日本人であることの「隘路」

「アメリカに四年半ばかり住んでいる間に、僕はひとつ自己矛盾に突き当たるようになりました。

というは、僕はそれまで、個人として自立することをひとつ目的として生きてきたからです。
日本にいるときは、それが僕にとって大事な意味を持つ作業だった。
社会システムに対抗する個を確立すること。
ところが、アメリカやヨーロッパでは、人が個人として自立することというは、いわば自明ことです。
つまり、日本を出てアメリカにやってきて、個であることをあえて希求しなくてもよくなった。
すると、「じゃあそ個人として、自分はいったい何をすればいいか」ということが新たな命題として浮かび上がってくるわけです。
個であることは、人生目的ではない。
それがアメリカで暮らしているときに、僕がはっきりと認識できたことですね。
一人個人として、自分が何をなしうるか?
それが僕にとって大事な命題になった。」
(村上春樹、「夢中から責任ははじまる」より)

“When I was living in the US for about four and half years, I came to encounter a self-contradiction.
This is because, up till then, I used to live for a purpose, that is to be independent as an individual.
When I was in Japan, it was a very significant work for me.
In other words, establishing an individual that stands against the social systems.
However, in the US and Europe, it is quite obvious that a person becomes independent as an individual.
Consequently, after leaving Japan and coming over to the US, it became unnecessary for me to pursue independence as an individual.
So the next question came up: ‘Then what should I do as the individual?’
Being an individual is not a purpose of life.
That is something I clearly realized while living in the US.
What can I do as an individual?
That became an important proposition for me.”

「夢中から責任ははじまる」というタイトル、いいですねー。
これは、春樹さんインタビュー集、「夢見るために僕は毎朝目覚めるです」所収です。
一気に読んでしまうがもったいなくて、間欠的に、少しづつ、いとおしむように読みました。
たいていは、ちょっと飲みながら、そウィスキー残量と見比べるようにして。
彼がいかに「まじめに」(=serious)に生きているか、そうしたseriousさがいかに豊かで、楽しいもか(=serious fun)、を感じさせてくれます。

さて、上文章自体には解説必要はないでしょう。
日本人であること「隘路」がよく語られています。

どうしたらそような隘路から抜け出ることができるか。
それをわたしは常々、「日本人を解脱する」と表現してきました。

わたしは、タイとカンボジアに3年いて、春樹さんと同じように考えるようになりました。
ということは、「日本人である」こと特異性は、アジア人であることや、先進性/後進性といった範疇から生じたもではないということです。
だからこそ、それは「自己矛盾」なであり、「隘路」なであり、「解脱対象」なです。

闇は深い。
しかし、我々はそこから出て行こうとしなければなりません。

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