三都物語(その2)街並み編

チュムリアップ・スオ!

お元気ですか?プノンペンは酷暑の4月を抜けて、雨季に差し掛かっているところです。もちろん、それでも暑いですけど。毎日稲光が走り、雷が鳴りま す。バンコク雷鳴は近所が爆撃されているかのような轟音でしたが、プノンペンの雷は今のところそれほどのものではありません。

先回は、バンコク、ヤンゴン、プノンペンの映画事情をお伝えして三つの都市、三つの国を比べてみました。今回は、街並みの差に注目してみたいと思います。題して、「三都物語(その2)街並み編」です。

道路網の作りという観点からしますと、バンコクVSヤンゴン+プノンペンというグルーピングになります。前者は魚の背骨のような幹線道路の左右に小 骨のような脇道(ソイといいます)が走っているという形状。ソイはたいてい行き止まりで、ソイとソイは繋がっていません。幹線道路には中央分離帯があっ て、Uターンできる場所が限られているために東に行くのに大きく西に迂回せねばならず、いったん曲がる場所を間違えたら、軌道修正は大変。世界に名だたる バンコクの交通渋滞も最大の原因はこうした道路網の形状にあります。

で、そういうバンコクの道路に慣れている身でヤンゴンに行くと、びっくり!ヤンゴンの道路網は、碁盤の目状になっていて、間違ったところで曲がって も、そのブロックを周回すれば、ちゃんと元の所に戻れます。幹線道路だけでなく、脇道の幅員も充分で、両側にびっしり駐車していても、通行に支障なし。や るじゃん、ミャンマー!という感じでした。

プノンペンはいいますと、道路の形状はヤンゴンに似ています。ちゃんと碁盤の目になってる。幅員はヤンゴンほどではないですが、その点はまずまずで す。バンコクみたいに、「こうなっちゃっいました」というふうではなくて、「こんなふうに作ってみました」という感じになってます。

この違いの背後にあるものは、植民地経験の有無でしょう。タイはまがりなりにも独立を維持し、植民地化を免れたので、外国勢力が都市計画を押し付け ることがなかった。その点、ミャンマーはイギリスが、プノンペンはフランスが統治していましたから、彼らの手による都市計画に基づいて、首都は整備された わけです。そう考えると、東京の道路網が複雑なのも、植民地化を免れたことの遺産なのかもしません。

歩道についてはどうでしょうか?バンコクの歩道は、「ウウーン、あることはある」といった感じ。歩道と車道の段差が大きく、まず、歩道に上がるのが 一苦労。車道と比べて歩道の舗装はいいかげんで、穴が開いていたり、ブロックが浮いていたり、それを踏んだら水が噴出してきたり・・・。なぜか、公衆電話 や配電盤が歩道を途中で完全に塞ぎ、通せんぼ。犬の糞はあるし、犬が死んだように寝てるし、屋台の鍋では油がぐつぐつ煮えてるし・・・・、とってもワイル ド。歩道橋の階段なんて、最初の一段が60センチくらいあって、その上、各段の高さがまちまち、なんてことも。もうほとんど嫌がらせの世界。

日本ではバリアフリーの住宅がはやりですが、バンコクは街中がフルバリアです。お年よりはどうしてるんだろうなどと心配しましたが、バンコクは若い 人が稼ぐために住むところで、そもそもお年よりは住んでいない。彼らは田舎に住んで、バンコクで働く息子・娘からの仕送りを糧にして暮らしてるんです。

その点ヤンゴンの歩道はちゃんと歩道でした。下を向いてではなくて、前を見て歩いても大丈夫。歩道の幅員もしっかりあって、歩きやすい。バンコクの 歩道は、どこもかしこも屋台だらけ。銀行の前だって、ホテルの前だって、領事館が入っているようなビルの前だって、屋台、屋台、屋台。が、ヤンゴンの歩道 にはほとんど屋台はありません。その代わり、人がなんとなくたたずんでる。散歩ならぬ、散立?

プノンペンの歩道は幅員もあって、ちゃんとしてるんですが、残念ながら車やバイクの駐車場と化していて歩道としては機能していません。まあ、暑いからあまり歩いてる人がいないので、困らないのかもしれません。私は困ってますけど。

三つの都市を比べてなんといっても印象的なのは、清潔さ・衛生度の違いです。バンコクは決して清潔な街とはいえません。臭い・汚い・うるさいの三拍子揃った街です。でも、その猥雑さの背後には陽性な活気、熱気があります。

猥雑その点、ヤンゴンは清潔できれいな街です。軍事政権下で怖い感じがありましたが、首都に関する限り、住み易さは三都の中で一番でしょう。もし、 江戸時代の日本が、黒船を押し返して開国しないでいたら、その後の日本はこんな感じだったのかなー、などと考えたりもしました。徳川幕府というのも一種の 軍事政権だったわけですから・・・・。スー・チーさんが軟禁されている家も見てきましたが、藤沢周平の時代小説に出てくる「蟄居謹慎中の武士の家」という 感じで、懐かしさを覚えました。

プノンペンはというと、三都の中ではダントツに汚い。人々は道になんでも捨てる。道だけでなく、自分の家の周りや集合住宅の階段にだってゴミがた まっている。夜になると、家々や商店から出たゴミが街の角々に集められる。それを人々がひっくり返して、換金性のあるものを探す。そのあとはゴミの山なら ぬ、ゴミの海。

私はちょっとショックを受けて、「どうして、自分の家の周りさえ、ゴミためにして気にならないんだろう?」と考え込んでしまいました。現時点での私の仮説はこういうものです。

プノンペンの市街は元々はポルポト時代に街を追い出された人々のものだった。そこに、内戦のドサクサで多くの人が流入し、不法占拠して住み着いた。 それがそのまま今日まで続いている。だから、現住民にとっては、そこに暮らすこと自体がある種のひけ目を感じさせることであって、彼らにとって、自分の 家、街は大切にして愛すべき家、街ではない。そういうひとりひとりの心のありようが、街並みのありように反映している。

となると、プノンペンをきちんとした街にするためには二つの方法があることになります。その一つは、そういうひとりひとりの心のありようを整えるこ とを通して、街のありようを整える、という方法。教育路線ですね。もう一つは、そういう「穢れて」しまった街を捨てて、新市街を作り、旧市街を下町として 行くという方法。開発路線ですね。

先日、大使館でお会いした若者(女性)はカンボジア在住5ヶ月。香川県に本拠をもつ教育関連のNGOの方。こちらでの仕事にやりがいを感じているらしく、とてもきらきらしてました。これが前者の路線の一つの展開。

後者、開発路線であれこれ考えている人や企業からも早速アプローチを受けました。メコン川にある中州(島)と本土とを橋で繋ぎ、中州の地価、付加価値を本土並みにして新都心を造りたいというような話。日本の建設会社を紹介してほしいとのこと。

戦後の日本でも同じようなことがありました。東京大空襲で焼け野原になった土地の多くが不法占拠にあい、旧地権者は追い出された。そういう土地の再 開発ではなく、郊外のケチのついていない土地を新たに開発し、市街化し、また新都心化するといった形で東京は復興していった。バブル期の地上げは、後回し された旧市街の再開発への再チャレンジといった側面もあったわけです。そして、その失敗は、時間の経過(代替わり)とお金の力(バブル景気)をもってして も、流し去ることのできない、蒸し返されてしまう人々の心の闇の存在を指し示しているのかもしれません。

次回は、三都に住む人々の、身繕いや表情に注目してみたいと思います。

チュムリアップ・リア!

Love & Work !!

映画に関する三都物語

サワディ・カップ!

日本は連休明けですね。タイも4月のソンクラン(水掛祭り)が終わり、5月になって多少、仕事モードになりつつあります。

実は、今月からベース・キャンプ地をタイのバンコクからカンボジアのプノンペンに移しました。ここを起点に、西のベトナム、北上して中国あたりを Watchingし、<働くことの普遍的意味>を考えていこうと思っています。あらためて「チュムリアップ・スオ!」(カンボジア語で「こんにちは」)。

というわけで、しばらくの間、カンボジア事情をお伝えすることになると思いますが、単純にタイとカンボジアを比較するのではつまらないので、補助線 として、ミャンマーと三つ巴で比較してみたいと思います。バンコク、ヤンゴン、プノンペンの三都物語です。手始めに、3つの国の映画事情について書いてみ ましょう。

タイのバンコクでは、ハリウッド映画が人気です。たいていのものは劇場で見られますし、ケーブルTVでもやってます。そして、DVD(ほとんど違法 コピーですが)も売ってます。タイ映画というのもあるようで、私は見ていませんが、国境を越えた市場性を持ったものも作られているようです。

ミャンマー人は映画が大好き。ヤンゴンの街にある映画館の看板には、昔の日本の「日活アクション映画」みたいな感じのポスターがたくさん貼ってあり ます。赤木圭一郎や小林旭みたいな二枚目と浅丘ルリ子みたいな美女、そして宍戸丈みたいな悪役が、いかにもという感じで描かれている懐かしい感じのポス ターです。

映画が始まると、はじめに悪玉が善玉をいじめるシーンがしばらく続きます。すると、お客さんが騒ぎ出す。
「やめろー!」
「ひっこめー!」

その騒ぎが最高潮に達した時、映画は一時中断。映画館のマネージャーが現れて、お客をなだめます。
「まあ、まあ、みなさん、大丈夫ですから。最後には悪人は懲らしめられます。お約束します。だから、観ていてください」、とか何とか・・・・。

するとお客たちは、拍手喝さい。
「よーし、やれー。はやくやれー、続きを観るぞー」、てな具合。

なんだかほほえましいですね。日本でも昔、街頭TVに集まった群衆が、ピンチに陥った力道山をこんな感じで応援したんでしょう。
「あぶなーい。後ろだ、後ろ!」なんて。

日本でこういう光景が見られたのは、「ドリフの全員集合」くらいまででしたね。
「かとちゃん、あぶなーーーい!右、右、右!!!」。

ではカンボジアはどうか。プノンペンにももちろん映画館はあって、しばしばその横を通るのですが、ポスターから察するにそのほとんどはオカルト、な いしホラーもの。土地の人によれば、99%はその種の映画だそうです。時々、違う種類の映画がかかっても、前後の予告編は100%、その種の映画のもの で、選りすぐりのシーンが繰り返しでてくるので、苦手な人は映画館には近づかない。

オカルト、ホラーといっても、ハリウッドや日本のもののように「恐怖で身も凍る」といったようなものではないようです。ポスターを見る限り、ちょっとお笑いが入った、「ナンチャってホラー」みたいな趣があります。でも、カンボジア人には充分怖いのかもしれません。

カンボジアは仏教国ですが、仏教といっても中身は精霊崇拝的な要素が強く、日本の仏教のような思弁的なものではなく、アミニズム的なものです。カン ボジア人は「夢に意味がある」という感覚をもっていて、なにかというと「昨日、かくかくの夢を見たんだけど、どういう意味だと思う?」といった質問をしま す。しかし、それだけでは、映画=オカルト一辺倒の理由付けとしては不十分ですね。

1975年に政権をとったポルポトのクメール・ルージュが行った虐殺。その清算が、まだ終わっていないことの影響があるようにも思います。「怨念」 がプノンペンだけでなく、カンボジア中に渦巻いている、といったような。街並みにもそれは表れています。それについては、また次回ご紹介しましょう。

チュムリアップ・リア(さようなら)!

Love & Work !!

今、バンコクの真ん中では

サワディ・クラップ!

バンコクは4月2日が下院の投票日。連日、タクシン首相の退陣を求めるデモが行われている様子を、バンコクの真ん中で、NHKの国際放送のニュースを通じて見ています。というわけで、生のバンコクは、「それどこの話?」って感じに静かです。

サイアム・パラゴンという東洋一だか、世界一だかの売り場面積を誇るデパートが、そうした騒動のために一時休業しているとのことで、タクシーに乗っ ても、そちらの方面には行ってくれません。そこで街全体の交通量も多少減って、おかげでいつもの渋滞が緩和され、普通の国の普通の渋滞程度になっていると いうのが、変化といえば変化でしょうか。

タクシンさんという人は、警察官からビジネスマンになり、ITビジネスで成功して首相になったという人です。日本で言えば、ソフトバンクの孫さんと 堀江モンを併せたような人物が小泉さんをやってるようなもんです。もし、タクシン退陣となれば、タイ通貨(バーツ)は大きく値を下げるでしょう。

タイの人は、昨今の成長がタクシンさんのおかげであることを重々知っています。野党勢力が選挙ボイコットという手に出て、さすがのタクシンもだいぶ追い詰められているようにも見えますが、では彼の代わりは誰?となると、なかなか名前が挙がりません。そんな感じ。

もともと、タイの人は「貧富の差に鷹揚」で、貧しい人もお金持ちの生活をねたんだりしない傾向を持っています。「いい思いをしている人は、前世の功 徳のおかげでそうなってる。だから、ひがんだり、うらやんだりするより、自分も現世で功徳を積む方がいい。」そんな感じの、ある種のポジティブ・シンキン グが、そうした鷹揚さの背後にあるんだと思います。だからタクシンの成功談もこれまではねたみの対象にはこなかったんでしょう。

植民地支配を経験した周辺国の場合、宗主国と結託した現地の富裕層が国土の大半を所有して、独立後も力を保持し、それがその後の国の成長を妨げてい るというようなことがあります。フィリピンなどが典型ですね*1)。タイは植民地化を免れたので、そのような極端なことがなく、それが「鷹揚さ」を下支え してもきました。でも、タクシンの経済政策のおかけで創出された、いわゆる「中間層」の人々が、むしろそうした「鷹揚さ」を失い、タクシンに異議を申し立 てている。そういう図に見えます。

そんな中、今日は、投票日前日=禁酒日で、酒屋もお酒を売ってくれませんし、飲み屋さんもお休みです。きっと、月曜日の盛り場は大盛り上がりでしょう。というわけで、今はとても静かです。

でも、こういう日々の中で、後で振り返れば「決定的だった」と思えるようななにかが、静かに進行しているのかもしれません。目の前の蝶の小さな羽ば たきが、地球の裏側のまったく次元を異にする出来事とかすかに繋がっている、というような考え方があります。そうだとすれば、タイのバンコクのこの喧騒の 中の静寂は日本の現実とどこでどのように繋がってるんでしょうか。目を凝らし見、耳を澄まして聞きたいと思います。

Love & Work !!

*1)戦後すぐには、タイから優秀な学生をフィリピンに留学させる、「フィリピンに学べ」運動が盛んだった一時期があるといいます。今では考えられませんね。

PS1:OJTコンサルについての続きを書くつもりでしたが、せっかくこの時期にバンコクにいるので、今回はホットな時事問題がらみの文章にしました。OJTコンサルについては次回以降で。

PS2:でも、3月31日の日経に載った「新生銀行のCLO」の記事についてのコメントも書きたいし・・・・。http://www.nikkei.co.jp/news/keizai/20060331AT2C3003N30032006.html

「OJTコンサル」って何?

サワディ・カップ!配信が一回スキップしてしまいました。ごめんなさい。東京での仕事のために一時帰国をしていて、PCの前に座っている時間がなかったものですから・・・。で、BKKに戻り、久々の執筆活動(?)です。

前回は、<インサイト=INSIGHT + INCITE>という話から、こんなふうに終わりました。「クライアントについてINSIGHTして、クライアントをINCITEする。これは我々の仕事 です。しかし、それを受けて、クライアント(その社員)がお互いをINCITEできるように励ましたい。<お互いの励まし方についての外部からの洞察と励 まし>、これを提供する方法として我々がお勧めしているのがOJTコンサルというものです。What’s OJTコンサル?」

というわけで、今回のお題は<「OJTコンサル」って何?>です。一言で言えば、こうなります。

<「OJTコンサル」とは、
OJT<を>コンサルすることを通して行う
社員の育成コンサルである>

まず、前段から解説させてください。コンサルにはいろいろな形式のものがあります。(情報収集+情報分析)→(戦略立案)→(戦略授与)といった、 対経営者戦略授与型のもの。営業系のコンサルなどによくある、仕組み・仕掛け授与型のもの。生産管理系のコンサルによく見られる、現場主義的な共同作業重 視型のもの。戦略からも業務からも距離を置いた企業文化・風土改善型のもの、などなど。

このうち、現場主義的な共同作業重視型のものは、なにせ現場主義的というくらいですから、当然、OJT型のものになります。ただし、これはOJTを 通してコンサルする=OJT<で>コンサルするものです。それに対して、「OJTコンサル」はあくまでも「OJT<を>コンサル」します。

「OJT<を>コンサル」するわけですから、コンサルが登場する前に、現場がまず「OJT」を行っていなければなりません。我々がそれをコンサルする、それが「OJTコンサル」。分かります?

次に、後段(=「OJTコンサル」とは「社員育成コンサルである」)について。前段が「OJTコンサル」の形式を定義しているのに対して、後段は目 的を定義しています。その目的は、「社員育成」。ですから、OJTコンサルがコンサルするOJTも社員育成を目的とするOJTであるということになります ね。つなげて言えばこうなります。

<「OJTコンサル」とは、
社員育成を目的とするOJT<を>コンサルすることを通して行う
社員育成コンサルである>

うーーん、分かったような分からないような・・・。定義の上での説明というのは、実質がわかった上で読み直すとよくできた説明になっているですが、実質が飲み込めないうちに読むとなんだかよく分からん、というようなことになりがちですね。

では、もう少し実質的に説明しましょう。ある現場が育成OJT=OJTコンサルの現場として選ばれたとしましょう。その現場の上司が当該育成OJT のOJTリーダーで、現場のスタッフがOJTメンバーとなります。コンサルタントは原則としてOJTメンバーにではなく、OJTリーダーにとってのコンサ ルとなります。これがつまり、OJT<で>コンサルするのではなく、OJT<を>コンサルするという由縁です。

育成OJTの現場=OJTコンサルの現場で、初日に次のような宣言をコンサルが行います。

1)これから**から**の間、「育成OJT」を行う

2)このOJTのOJTリーダーは**上司(あるいは複数)である

3)OJTメンバーは、皆さんたちスタッフ自身

4)このOJTの目標は、現場を上司にとっては部下の育成機会、スタッフにとっては成長機会にあふれた場にするための「気づき」を現場にもたらすこと

5)スタッフにとっての「成長」とは、スタッフが「現場の業務を通して当該業務遂行能力を超えた産業人としての普遍的な能力を身に付けていくこと」

6)「成長」のための方法は、「業務に業務それ自体より一段メタレベルの普遍的な課題を持ち込むこと」

7)上司にとっての「育成」とは、スタッフが「業務に業務それ自体より一段メタレベルの普遍的な課題を持ち込むこと」により、「現場の業務を通して当該業務遂行能力を超えた産業人としての普遍的な能力を身に付けること」ができるよう助けること

8)コンサルタントは原則としてOJTリーダーに対するコンサルを行い、OJTメンバーに対する育成活動はOJTリーダー自身が行う

9)コンサルの基本的な活動としては、観察とインタビュー、そしてその結果のフィードバック

10)観察は業務全体、職場の静態観察を含め、業務ミーティング、育成ミーティング(上司とスタッフ間)、インタビューは随時、フィードバックは上司に対してその日ごとに行う

11)OJTメンバーへのコンサルからのインタビューは最小限にとどめるが、必要な場合には上司の許可をとって行う

12)OJTメンバーからのコンサルへの質問も随時受け付ける(ただし、OJTリーダー=上司の許可を受けること)

5)と6)については説明が必要でしょう。ます、5)の「成長」の定義について。「現場の業務を通して当該業務遂行能力を超えた産業人としての普遍 的な能力を身に付けていくこと」というその定義は、このOJTが単なる従来業務のノウハウ継承を目指す以上のものであることを明らかにしています。その企 業がすでに会社の固有のコンピテンシー・モデルを的確に定義している場合はそれにそってコンピテンシーを身につけることが成長目標になるでしょう*1)。 モデルが定義されていない場合には、このOJTそれ自体が、コンピテンシー・モデルの定義とそれへの接近=成長のためのもの、下からの運動のスタートにな ります。

6)の「方法」について。「業務に業務それ自体より一段メタレベルの普遍的な課題を持ち込む」とは例えばこんなようなことです。

例1)会議においてその都度のアジェンダについての議論に参加することが業務であれば、その際に自分やグループの普遍的「会議力」向上について意識しそれを自分自身の「課題」にすること。

例2)火のついた現場の火消しが当面の「業務」であれば、その火消しのプロセスにおいて、火がついた原因とその今後の防止策について、普遍的な水準の見識の蓄積を自分自身の「課題」にすること。

さて、いよいよ育成OJT=OJTコンサルがスタート!期間は1クール=1週間(5営業日)が標準です。早朝、残業時、休日出勤時の現場の様子もお許しがあればモニタリングします。そのような時間帯にこそ見えてくる社員、上司の行動特性というものがあるからです。

さて、スタート時、現場はだいたい半信半疑。「コンサルだかなんだか知らないけど、プロの現場に素人が入ってきて、一週間で何が分かる、何ができ るっていうのか!?」とどなたの顔にも書いてあります。でも、キックオフ時の先ほどの宣言で、ちょっと現場がピリッとする。それを皮切りに、初日の午前中 の最後のフィードバックでガラッと雰囲気が変わります。「えっ、もうこんなに裸になっちゃたの・・・!」って感じ。

なんでそんなふうになるのか?それは次回ということにさせてください。

Love & Work !!

PS:今週末からミャンマーに視察に行きます。その話もいつか書きたいです。

*1)コンピテンシー(COMPETENCY)とは、経営学上は、「特定の仕事・職務において高い業績を上げ続けている人に固有な行動特性」という ふうに定義されています。ですから、コンピテンシー・モデルとは特定の企業がその企業において「高い業績を上げ続けている人に固有な行動特性」を内部的に 抽出して定義、モデル化したものということになります。

「インサイト」ってなに?(その2)

サワディ・カップ!今日はタイの祭日。飲み屋街も店を閉めていて、空いている店もアルコールは出しません。こういう日は、大人しく、原稿でも書くに限る。というわけで、先回の続き。

先回は、インサイト=INSIGHT=洞察、ということについて説明させてもらいました。今回は、インサイト=INCITE=鼓舞する、ということのついてです。ちょっと迂遠なところからはじめます。

NHKの看板番組、「プロジェクトX」が終了し、後継番組として「プロフェッショナル-仕事の流儀」が始まりました。人気の看板番組をあえて終わら せた背景には、取り上げるべき「プロジェクト」の枯渇という問題があったと聞きます。仕事に係わるいい話=ネタはたくさんあるのですが、そこで輝いている のはプロジェクトではなく、あくまでソロの個人、そういう話ばかり。そこでもっと個人に注目できるように、番組のコンセプトをシフトさせた。時代を感じさ せるエピソードではあります。

その「プロフェッショナル」で、毎回フューチャーされているプロが、番組の最後に、「プロフェッショナルとは?」という質問に答えます。第一回の 「経営者・星野佳路」曰く、「プロフェッショナルとは常に完璧を目指している」、云々。第二回の「小児心臓外科医・佐野俊二」曰く、「・・・、誇りと責 任」、云々。第三回の「パテシエ・杉野英実」曰く、「永遠の未完成でいたい」、云々。第四回の「アートディレクター・佐藤可士和」曰く、「ハードルが高い ことを超えられる人」、云々。第五回の「弁護士・宇都宮健児」曰く、「徹底的にやっている人」云々*1)。

一流のプロの言葉にしては、「いまいち凡庸」の観が拭えませんが、押しなべて、「他の人にできないことをしている人がプロだ」というような「プロ フェッショナル観」が開陳されているような気がします。まあ、番組のコンセプトからすれば当然のことであって、これからもそういう謂いが重ねられていくで しょう。

なんて、ちょっと皮肉っぽくコメントしたからには、「お前はどう考える?」ということをご披露しなければなりません。プロとは何か?私はこう考えます。

<プロとは、その仕事を自分の成長機会としている人このとである>

他人(ひと)にできないことができることも、他人よりも上手くできることも、必要ない。そんなこといったら、プロなんてホンの少しの一握りの人だけ になってしまう。ちょうど、プロの野球選手の、そのまた大リーグの選手の、そのまた一握りのスター選手がトップ・プロと言われる、そのトップ・プロだけが プロであるというようなプロ観ではないプロ観、それを大切にしたい。どんな分野の、どんなクラスのスタッフでも、自分がその仕事を自分の成長機会を獲得す る場であると思い定めてそれに取り組む限り、その人はその仕事のプロである。そう思います。

で、そういうプロはお互いを励まし合う。なぜなら、それぞれは仕事を自分の成長機会としようとしているのであって、他人(ひと)との競争機会としよ うとしているのではないからです。そして、自分の成長(ゼロサムな<競争>における成長ではなく、プラスサムな<競走>における成長)実感は結局、他人 (ひと)といかに助け合えたかによってもたらされるものだからです。こういう励まし合いのことを英語でINCITEといい、これが弊社の社名=インサイト のもう一つの意味となっているわけです。

とはいえ、これはいわゆる<和>の思想とは異なります。ひところ、よく耳にした業界内のジョークにこういうのがあります。

<クライアントとの初会合の時、社長室に通されて、社長が『和』と記された書を背にして座っていたら、これはアカンと思え>

<和>の場合、そこには<競争>がないだけでなく、<競走>もありません。そこには、内部の論理だけがあって、外部への働きかけがありません。ですから、そこには成長機会の貪欲な発見と活用がありません。そこではむしろ、「出る杭は打たれる」のです。

私の場合、社長室に『和』と掲げられているような会社に対して、次のように提案したことがありました。

<和から愛へ>

<和>と異なり、<愛>には<競争>はなくても、<競走>は存在します。なぜなら、内輪の和を自己目的化することを許さない、外部へのミッションが 存在することがそこでは自覚されているからです。そこには外部が自分たち(=内部)に突きつける<課題>(=Challenge)が常に存在します。そし て、内部(=仲間)はそうした外部からの<課題>に皆で応えることをお互いに助けるために存在するのです。

クライアントについてINSIGHTして、クライアントをINCITEする。これは我々の仕事です。しかし、それを受けて、クライアント(その社 員)がお互いをINCITEできるように励ましたい。<お互いの励まし方についての外部からの洞察と励まし>、これを提供する方法として我々がお勧めして いるのがOJTコンサルというものです*2)。What’s OJTコンサル?これについては、また次回ということにしましょう*3)。コウゴキタイ!

Love & Work !!

*1)これまでの放送分については、次のサイトに、台詞のアーカイブがあります。上記の「云々」の部分をお確かめください。
http://www.nhk.or.jp/professional/backnumber/index.html

*2)OJTコンサルについては弊社HPにも若干記載があります。そちらもご覧ください。
http://www.insightcnslt.com/

*3)とはいえ、もしかすると、次回あたり、タイ関連のナゴミネタを入れるかもしれません。そのときは、マイペンライ!

「インサイト」ってなに?

サワディ・クラップ!

バンコクは今、中国の正月の真っ最中です。中華系の企業、お店はどこもお休み。いつも行く、バーミー・ヘン(タイ式のそば)のお店も昨日行ったら閉まってました。そうか、ここも中華系だったんだ、なんてことが分かります。

これが終わると、今度はタイの旧正月=4月まで、気温がどんどん上がっていきます。去年の4月には42度というのを体感しました。人の体温より熱い。だからタイ人はお互いにくっつきあって、涼もうとします。すごいでしょ!

年があらたまった機会に、会社(株式会社インサイト・コンサルティング)のインターネットのサイトを改訂することになりました。それに伴って、会社 のフィロソフィーを語る部分を書けというミッションが私に回ってきました。というわけで、サイトを閲覧していただければそれをお読みいただけます*1)。 でも、あれこれ考えたことをもう少し詳しく論じたいと思って、今回はそのために紙幅をいただくことにしました。

サイトには、私たち(インサイトのことです)のフィロソフィーを語るに際して、3つのキーワードが掲げられています。

インサイト
学習する組織
Love & Work!
では、まずインサイトから。この言葉は私たちの会社の社名ともなっていますが、この<インサイト>には実は二つの意味があります。一つは<INSIGHT>=「洞察」という名詞。そして、もう一つは<INCITE>=「鼓舞する」という動詞です。

会社案内や名詞にあるロゴには、が立っていて、その影がになっています*2)。デザイナーがこの2重の意味を形にしてアピールしてくれました。これ、とっても気に入っています。占部さん、感謝!*3)

<INSIGHT>=洞察とはなにか?思考には、分別、識別、洞察の3つの水準があると考えてください。分別とは正邪・善悪・真偽などの二項対立関 係にあるものについての判断。識別とは隣接する概念、近似の物事についてその差異を認識すること。そして、洞察とは、物事の背後の本質、根源を理解するこ と。われわれは、二項対立的関係の整理や、差異の分析を超えて、物事を根源的に考え、その普遍的な性質をとらえ、そこから具体的な手立てを持ち帰る力が必 要なのではないでしょうか?

二項対立の思考は冷戦構造下の思考様式です。東対西、北対南、云々。昨今でも、「文明の衝突」論や「悪の枢軸」論などにこの思考パターンは残ってますけど・・・・。しかし、こういうのだけでは「水戸黄門」的思考になってしまいます。あまり、頭がよさそうな感じはしない。

差異の分析とは、いわゆる「ポスト・モダン」の思考ですね。経営学やマーケティングの世界(というか業界)でも、差異化=差別化といった文脈でこの 思考は一時代をなしました。思想界における「ポスト・モダン」思想=現代思想の衰退とともに、こういうパターンにもだいぶ翳りが出てきました。

では、その先はどうなるか?などと、問う姿勢自体があぶない、というか恥ずかしい!

小熊英二さん*4)は、その対談集、「会話の回路」の中で、網野史学を打ち立てて一時代を画し、2004年に亡くなられた歴史家の網野善彦さんについて、民俗学の谷川健一さんとの対談の中で、こんなことを言ってます。

小熊:・・・、網野さんご自身は、一貫してそのつもりはなかったと否定なさるけれども、(網野さんのお仕事は)結果としてみると、非常に時代とシンクロして走っている。
谷川:(網野さんの)「百姓は農民ではない」という主張とか、漂白や移動を重視した歴史観とか、稲作文化一元論批判とか島国意識批判は、農業人口が減って海外渡航が大幅に増えた世相と重なっている・・・。
小熊: 私も網野さんと対談したときにそう申し上げたのですが、ご自身はまったく意識していない。(中略)そもそも時代のリーダーになる人は、決して流れを自覚的 に読んでいるわけではない。時代の流れを意識的に読もうとして、後追いで追いかけているような人は、リーダーにはなれません。リーダーになる人というの は、当人の実感としては、ただ自分が好きなように走っているんだけれど、時代の方がついてくるといった人たちなのでしょう。
小熊さんは、この対談集の中で、このモチーフを一貫して持っていて、対談相手に陰に陽にそれをぶつけ、仮説と検証作業を行っています。そして、その都度、仮説は「真」であることが、検証されていく。

通常、コンサルティング・ファームの仕事はまさに「時代の流れを自覚的に読む」こと、それ自体です。しかし、私たちは、そういうこととはちょっとだ け違うことを目指したい。そしてその方法の中核にあるものを、<INSIGHT>=洞察=「物事を根源的に考え、その普遍的な性質をとらえ、そこから具体 的な手立てを持ち帰る力」と表現したわけです*5)。

例えば、ここタイの労働事情について、あれこれ考えるに当っても、私はそのあれこれを「タイの遅れ」(遅速という2項対立)だとも、「タイの文化」 (差異)だとも考えません*6)。それをなるべく、タイで現前した、人間に普遍の、根源的性質として捉えようと努めています。例えば、タイ人の「傷つき易 さ」は、人間に普遍のフラジャイルな本質の、プリミティブな、いやオリジナルな現われではないか。だからこそ、日本でも、社員の尊厳を認めて (Respect)、社員をマネージメントすることが大切なのではないか、云々。

そういう方法(=普遍性の根源的洞察)を使って、どこまで広角に、かつどこまで具体的に、仕事の現場のお手伝いができるか、われわれインサイト自身の洞察力を試すチャレンジングな場をこれからも与えていただければ幸いです。

次回は<INCITE>について説明させていただきたいと思います。コウゴキタイ!

Insight!

Love & Work !!

*1)会社のHPのURLは次の通りです。是非、ご一読を。
http://www.insightcnslt.com
*2)上記URLから会社案内にとんでいただくと実物をご覧になれます。

*3)デザイナーさんの紹介:Urabe Formative Art Studio
http://www.ne.jp/asahi/urabe/fas

*4)小熊英二さんは問題作「民主と愛国」の著者にして、慶応大学助教授、そして売れない(失礼)ミュージシャン。
http://web.sfc.keio.ac.jp/~oguma/top.html
http://homepage2.nifty.com/fhifan/Cd/halle_review.html

*5)このあたりのことを、弊社のCOOの槇本は常々、「不易流行」という言葉-芭蕉の言葉ですね-を使って表現しています。それについては、いつかこのメルマガで書いてもらいましょう。

*6)このあれこれの具体例については、この連載の1~2「タイ人にとってのお仕事」をご覧ください。上記の会社のURLがアーカイブの入り口になっています。

バンコクの年末年始-もしくは、フラジャイルな世代-について

サワディ・ッカ!

今回、年末年始はバンコクで過ごしました。タイは仏教国ですが、年々クリスマスも賑やかになっているらしく、11月末からツリーが飾られ、12月半 ばころから、店員さんがサンタ服、サンタ帽で働いていました。24日、25日を過ぎても、衣装も飾りつけもそのままで、挨拶だけ、「メーリー・クリスマ ス」から「ハッピー・ニューイヤー」に変わります。まだ年も越してないのに「ハッピー・ニューイヤー」はないだろうと、旬にこだわる日本人(私のことで す)は考えますが、「まだでしょ?」とタイ人に言うと、「マイペンライ、マイペンライ」(まあいいから、いいから)なんていなされてしまいます。「野暮な こと言うなよ」なんて響きがあるのかもしれません。そういうのに慣れてくると、こっちが「野暮天」なのかもしれないなんて気になってくるから不思議です。

11月末からだんだん盛り上がってくる年末年始ですが、やはりピークは大晦日です。数日前から夜になると路上あちこちで宴会が行われ、花火があがり ます。宴会は日本の花見の時の酒宴のよう。飲んで唄って踊って・・・、真夜中まで続きます。大晦日の花火はかなり本格的なもので、日本の夏の花火大会のよ うです。タイ人にとって、クリスマス=大晦日=お正月はまさしく、「盆と正月が一緒に来た」という感じなんでしょう。

「あの花火は誰があげてるの?」「知らない・・・、どこかのお金持ちじゃないの・・・・?」どうも、ほんとうにどこかのお金持ちが自分で勝手に花火 大会をやっちゃうことがあるようです。大晦日だけではなく、自分や奥さんの誕生日なんかにも・・・。そのあたりは日本の感覚ではちょっと理解不能ですね。

正月も10日過ぎくらいになると、年末年始のノリはさすがに衰えてますが、旧正月が終わるまでは、年末年始モードの残像を引きずっているそうで、そ の旧正月がなんと4月のソンクラン(水掛祭り)の時ですから、まあ、足掛け5ヶ月間、年末年始をやってることになります(凄い!)。

東南アジアのラテン系たるタイ人のどこに発散を待っているストレスが溜まっているのかよくわかりませんが、本家ラテン系のブラジル人もカーニバルで大発散するわけですから、人間は息をしているだけで、ストレスが溜まっていくようにできているのでしょう。

日本の場合、もうコミュニティがストレス発散の機会を提供するなどという時代は終わってしまっています。ストレスの内容も、その溜まり方もそれぞれ ですから、発散の仕方も各人が考えなければならないのでしょう。私などは、ストレッサー(ストレス因子)を生きる力に変換する仕方を学ぶことが成長の定義 であったような時代に属する(幸福な)世代に属していますが、時代はそれからずいぶん遠いところに来てしまいました。

多重人格(解離性同一性障害)といえば、以前は、幼児期の性的虐待のような極端な経験がその原因であったわけですが、昨今では、失恋とか上司からの 叱責なんていう普通の経験がその原因となることがあるんだそうです*1)。自分の叱責で部下が多重人格になってしまった、なんて経験はしたくないですね。

日本にはリストカッター(常習的自傷行為者)が700万人いるんだそうです。20代半ばのある女性から最近聞いたんですが、彼女が高校のころでも、 リストカッターはクラスに何人かいて、そういう人を見ても「なんか悩みがあるんだなー」くらいの感想しか持たなかったそうです。それからもう10年弱たっ てるんですから、「いわんや今日(こんにち)においてをや」です。

さて、そういう若者が続々、労働市場に出てきます。そういうフラジャイルな(壊れやすい)世代に、圧迫教育のような手法は通じないでしょう。採用時 にスクリーニングしようとしてもそうは問屋が卸しません。団塊の世代の退場も問題ですが、新しい世代の登場もまた大きな問題です。われわれは、この問題へ の対応というストレッサーを自分の成長機会に、生きる力に変えて行かねばなりません。それが、幸福な時代に成長した先行する世代の責任です。

タイ人のラテン系のノリを横目に、気を引き締めなおしている今日この頃です。ご同輩、Fight!

Love & Work !!

*1)「いまどきの『常識』」香山リカ著、(岩波新書)
TVなどで売れていて、ちょっと軽い感じがする著者(精神分析医)ですが、なかなかどうして、本物です。この本によれば、「いまどきの若者」にとっては、 ロックもラップも反抗の唄ではないんだとか。親や友達や恋人に対する感謝なんかが、一番親しまれる主題なんだそうな・・・・。大学の新入生に尾崎豊の「卒 業」(古いね)を聞かせて感想文を書かせると、「学校の窓ガラスを割るなんて、そういう人に迷惑をかけるようなことをしてはいけない」なんていう作文が 帰ってくるんだそうです。いったい、どうなってるんでしょう。

「企業にとって存在価値とはなにか?」

はじめてのバンコクの12月。確かに「涼しい」です。夜は冷房がいりませんし、窓を閉めて寝ても寝汗をかかなくなりました。でも、雨が降らない分、空気が悪くなって(排気ガスです)、それはちょっと困りまね。まさに、<Nothing is perfect!>です。

さて、先々回、成長について、こう言いました。<企業にとって、『成長』とは、事業機会と経営資源の間の不均衡を、拡大方向に解消しようとする運動 である>。そして、先回、戦略について、こう言いました。<企業にとって、『戦略』とは、企業行動の全体的一貫性のことである>。そして、今回はこの二つ を繋げるとお約束しました。やってみたいと思います。うまくいきましたら、拍手ご喝采!

企業が成長するためには、事業機会の発見とそれに新たな事業機会にマッチした人材の調整、そしてその両者のスパイラルな好循環が必要です。この事業 機会の発見が、経営トップによりなされ、人材調整も事後的なスキル・マッチングという形で行われる(既存の人材に対するスキル教育と予めスキルをもった者 の中途採用)というのが、戦略論における、トップダウン型、戦略授与型。事業機会の発見が人材開発のプロセスと一体になって、その過程で生じ、<発見=人 材調整=戦略生成>というのが、ボトムアップ型、戦略生成型。

こう書けば、後者が理想形であることは明らかに見えますが、とはいえ、理想的にすぎて、現実的ではない、という声が聞こえてきそうです。実際、企業 の規模や、企業ドメイン、業態をネグって、こうした一般論を語ることにどんな実践的意味があるのかという批判もありうるでしょう。しかし、ここはしばら く、「理想とねて」みようと思います*1)。ヘーゲルさんも言っています。「理想的なものは現実的であり、現実的なものは理想的である」と。

先回の最後で、成長と戦略の関係について、成長が目的であり、戦略が手段であると書きました。では、成長の目的はなんなんでしょうか?それは「存 在」(を更新=継続)することです。企業は成長し続けないと存在を継続できないからです。では、企業が存在する(存在を更新し続ける)目的・理由・価値は なんでしょうか?それは、「外部に価値を生み出すこと」です。つなげて言えばこうなります。

<企業は外部に価値を創造するために存在している><その存在価値を更新できなければ、企業は存続できない><企業の成長は、企業の存続=存在価値の更新=価値創造の継続のためにある>そして、<企業の成長とはその存在価値の不断の更新のプロセスである>

これは考えてみればあたりまえのことです。存在価値のないものは存在できない、ということだからです。やはり、<理想的なものは現実的で、現実的なものは理想的なもの>なのです。

そうした企業の存在価値の更新のサイクルに、企業規模やドメイン、業態によって長短があることは確かです。ビジネスモデルの賞味期間に長短があるということです。しかし、長いか短いかはともかく、賞味期間があるということ自体は普遍的です。

賞味期間が長い場合(規模が大きく、ドメインが上流にある)、その間の蓄積により、急激な変化は難しくなりますから、問題は緩慢にやってくる分、深 刻になりえます。いわゆる、「大型タンカーはゆっくりとしか曲がれない」というやつですね。逆に、規模が小さく、ドメインが下流にある場合、その賞味期間 は短くなるので、業態に柔軟性を持たせて企業価値更新のサイクルを早めていかねばなりません。「自転車操業」はなにも資金繰りだけの問題ではなく、経営全 体の問題なのです*2)。

では、企業が生み出し、更新していかねばならない「価値」とはなんでしょうか。結局のところ、それは、「人の幸福への寄与」であり、そして、市場とはそうした寄与・貢献への信任投票である、というのが資本主義の原理、いや信仰告白です*3)。

高度成長期というのは、物やサービスをともかく広く行き渡らせることが「人の幸福に寄与」した時代です。ですから、国家(=国民経済の主体としての 国家)にはそのためのシステムがあり、企業にはそのシステム内での役割があり、その役割を果たすことが企業にとっての価値創造の方式でした。これを私は 「割当て型経済」と呼んでいます。通産省他からの許認可と大蔵省からの予算があり、許認可と予算分配という形で割当てられたドメインがあり、それが上流か ら下流に下りてくる。もちろん、割当て型経済の中にも競争はあるんですが、それは業界秩序を破壊しない範囲での、シェア競争といった微温的なものでしかな い。

しかし、そのような割当て型の産業構造では、経済が回らなくなった。市場が成熟して、経済の重心が供給側から需要側に、最終的には生産側から消費側 に移ったからです。何を生産することが価値を生み出すことかが自明であるような状況下では、どのように生み出すかだけが問題であり、その解は合理性の論理 によって導けました。しかし、何を生産することが消費者にとって価値あることとされるかが自明ではないような状況下では、どのようにではなく、何を生み出 すかということそれ自体が問題であり、その解は合理性の論理によっては導くことができません。

こうした変化に伴ってよく言われたのが、「プロダクトアウトからマーケットインへ」ということでした。マーケットインという言葉は、供給側からの需要側への摺りよりのための謂いです。しかし、結局事態はさらにその先に進んでいきます。

次に登場したタームが「価値創発」というものです。それは単なるマーケッティング用語ではなく、産業構造全体を射程にいれた言葉です。「価値創発」 という言葉のストレスは「価値」にではなく、「創発」にあります。企業が「価値」を生み出さねばならないことは、割当て型が機能していた時代も同じだから です。しかし、割当て型では「価値」が生み出せなくなった。「価値」は「創発」されねばならなくなったのです。

この場合の「創発」という言葉には、供給側がむりやり作るのではなく、需要側から生成されてくる、といった含みがあります。いわゆる、自己生成、自己組織化、複雑系の考え方ですね。

だいたい話の落とし所が見えてきたんじゃないでしょうか。経済の重心が供給側から需要側に移った。それに伴って、企業が外部に向かって生み出すべき 価値は企業自体が割当て型でプロダクトアウトできる時代ではなくなった。価値は企業が外部とのコミュニケーションによって創発、生成していくべきものと なった。外部との関係で生成論的創造が必要なのであれば、内部構造もそれに見合ったものになっている必要がある。それに見合った構造とは、例えば戦略論の 文脈では、戦略生成型の戦略形成プロセスを重視することを意味する。

こうした時代の変化を最近亡くなられたドラッカー氏の名言を使って表現してみたいと思います。ドラッカー曰く、<従業員はコストではない、資源である>。インサイト曰く、<従業員は資源ではない、人間である>

企業は人間(自然人)ではなく法人です。これは企業の強みでもあり、弱みでもあります。企業は究極的には(B2Bの会社でも)、人に向けて価値を創 造していかねばなりません。最終消費者としての人間と、企業は実は内部で繋がっています。それは社員です。その社員を人間として遇し、その創造性の発動を 促すことに成功した企業だけが、「価値創発」時代に価値を生み続けることができるのです。

Love & Work !!

*1)「理想とねる」という表現は、「現場とねる」という言葉をひっくり返したものです。「現場とねる」というのは、文芸批評の世界などで用いる言 い回しで、批評理論の一般的研究から離れて、生の具体的創作物とじっくりと対峙することを指しています。例えば、文芸時評を担当するとか。ですから、「理 想とねる」とは、現実の名で呼ばれる先入観からいったん離れて、理想を深堀して、現実への回路を開こうとする営みをさしています。私の造語ですから、他で 通用しないと思います。ご注意を!

*2)サルトルさんは確か「嘔吐」のなかで(「存在と自由」だったかもしれない)、「悪は自転車のようなものだ、走っていないと倒れてしまう」と いったようことを言っていました。でも、自転車みたいなのは、悪だけでなく、善も、個人も、企業、社会も、みんなですね。泳ぎ続けていないと死んでしまう 回遊魚みたいでもあります。

*3)これは「主義」(=イデオロギー=宗教)としての資本主義の定義の問題です。日本には、制度としての資本制はありますが、主義としての資本主 義も資本主義者もほぼ存在しないといっていいでしょう。ちなみに、私もそのような意味での「資本主義者」ではありません。しかし、資本制の下で、その理念 的価値を問い、局所的にその価値を実現しようとすることには意義があると考えています。所与・与件は活かされねばならないからです。

「企業にとって戦略とは何か?」

タイのバンコクには「戦勝記念塔」というのがあって、BTS(モノレール)の駅にもなってるんですが、地元のタイ人には、この戦勝記念というのがど の戦争の戦勝記念なのかを知らない人が多い、という話を聞きました。タイ人が「今」を生きていて、「歴史的時間」を生きていないことをよくあらわすエピ ソードのような気がします。

もともと東洋の時間感は歴史的時間感(=時間は直線的に一方向に流れ、戻ってこない&歴史にはGoalがあるという時間感)ではなくて、循環的時間 感です。日本は第二次世界大戦の敗戦という民族的経験をくぐることで、循環的時間感から歴史的時間感に離陸しましたが、タイにはそういう経験がないため に、人々は循環的時間の中に生きているような気がします。吉本隆明風に言えば、「絶望が足りない」ということでしょう。まあ、それはそれで幸せなことでは ありますが・・・。

日本の敗戦の原因分析についての著名な先駆的論文として、「失敗の本質-日本軍の組織論的研究」*1)というのがあります。日本軍の失敗の本質はな にか?同書の結論は「戦略がない」ということ。日本軍には局所的に戦術レベルの工夫は存在しても、その全体的行動に組織論上の戦略的一貫性が欠けていた (もしくは脆弱だった)というわけです。

同書はその結論の部分で、その組織論上の特徴が戦後の日本企業のあり方にもそのまま引き継がれているという趣旨の観察を述べています。たぶんそうな んでしょうね。でも、日本企業にかけている戦略性とはいったいなんなんでしょうか?というわけで、やっと、お題にたどり着きました。今回のお題は「企業に とって、戦略とはなにか?」です。先回の「企業にとって、成長とはなにか?」の続きとお考えください。で、インサイト版「戦略」の定義です。

<企業にとって、『戦略』とは、企業行動の全体的一貫性のことである>*2)

解説しましょう。<戦略=一貫性>、というところはだいたい問題ないでしょう。ただし、一貫した<戦略内容>が経営者(もしくは戦略授与型のコンサ ルタント)の頭の中にあるだけでは、つまり戦略的意図があるだけでは、「企業に戦略あり」とは言えません。<戦略内容>が企業行動全体に一貫して浸透し、 機能してはじめて、「企業に戦略あり」と言えるのです。つまり、<戦略=一貫性>の一貫性は<戦略内容>の一貫性ではなく、<企業行動>の一貫性を指すと いうわけです。

経営者(もしくは戦略授与型のコンサルタント)の頭の中の一貫した<戦略内容>が<企業行動>の全体的一貫性の生成を促す場合もあるでしょうが、そ の逆の結果を生じさせることも(多々)あります。戦略的意図の浸透(努力)の過程で、コミュニケーション・ギャップが生じ、かえって企業行動の全体的一貫 性が損なわれるというようなことです。ですから、戦略的経営を行いたいなら、戦略的意図=一貫した戦略内容の立案だけでなく、その浸透のための戦略的対応 が必要です。

企業行動に戦略的一貫性を実現させる方法には、2つのモデルが考えられます。その一つは、トップダウン型、もう一つはボトムアップ型です。トップダ ウン型は経営者=経営トップが戦略的意図をもって戦略内容を立案し、それを組織全体に浸透させていくという方向で形成されるものです。ここでは、戦略内容 の一貫性は当初から保証されていますが、その浸透は保証されていません。一方、ボトムアップ型は組織の構成員が自己組織的に企業行動の一貫性を生成させて いくものです。ここでは、生成された戦略の組織への浸透性は保証されていますが(生成=浸透だから)、一貫性ある戦略内容の生成それ自体は保証されていま せん。

コンサルティングの世界で言えば、前者を支援するのが、戦略授与型のコンサルタント。後者を支援するのが、企業文化・風土改善支援型のコンサルタン トだといえるでしょう*3)。前者は欧米型の経営にマッチし、後者は日本型経営の適合すると、一応モデル論的に整理しておくこともできると思います。

トップダウン型:ボトムアップ型=戦略立案起点:戦略浸透起点=形成:生成=戦略授与型コンサル:企業文化・風土改善支援型コンサル=欧米型経営適 合:日本型経営適合。ただし、こうした整理はあくまでモデル論の水準のものです。二項対立的分類・整理それ自体は具体的実践には概して役に立たないもので す。ましてや、両方大切とか、バランスが必要などと宣うていたのでは、思考停止しているに等しい。

では、文化や伝統、趣味や好き嫌い、行きがかりや成り行きを超えた未来型の経営戦略形成・生成理論というものはないものでしょうか?それを考えるた めには、戦略論単独で考えるだけでは足りないと思います。前回論じた「成長論」と繋げて考える必要があるでしょう。だって、成長が目的で、戦略はその方法 なのですから。次回は、その二つ繋げるとどういう地平が開かれるかをみてみたいと思っています。

Love & Work !!

*1)「失敗の本質-日本軍の組織論的研究」戸部良一他著、中公文庫刊

*2)この定義また本稿全体については、次の論文が種本(論文)になっています。
「戦略的組織か学習する組織か-戦略形成プロセスの分析」大薗恵美著、一ツ橋ビジネスレビュー2002年夏号掲載

*3)この分野での先駆的仕事は「なぜ会社は変われないか」シリーズの柴田昌治氏によるものです。
「なぜ会社は変われないのか(ビジネス戦略ストーリー)危機突破の企業風土改革」柴田昌治著、日本経済新聞社刊

(番外):読者の方から、このコラムは誰が書いているのかという質問をいただきました。第一回の時にご披露したつもりでしたが、ミスしたかもしれま せん。失礼しました。あらためて、事後紹介、でなくて、自己紹介いたします。早川賢雄(ただお)でございます。株式会社インサイト・コンサルティングの CEOです。ただ今、アセアン方面での事業機会のフィジビリティ・スタディのためにバンコクを中心に活動しております。このコラム、しばらくバンコクネタ から離れておりますが、ご要望があればまたご披露いたします。今後ともご愛読のほど、よろしくお願いいたします。

「企業にとって成長とはなにか?」

サワディ・カッ!バンコクは雨季が終わりました。日差しは強くなりましたが、湿気は下がって、爽やかです。これがタイの秋とか・・・・。

タイ人の友人は、12月になるともっと寒くなると言います。寒くなるっていったって、気温的には日本でいう真夏日が続くんですけど・・・。それで も、一時、セーターやマフラーやジャケットがデパートに並び、ほんの一週間ほどの、タイの冬(?)を皆が嬉しそうに「寒い、寒い」と言って過ごすんだそう です。早く見てみたい。

先回は、プラスサム競争への支援=教育への進出、いうところまで来ました。今回は、その続きです。題して、「企業にとって成長とは何か?」(「言語にとって美とは何か?」=吉本隆明=吉本ばななのお父さん、みたいですね)

教育とは、成長の支援です。ですから、最初に定義しなければならないのは、「成長とはなにか?」ということです。インサイト版、成長の定義。

<企業にとって成長とは、事業機会と経営資源の間の不均衡を、拡大方向に解消しようとする運動である>*1)

解説しましょう。企業がある種の事業機会をとらえて、そこに物・人・金・情報といった経営資源を投入し、付加価値を生み出しているとします。事業機 会と投入資源とが合致しているとき、事業は最大のパフォーマンスを生み出すでしょう。しかし、同一の事業機会が、同一の資源の投入によって、無限に同じ付 加価値を生み続けるということはありえません。事業機会そのものが消費され、資源は過剰なものとなります。その資源は別の事業機会のために振り向けられね ばなりません。(ここでいう事業機会には製品レベルのものから企業ドメインレベルのものまでが含まれます。)

そのような事業機会を見つけること自体がもちろん、挑戦なのですが、それが上手くいったとしても、経営資源がそれに見合ったものに調整されていなけ れば、果実は生じません。経営資源の中で、金はもっともフレキシビリティに富む資源ですから(お金は何のためのお金かにかかわらず同じお金である)、問題 はありません。一方、人=人材は、急に角を曲がれないようにできているので、調整に時間がかかります。

しかし、こうした調整に成功し、人材と事業機会との間にマッチングが生じると、成長が実現します。そして、人材の潜在力が事業機会をも上回るように なると、その人材力が新たな事業機会を発見、創造する契機となります。こうした好循環が、企業の継続的成長には欠かせません。

日本の企業の特殊な経営環境との関係でも、こうした成長観は有効だと思います。コンサルティング・ファームが戦略授与型の仕事をして、クライアント 企業に戦略を授与したとします。それがとてもよいものだったので、経営者はその通りしようと思う。では、何からはじめましょうか?その戦略に合わない社員 をレイオフすることから、戦略的経営はスタート!?

欧米ならそれも可能かもしれない。しかし、日本の場合はそう簡単にはいきません。いくらいい経営戦略があっても、人事の問題がアンカーとなって登場し、それは暗礁に乗り上げます。

何をすべきかを決める(戦略)。誰がするかを決める(戦略的人事:積極面)。誰が要らないかを決める。(戦力的人事:消極面)が、それを切れない=戦略がぐずぐずになる。これが現実。

ではどうするか?逆転の発想をしましょう。人事で最後に躓くくらいなら、それを戦略立案の最初にもってくるのです。この人材で何ができるか?この人材からどんなことが「立ち上がってくる」か?この人材プールにどんな刺激を与えれば、それは「立ち上がってくる」か?

そのような人材の育成には何が必要でしょうか?特定の事業機会に事後にマッチングさせるための教育=スキル教育だけでは十分でないことは明らかです。個々人の人間力や、組織の組織力がもっと普遍的かつ根源的な次元で鍛えられねばなりません。

経営資源の中で、お金はもっともフレキシビリティに富む、と言いました。人材はその逆だとも。人材はフレキシビリティには富みませんが、可塑性には富んでいます。お金には可塑性はありません。

ホリエモンは「お金で買えないものはない」と言いました。その通りです。お金で買えないものはありません(究極のフレキシビリティ)。ただし、それ は売っているものに限ります(フレキシビリティの限界)。売っているもので買えないものはないのですが、売っていないものは買えないのです(次元の違うも のに対する無効性=可塑性がない)。

人材はフレキシビリティに富んでいない代わりに、可塑性をもっています。簡単に何かの代替物にはなれませんが、次元の違う何かに自らなっていくことはできます。その可能性を信じることが、教育の信仰告白であるといえるでしょう*2)。

では、どうやって?それについて考えるためにはまだまだ思考のための道具が揃っていません。戦略とは何か?組織とは何か?創造性とは何か?こうしたことが順に確かめられる必要があります。

今後、このメールで、それらを主題化して行くつもりです。その過程で、「自己組織化」や「学習する組織」といった重要概念も押さえていきましょう。 インサイトのリーダーシップ論、OJTの新たな位置づけやアクション・ラーニングといった手法についてもお伝えしたいと思います。コウゴキタイ!

でも、バンコクネタは一体どこに行っちゃったんでしょうね?

Love & Work !!

*1)この定義については、次の本が種本となっています。好著です。ご一読をお勧めします。
「成長と人材―伸びる企業の人材戦略」佐藤博樹・玄田有史編

*2)フレキシビリティと可塑性の違いについては、次の本からインスパイアされました。推薦図書です。
「わたしたちの脳をどうするか-ニューロサイエンスとグローバル資本主義」カトリーヌ・マブラー著