「すでにゲームはあるじゃないか。
そう言う人はいるだろう。
間違っていない。
確かにゲームはすでにある。
しかし、そこにはゲームが「ある」だけなのだ。
われわれはそのゲームを必ずしも楽しんでいない。
積極的に、意欲を持って参加しているわけではない。
いくつかのゲームはリセットしてやめることもできない。
目の前に存在するゲームは簡単に変更することができないのだ。」
(井上明人、「ゲームフィケーション」より)
先日NHKの「クローズアップ現代」でゲーミフィケーション(Gamification=ゲーム化)の特集をやっていてたまたま観ました。
題して「ゲームが未来を救う」。
日本でゲームといえば「遊び」としてのそれしか連想しませんが、欧米ではもっとビジネスよりの場所で活用されているらしい。
ちょうど、直前にシリアスゲーム(Serious Game)というゲームの領域についても見聞する機会があったこととも重なって、「なるほど」感、充溢。
http://cgi4.nhk.or.jp/gendai/kiroku/detail.cgi?content_id=3147&html=2
そしたら、そぐにこの本がTUTAYAで平積みになっているのを発見。
早速購入。
すばらしい本でした。
優秀で志ある若い書き手と出会うのは気持ちのいい経験です。
彼はこういう未来像を描いています。
「もしも、会社で働く同僚たちに、5時で退社することを共有してもらえるようなゲームを機能させることができたら?
たとえば、5時になって、子育てをしている同僚を退社させることに失敗したら、全員が「失敗した!」と落胆することができたなら?
もしも5時に帰えることをニコニコと共有できるようなゲームを設計することができるようになったら?
子育てがある同僚に5時に退社してもらうために、チームが協力するゲームは作ることができるだろう。
子育てと業績アップの両方が全員の中に自然に共有できるようになれば、それは望ましいことではないだろうか。」
そのためには「ゲームを設計する権限をよりオープンにしていくこと」が必要だという指摘もアッパレ!
いい本です。
是非、ご一読を。