「プラスサム競争」、もしくは「教育」について

サワディ・カッ!バンコクも雨季が終わりかけていて、毎晩、花火大会の最後みたいに雷が鳴っています。闇夜を一瞬、真昼に変える稲光、爆撃のような雷鳴。来た当初はとても眠れなかったんですが、慣れとは不思議なもので、ほとんど気にならなくなりました。

さて、先回は、私が「当事者性の捏造力」を使って、コンサルタントになったことについて書きました。今日はその後の展開に触れてみたいと思います。

「当事者性の捏造力」をもって、クライアントの事業に係わっていき、それなりの成果をあげる。当初はそれで満足していたんですが、時たつうちに、だ んだん、自慢の「捏造力」に陰りを覚えるようになって来ました。なぜだ!私は、正真正銘、この問いの当事者です。そして、その当事者性を発揮して、考え、 答えに突き当たりました。答え=「ヒトダスケデハヨワイ」

「ヒトダスケ」とは「人助け」のことです。この場合の「人」とは「他人」のことであり、かつ他人一般ではなくて、「助けて欲しいと言ってこられた他人」=クライアントのことです。

弊社の社訓の一つに<困っている人しか助けられない>というのがあります。正確に言い直せば、<自分が困っていることを自覚している人しか助けられ ない>ということです。で、困っていることを自覚している方が助けを求めてこられ、私は、持ち前の「捏造力」でもって「当事者性」を発揮して助けたいと思 い、一肌脱ごうと考える。これが「ヒトダスケ」。

でも、上手くいってクライアントを「助ける」ことに成功したとしても、それだけでは社会的な「価値」を生み出したことになるとは限りません。例え ば、業界内のシェアを上げるといった課題を持ったクライアントに肩入れし、それが成ったとしましょう。しかし、それだけでは、業界内の別の場所で、シェア を落としている人がいるわけで、つまり、ゼロサム競争において、たまたま自分を頼ってきた縁者が勝つことに貢献したにすぎません。クライアントは「勝っ た」かもしれませんが、それだけでは、そこに社会的な「価値」が新たに創造されたとは必ずしもいえない。それを私は<ヒトダスケデハヨワイ>と表現したわ けです。

<ヨワイ>とは、それだけでは私が「当事者性」を捏造する根源的力として弱いと言う意味です。それだけでは、「当事者性の捏造力」がそのうち枯渇し てしまうのではないか。昔のやくざが、たまたま遭遇した「出入」において、自分がわらじを脱いだ側に、一宿一飯の義理だけで、加勢し、人殺しまでする。 「人助けで十分」だとしたら、それはそういうやくざと一緒ということなんじゃないか。

ではどうするか?ゼロサム競争の助太刀ではモチベーションが上がらない、ということが問題なわけですから、プラスサムな論理が通用するような場所で働けばいい。そして、発見したプラスサムな場所、それが「教育」という分野だったというわけです。

「教育」という分野は、ゼロサムな場所であると誤解されています。教育=学校教育=受験教育と連想する限り、それは確かにゼロサムなものです。なぜならそれは有限な社会的資源の奪い合いだからです。

高校野球のことを考えて見ましょう。今年の甲子園優勝高でも問題になりましたが、体罰やしごきは今でも野球部につきものです。どうしてか?あれは一種のセレクションの過程であり、社会がそれをまだ必要としているからです。

理不尽な体罰やしごきに耐えてきたものだけが、本格的な野球をする資格を認められる。野球をするという仕方で「遊ぶ」特権=そういう社会的資源が有 限で、それにアクセスできる人数に限りがあることを、当事者たちが理解している。社会全体が貧しかった昔は、そうした資源の有限性はもっと明瞭でした。だ から、庶民は、六大学野球といったエリートのプレーに熱狂できたわけです。

社会全体がある程度豊かになっても、事情は根本的なところであまり変わりません。野球の名門校に入り、野球部に入り、レギュラーになり、甲子園行きの切符を手に入れること、その全体がゼロサム競争だからです。

受験競争についても同じです。結局、名門校での教育機会という資源が有限なので、それを目指した競争はどうしても、ゼロサム競争にならざるをえない。

しかし、「教育」の本質は本来、ゼロサムではありません。自分が一生懸命勉強して賢くなったからといって、その分、誰かが愚かになるわけではない。全体の知の総和=sumは部分の成長に伴って増加する=plusされていく。つまり、プラスサムですね。

こういうプラスサムな方向で、クライアントを支援できれば、それはそれ自体が社会的な価値の創造に貢献していることになるのではないか。それが、コ ンサルティングを人財教育と繋げようと考えた当初の狙いでした。その願いは今でも変わっていません。私にとっての僥倖は、同じ志をもつ者=同志と出会い、 彼らとともにコンサルティング・ファームの経営という社会的実践に携われることです。

仕事を成長機会として活かすこと。それがプラスサム的な成長であること。それがそのまま、人としての成長に繋がっていくこと。Love & Work! にはそういう願いが込められています。

Love & Work !!

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