河合隼雄さんのこと

しばらく前の日経の夕刊に若松英輔さんの「一対一」と題するエセーが載っていて、河合隼雄さんのことが書かれてありました。
こうあります。

「彼は、意識の奥に『たましい』と呼ぶべきなにかがあるとしばしば語る。
それは狭義の学問としての深層心理学だけでは辿り着くことのできない場所であるとも述べている。
(中略)
『たましい』の働きにふれ、彼は次のように書いている。
『人間関係を個人的な水準ではなく、非個人的な水準にまで広げて持つようになると、その底に流れている感情は、感情とさえ呼べないものでありますが、『かなしみ』というのが適切と感じられます。
もっとも、日本語の古語では『かなし』に『いとおしい』という意味があり、そのような感情も混じったものというべきでしょう。』」

「かなし」にはどんな字をあてるか。
「愛」は名詞としては音読みで「あい」ですが、訓読みで、動詞としては「めでる」、「いとおしむ」、形容詞としては「かなし」と読める、と聞きました。
つまり、「かなし」とは日本人の古層における「愛」なのだ、と思いたい。
ここ、つまり「愛」=「かなし」にこそ、日本人の「非個人的水準」における「たましい」がある。
そして、その古層において、日本人はやはり「普遍」(愛という普遍)に繋がっている。

最後の部分がまたいいんだ。

「治療者は、クライントと一対一で会う。
眼前にいる人は、日常生活の中で、ある試練に直面している。
現代社会には同様の日々を送っている人物は少なくない。
この人もそのうちの一人だと考えることもできる。
しかし、自分にはそう思えない。
どのクライアントに向き合うときも、必死に今を生きようとする人類の代表者として会う、彼はそう語った。」

まいったな~。

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