころか、食堂 に入っても、ビールさえ置いていない(これにはびっくりしました)。士林市場というところに立ち食い寿司屋があったので、試しに食べてみた時も、ビールは 飲めませんでした。

昔、スウェーデンが貧しかった頃、仕事が終わったら、酒を飲まずに勉強をしようというような国民運動があって、それが今日の彼の国の繁栄の一つの出 発点になったと言う話をきいたことがあります。「台湾の奇跡」の背後にも、お酒でONとOFFを分断してしまわない、ライフスタイルがあったのかもしれま せん。

うーーん、台湾、ディープです。

再見!

Love & Work !!

四都疾走-CCLについて

ニーハオ!

6月末の時点で、台北におります。ここ一ヶ月の間に、プノンペン、バンコク、東京、台北と四都を巡って参りました(今は台北におります)。

5月はじめから6月はじめまでの1ヶ月間、プノンペンにおりました。今回のプノンペン滞在ではいろいろな人と友達になることができ、大変収穫の多い 1ヶ月でした。ポルポト時代の生き残り(ベトナムに逃げて後に戻ってきた)の華人(カンボジアの国籍を持つ、中華系カンボジア人)や、天安門事件に絡んで 本国から流れてきた中国人(カンボジアの華人社会再建のための中国語教育の教師として赴任中)、日本からのボランティアの若者たち、などなど。

6月6日にプノンペンからバンコクへ。一月ぶりのバンコクです。バンコクは国王の在位60周年記念行事一色で、なんだか別の街に来たよう。なんと、 幹線道路沿いに、露天商がいない!&屋台が無い!2週間くらい、営業停止なんだそうです(かわいそうに)。国賓が来る間は、隠しておく作戦。タクシーの運 転手は、上機嫌で、「アキヒトもミチコも来るぞ」と言っていました。見なかったものは無かったもの、これぞマイペンライの世界。

人々は10人中8人くらいの割りで、黄色のTシャツ、ポロシャツを着ていました。胸や背中には、タイ文字でなにやらおそろいの言葉が書いてある。英語バージョンのものもありました。<I love the king.>ですって。

でも、このTシャツ、だんだん値上がりして手に入らなくなってしまったとのこと。国王のお祝いだって、ちゃんと商売ネタにしてしまうところに、ある 種の健全さを感じました。しかも、お祝いのピークが迫るにしたがって、今度は在庫がたまり値崩れが起きたようで・・・、なんだか、日本の「たまごっち」騒 動みたいですね。宴の後、再開する露天商では、黄色いTシャツが投売りされることでしょう。外国人が何も知らずに買っていくのかな。<I love NY.>みたいなものだと勘違いして・・・。

ランニングをしようとホテルのジムに行きましたら、従業員が二人でTVを見ていました。画面には、集まった群集に向かって国王が王妃と一緒にベラン ダから手を振っている場面が流れています。画面の人々は感涙に咽び、嗚咽を挙げて泣いています。と、そのシーンをTVで見ていた従業員二人もハンカチで涙 を拭い、泣いている様子。私はこのまま走っていていいんだろうか?不敬罪で捕まったりしないよねー?と、ちょっと心配になりました。

6月11日に成田へ。12日からの自社の公開セミナー出席のためです。タイトルはCCL(クロス・カルチャー・リーダーシップ)セミナー。おかげ様で盛況でした。

クロス・カルチャー(CC)の問題は海外進出しようとする企業が、現地の従業員をどのようにマネージメントすべきかといった問題から派生したもので す。しかし、CCはなにも日本と外国、ドメスティックとグローバルの間にだけあるのではない。団塊の世代と団塊ジュニアの世代といった世代間(その接点に バブル世代がいます)。経営層と従業員層といった職層間(その接点に管理職層がいます)。このような各所にCCは存在し、その接点を担っている人々がい る。CCの問題は実はかように普遍的な問題であって、それに取り組むための方法もまた普遍的なものであるはずだ、云々。といったことを議論させていただき ました*1)。

東京にいた一週間では、エレベーターに乗るたびに、乗客が「これ、シンドラー・エレベーターじゃないよね?」とお決まりのネタのように言うのが滑稽 でした。私自身が気になったのはエレベーターじゃなくて、エスカレーターの方。東京の場合、人は左側に立って、右側を空け、そこを急ぐ人が駆け上がります よね(大阪では左右が逆ですけど)。

今回の東京滞在で、なんだかエスカレータの右側を駆け上がる人が少なくなったような印象を持ちました。単に、夏で熱いからでしょうか?それとも、 「ロハス」(注2)な雰囲気が徐々に浸透していると言うことでしょうか?もし後者だとしたら、時代の潮目が変わりつつあるサインなのかもしれません。

6月20日から台北に来ています。台北は2年ぶりですが、バンコク、プノンペンで鍛えた目(?)で見ると、街全体がとても清潔で、日本とあまり変わ りません。九州のどこかの地方都市に来たよう。まあ、その分、生活コストも高くなっているわけで、Nothing is perfect!です。

仕事の合間に、中国語を習いに通っています。これからの時代を見とどけるためのツールとして必携と判断したからです。文法は簡単。英語と似ています が(S+V+Oというふうに並べます)、もっと簡素です。例えば、動詞に時制がない。名詞に、男性女性の別はもちろん、単数形複数形の別も無く、冠詞もな い。英語の前置詞に相当するものも数が少ない。

文字は漢字(当たり前です)。日本人にとっては、学習済み(大陸の簡体字は「困ったさん」ですが)。語彙に関してもたいそうオプチマイズされている らしく、現代中国語のレベルでは大きな問題ではないらしい。そういった意味では、中国語は組しやすい言葉であるように見えます。

しかし、問題は発音。母音も子音も音素が多い上に、四声という音階があるので、厄介以上。特に大陸が開発したピンインという発音記号は発音記号としての役に立っていないのではないかと思えるほどに、例外処理の多い、「ほとんど嫌がらせ」といった代物。

でも、中国語の難しさの本質は別のところにあります。日本語の場合、一つの音は一つの音でしかない。例えば、マはmaという音であって、間にも魔に もなりうるけど、maはあくまで音としてのマ。でも、中国語の場合には、三声のマ(ma3)という音は<馬>という文字の読みとしてあって(もちろん同音 異語はありますが)、<馬>という文字は<うま>という意味をもった<語>です。一音=一字=一語=一意味が一体というこの成り立ちが本当に面白い。日本 語とは全く語としてのコンセプトが異なります。それは文字のコンセプト(表音文字か表意文字=正しくは表語文字)や文法の違いを超えた違いだと思います。 だって、ある音(論理的にはありうる音)に相当する語(漢字)が無い場合、中国語にはその音が無いとされ、しかもそれが無いことが意識さえされず、した がってその音の練習もしないんですよ。これって、日本語的にはおかしくないですか。アイウエオ/アカサタナハマヤラワを習って、カ行のウの段=クと発音す る語が無いから、クという音はない(しかもそれがないということが意識さえされていない)というような言語世界が想像できますか?でも、それが中国語。

言語としての成り立ちが違う中国語という言語を話し、その言語によって思考している人たちと日本人がコミュニケーションしようとした場合のコンフリ クトの大きさは推して知るべしです。違いを無視することは論外としても、違いを理解するだけでなく、違いを超えたところ(普遍的な地平)でのコミュニケー ト力(普遍的な人間力)が試される局面がこれからもっと多くなることでしょう。とまあ、こういったことを我々はCCLという領域で研究しているわけです。

次回は、タイ、ミャンマー、カンボジア、ベトナムといった東南アジア諸国が、華僑への対応でどのように異なり、その結果がどのように国の現状に反映 しているかといったことを書いてみたいと思っています。でも、このコラム、予告どおりに展開しないことが多いので、その場合はアシカラズ。

再見!

Love & Work !!

*1)CCLについては次のサイトでご案内しています。
http://ccls.jp/
ロハスの定義については次のサイトをご覧ください。
http://allabout.co.jp/family/simplelife/closeup/CU20050225A/