「櫛挽道守」

「櫛挽道守」(木内昇著)を読了。

同じ木内さんの作品「ある男」を以前に読んでたいへん感心した記憶があって、今度、「櫛挽道守」で中央公論文芸賞、柴田錬三郎賞、親鸞賞のトリプル受賞の報に接して、急遽購入。
暖機運転も兼ねて、直木賞受賞作の「漂砂のうたう」をまずは文庫で読んで、「櫛挽」に進むという二段階方式で臨みました。

「漂砂」が明治維新直後の江戸の色町を舞台にした物語であるのに対して、「櫛挽」は江戸時代末期(黒船到来の頃)の木曽の櫛挽き職人の物語。
前者が士分の次男坊から色町の客引きに身を落とした男の話であるのに対して、後者は櫛挽職人の家に生まれ父のその業に魅了されてその跡を継ごうとする娘(長女)の話。
こう要約してみると両者があわせ鏡のようになっているのが分かります。

「漂砂」についてにあまり感心しませんでしが、「櫛挽」には「やられた!」と思わされました。
女と男、恋と結婚、仕事と生活、個人と家族、家族とコミュニティー、地方と中央、日本と世界、経済と政治、変革と伝承・・・・といった様々な二項対立的な物語のコードが最後に一つに収斂して、物語的昇華に至る。

そして、その全体のパースペクティブの消滅点の位置に「仕事」がある。
「櫛を挽く」という「仕事」が、ひとつの「道」として。

久しぶりに、「カタルシス」なんて死語を思い出してしまいました。
トリプル受賞も納得。

橋本治がどこかで(確か、「『分からない』を方法化する」だったと思います)でこんなことを言っていた、そのことを思い出しました。

「人は遊びじゃ成長できない。
人を成長させるのは仕事だ。」

私はこの橋本さんの言葉が好きです。
そしてそう思うからこそ、企業の人材育成を自分の「仕事」にしています。

もちろん、ここでいう「成長」というのはもちろんGDPの数字があがっていくことじゃあない。
ここでいう「仕事」というのは資本制生産を前提とした産業主義的なそれに限らない。

「櫛挽道守」を読んで改めて、やはり「仕事」っていうのは素敵なものだという信念を新たにすることができました。

木内さんに、感謝!
そして
Love & Work!

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