テクノロジーが雇用を奪うという現象は今に始まったことではありません。 とはいえ、結果的には両者は常にある種の均衡点に達した。  ではどうすればいいか?  Plan2:コンピュータと「共闘」すること。  私にとっては、「覇者の未来」(デビッド・C・モシュラ著、1997年)がテクノロジーを文明論レベルで読み解く際の出発点となった本でした。  そろそろ自分が生きている時代についてのパースペクティブを更新する時期が来ているのかもしれません。  エリック&アンドリュー、Thank you!
両者は常に「競争」してきた。
ラッダイト運動(イギリスで19世紀初頭に起きた、機械破壊運動)は有名ですね。
 しかし、コンピュータライゼーションはあまりに「早すぎ」て、破壊を「創造的破壊」に転じることが今までになく難しくなっている。
 そのことをとても分かりやすく論じています。
 Plan1:コンピュータが苦手なことが得意な人材になる
 コンピュータが苦手なのは、創造的であることと肉体労働(ここで「肉体労働」が出てきたところにキョを突かれました)。
 逆にコンピュータが得意なのは「規則に従うこと」。
 だから「規則」=手順の学習に長けている人は「機械との競争」に決して勝てない(なるほど!)。
 「機械と競争」しないで、それを使って一緒に闘う。
 コンピュータがチェスで名人を破ったということはよく知られています。
 しかし、その後、チェスで一番強いのは、人間でもコンピュータでもなく、コンピュータを使ってプレイする人間。
 つまり人間とコンピュータのチームが一番強い。
 今ではそうなっていることはあまり知られていない(ウン、知らなかった)。
 「覇者の未来」が「未来」と呼んでいたのは、「2010年までの未来」でした。
 まさしく、♪あの頃の未来に僕らは住んでいる♪わけです。
 いい刺激になりました。
「機械との競争」
「機会との競争」(エリック・ビリニョルフリン、アンドリュー・マカフィー著)を読了。