「道徳的人間とは、
何が公正であるかという原則を理解し、
積極的にそれを実践していく能力と実力をもち、
何が自己の人生の目標であるかを考え、
必要とあらば訂正し、
合理的にそれを追及していく存在のことである。」
(ジョン・ロールズ、「正義論」より)
The moral person is the one who understands principles on what justice is,
has an ability and power to actively put them into practice,
thinks what his goal in life is,
correct it if necessary,
and pursuit it in a reasonable manner.
ロールズは、「生来の才能の分配や社会環境の偶然性は正義にもとる」という過激な正義論の持ち主です。
先日ご紹介した、グラッドウェルの「天才!」にあった「すべての人に機会を!」という考え方にも響きあうものがありますね。
「正義」論と「道徳」論の間の関係は必ずしも自明ではありません。
「人が道徳的であることが正義に貢献する」といえるためには、「世界が道徳的な場としてできている」ということについての信頼が必要となるからです。
人の正義観、道徳観の中身について完全には理解→同意できないとしても、それでもその正義「論」、道徳「論」がときに読者の心を打つのは、その呼びかけに伏流するそうした「前提」的な世界観に励みを受けるからでしょう。
ですから、人との連帯ということにおいてさえ、「正義」や「道徳」についての定義を共有しているかどうかよりももっと重要なのは、「正義」や「道徳」が自分にとってどれくらい重要か、ということです。