「父母を見れば尊し
妻子を見ればめぐし愛し
世の中は
かくぞ道理」
(「万葉集」より、山上憶良)
「ちちははをみればたっとし
めこをみればめぐし愛し
よのなかは
かくぞことわり」
この「愛し」の部分、どう読みますか?
「うつくし」と読むんだそうです。
「愛」という言葉を日本人がどのように受け取ってきたか、その理解の一助になりますね。
ちなみに、「愛する」という場合の「アイ」は訓ではなくて、音です。
ですから、中国語を音として輸入したものということになります。
「信じる」の「シン」もそうです。
ということは、「愛する」も「信じる」も「アンプリファイアする」(増幅する)とか「アナライズする」(分析する)とかいうような言葉と同じ程度にしか日本語化されていないことになります。
キリスト教の二大概念が実はまだ本当には日本語化されていない、というのは興味深いことだと思います。