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「企業にとって戦略とは何か?」

タイのバンコクには「戦勝記念塔」というのがあって、BTS(モノレール)の駅にもなってるんですが、地元のタイ人には、この戦勝記念というのがど の戦争の戦勝記念なのかを知らない人が多い、という話を聞きました。タイ人が「今」を生きていて、「歴史的時間」を生きていないことをよくあらわすエピ ソードのような気がします。

もともと東洋の時間感は歴史的時間感(=時間は直線的に一方向に流れ、戻ってこない&歴史にはGoalがあるという時間感)ではなくて、循環的時間 感です。日本は第二次世界大戦の敗戦という民族的経験をくぐることで、循環的時間感から歴史的時間感に離陸しましたが、タイにはそういう経験がないため に、人々は循環的時間の中に生きているような気がします。吉本隆明風に言えば、「絶望が足りない」ということでしょう。まあ、それはそれで幸せなことでは ありますが・・・。

日本の敗戦の原因分析についての著名な先駆的論文として、「失敗の本質-日本軍の組織論的研究」*1)というのがあります。日本軍の失敗の本質はな にか?同書の結論は「戦略がない」ということ。日本軍には局所的に戦術レベルの工夫は存在しても、その全体的行動に組織論上の戦略的一貫性が欠けていた (もしくは脆弱だった)というわけです。

同書はその結論の部分で、その組織論上の特徴が戦後の日本企業のあり方にもそのまま引き継がれているという趣旨の観察を述べています。たぶんそうな んでしょうね。でも、日本企業にかけている戦略性とはいったいなんなんでしょうか?というわけで、やっと、お題にたどり着きました。今回のお題は「企業に とって、戦略とはなにか?」です。先回の「企業にとって、成長とはなにか?」の続きとお考えください。で、インサイト版「戦略」の定義です。

<企業にとって、『戦略』とは、企業行動の全体的一貫性のことである>*2)

解説しましょう。<戦略=一貫性>、というところはだいたい問題ないでしょう。ただし、一貫した<戦略内容>が経営者(もしくは戦略授与型のコンサ ルタント)の頭の中にあるだけでは、つまり戦略的意図があるだけでは、「企業に戦略あり」とは言えません。<戦略内容>が企業行動全体に一貫して浸透し、 機能してはじめて、「企業に戦略あり」と言えるのです。つまり、<戦略=一貫性>の一貫性は<戦略内容>の一貫性ではなく、<企業行動>の一貫性を指すと いうわけです。

経営者(もしくは戦略授与型のコンサルタント)の頭の中の一貫した<戦略内容>が<企業行動>の全体的一貫性の生成を促す場合もあるでしょうが、そ の逆の結果を生じさせることも(多々)あります。戦略的意図の浸透(努力)の過程で、コミュニケーション・ギャップが生じ、かえって企業行動の全体的一貫 性が損なわれるというようなことです。ですから、戦略的経営を行いたいなら、戦略的意図=一貫した戦略内容の立案だけでなく、その浸透のための戦略的対応 が必要です。

企業行動に戦略的一貫性を実現させる方法には、2つのモデルが考えられます。その一つは、トップダウン型、もう一つはボトムアップ型です。トップダ ウン型は経営者=経営トップが戦略的意図をもって戦略内容を立案し、それを組織全体に浸透させていくという方向で形成されるものです。ここでは、戦略内容 の一貫性は当初から保証されていますが、その浸透は保証されていません。一方、ボトムアップ型は組織の構成員が自己組織的に企業行動の一貫性を生成させて いくものです。ここでは、生成された戦略の組織への浸透性は保証されていますが(生成=浸透だから)、一貫性ある戦略内容の生成それ自体は保証されていま せん。

コンサルティングの世界で言えば、前者を支援するのが、戦略授与型のコンサルタント。後者を支援するのが、企業文化・風土改善支援型のコンサルタン トだといえるでしょう*3)。前者は欧米型の経営にマッチし、後者は日本型経営の適合すると、一応モデル論的に整理しておくこともできると思います。

トップダウン型:ボトムアップ型=戦略立案起点:戦略浸透起点=形成:生成=戦略授与型コンサル:企業文化・風土改善支援型コンサル=欧米型経営適 合:日本型経営適合。ただし、こうした整理はあくまでモデル論の水準のものです。二項対立的分類・整理それ自体は具体的実践には概して役に立たないもので す。ましてや、両方大切とか、バランスが必要などと宣うていたのでは、思考停止しているに等しい。

では、文化や伝統、趣味や好き嫌い、行きがかりや成り行きを超えた未来型の経営戦略形成・生成理論というものはないものでしょうか?それを考えるた めには、戦略論単独で考えるだけでは足りないと思います。前回論じた「成長論」と繋げて考える必要があるでしょう。だって、成長が目的で、戦略はその方法 なのですから。次回は、その二つ繋げるとどういう地平が開かれるかをみてみたいと思っています。

Love & Work !!

*1)「失敗の本質-日本軍の組織論的研究」戸部良一他著、中公文庫刊

*2)この定義また本稿全体については、次の論文が種本(論文)になっています。
「戦略的組織か学習する組織か-戦略形成プロセスの分析」大薗恵美著、一ツ橋ビジネスレビュー2002年夏号掲載

*3)この分野での先駆的仕事は「なぜ会社は変われないか」シリーズの柴田昌治氏によるものです。
「なぜ会社は変われないのか(ビジネス戦略ストーリー)危機突破の企業風土改革」柴田昌治著、日本経済新聞社刊

(番外):読者の方から、このコラムは誰が書いているのかという質問をいただきました。第一回の時にご披露したつもりでしたが、ミスしたかもしれま せん。失礼しました。あらためて、事後紹介、でなくて、自己紹介いたします。早川賢雄(ただお)でございます。株式会社インサイト・コンサルティングの CEOです。ただ今、アセアン方面での事業機会のフィジビリティ・スタディのためにバンコクを中心に活動しております。このコラム、しばらくバンコクネタ から離れておりますが、ご要望があればまたご披露いたします。今後ともご愛読のほど、よろしくお願いいたします。

「企業にとって成長とはなにか?」

サワディ・カッ!バンコクは雨季が終わりました。日差しは強くなりましたが、湿気は下がって、爽やかです。これがタイの秋とか・・・・。

タイ人の友人は、12月になるともっと寒くなると言います。寒くなるっていったって、気温的には日本でいう真夏日が続くんですけど・・・。それで も、一時、セーターやマフラーやジャケットがデパートに並び、ほんの一週間ほどの、タイの冬(?)を皆が嬉しそうに「寒い、寒い」と言って過ごすんだそう です。早く見てみたい。

先回は、プラスサム競争への支援=教育への進出、いうところまで来ました。今回は、その続きです。題して、「企業にとって成長とは何か?」(「言語にとって美とは何か?」=吉本隆明=吉本ばななのお父さん、みたいですね)

教育とは、成長の支援です。ですから、最初に定義しなければならないのは、「成長とはなにか?」ということです。インサイト版、成長の定義。

<企業にとって成長とは、事業機会と経営資源の間の不均衡を、拡大方向に解消しようとする運動である>*1)

解説しましょう。企業がある種の事業機会をとらえて、そこに物・人・金・情報といった経営資源を投入し、付加価値を生み出しているとします。事業機 会と投入資源とが合致しているとき、事業は最大のパフォーマンスを生み出すでしょう。しかし、同一の事業機会が、同一の資源の投入によって、無限に同じ付 加価値を生み続けるということはありえません。事業機会そのものが消費され、資源は過剰なものとなります。その資源は別の事業機会のために振り向けられね ばなりません。(ここでいう事業機会には製品レベルのものから企業ドメインレベルのものまでが含まれます。)

そのような事業機会を見つけること自体がもちろん、挑戦なのですが、それが上手くいったとしても、経営資源がそれに見合ったものに調整されていなけ れば、果実は生じません。経営資源の中で、金はもっともフレキシビリティに富む資源ですから(お金は何のためのお金かにかかわらず同じお金である)、問題 はありません。一方、人=人材は、急に角を曲がれないようにできているので、調整に時間がかかります。

しかし、こうした調整に成功し、人材と事業機会との間にマッチングが生じると、成長が実現します。そして、人材の潜在力が事業機会をも上回るように なると、その人材力が新たな事業機会を発見、創造する契機となります。こうした好循環が、企業の継続的成長には欠かせません。

日本の企業の特殊な経営環境との関係でも、こうした成長観は有効だと思います。コンサルティング・ファームが戦略授与型の仕事をして、クライアント 企業に戦略を授与したとします。それがとてもよいものだったので、経営者はその通りしようと思う。では、何からはじめましょうか?その戦略に合わない社員 をレイオフすることから、戦略的経営はスタート!?

欧米ならそれも可能かもしれない。しかし、日本の場合はそう簡単にはいきません。いくらいい経営戦略があっても、人事の問題がアンカーとなって登場し、それは暗礁に乗り上げます。

何をすべきかを決める(戦略)。誰がするかを決める(戦略的人事:積極面)。誰が要らないかを決める。(戦力的人事:消極面)が、それを切れない=戦略がぐずぐずになる。これが現実。

ではどうするか?逆転の発想をしましょう。人事で最後に躓くくらいなら、それを戦略立案の最初にもってくるのです。この人材で何ができるか?この人材からどんなことが「立ち上がってくる」か?この人材プールにどんな刺激を与えれば、それは「立ち上がってくる」か?

そのような人材の育成には何が必要でしょうか?特定の事業機会に事後にマッチングさせるための教育=スキル教育だけでは十分でないことは明らかです。個々人の人間力や、組織の組織力がもっと普遍的かつ根源的な次元で鍛えられねばなりません。

経営資源の中で、お金はもっともフレキシビリティに富む、と言いました。人材はその逆だとも。人材はフレキシビリティには富みませんが、可塑性には富んでいます。お金には可塑性はありません。

ホリエモンは「お金で買えないものはない」と言いました。その通りです。お金で買えないものはありません(究極のフレキシビリティ)。ただし、それ は売っているものに限ります(フレキシビリティの限界)。売っているもので買えないものはないのですが、売っていないものは買えないのです(次元の違うも のに対する無効性=可塑性がない)。

人材はフレキシビリティに富んでいない代わりに、可塑性をもっています。簡単に何かの代替物にはなれませんが、次元の違う何かに自らなっていくことはできます。その可能性を信じることが、教育の信仰告白であるといえるでしょう*2)。

では、どうやって?それについて考えるためにはまだまだ思考のための道具が揃っていません。戦略とは何か?組織とは何か?創造性とは何か?こうしたことが順に確かめられる必要があります。

今後、このメールで、それらを主題化して行くつもりです。その過程で、「自己組織化」や「学習する組織」といった重要概念も押さえていきましょう。 インサイトのリーダーシップ論、OJTの新たな位置づけやアクション・ラーニングといった手法についてもお伝えしたいと思います。コウゴキタイ!

でも、バンコクネタは一体どこに行っちゃったんでしょうね?

Love & Work !!

*1)この定義については、次の本が種本となっています。好著です。ご一読をお勧めします。
「成長と人材―伸びる企業の人材戦略」佐藤博樹・玄田有史編

*2)フレキシビリティと可塑性の違いについては、次の本からインスパイアされました。推薦図書です。
「わたしたちの脳をどうするか-ニューロサイエンスとグローバル資本主義」カトリーヌ・マブラー著

「プラスサム競争」、もしくは「教育」について

サワディ・カッ!バンコクも雨季が終わりかけていて、毎晩、花火大会の最後みたいに雷が鳴っています。闇夜を一瞬、真昼に変える稲光、爆撃のような雷鳴。来た当初はとても眠れなかったんですが、慣れとは不思議なもので、ほとんど気にならなくなりました。

さて、先回は、私が「当事者性の捏造力」を使って、コンサルタントになったことについて書きました。今日はその後の展開に触れてみたいと思います。

「当事者性の捏造力」をもって、クライアントの事業に係わっていき、それなりの成果をあげる。当初はそれで満足していたんですが、時たつうちに、だ んだん、自慢の「捏造力」に陰りを覚えるようになって来ました。なぜだ!私は、正真正銘、この問いの当事者です。そして、その当事者性を発揮して、考え、 答えに突き当たりました。答え=「ヒトダスケデハヨワイ」

「ヒトダスケ」とは「人助け」のことです。この場合の「人」とは「他人」のことであり、かつ他人一般ではなくて、「助けて欲しいと言ってこられた他人」=クライアントのことです。

弊社の社訓の一つに<困っている人しか助けられない>というのがあります。正確に言い直せば、<自分が困っていることを自覚している人しか助けられ ない>ということです。で、困っていることを自覚している方が助けを求めてこられ、私は、持ち前の「捏造力」でもって「当事者性」を発揮して助けたいと思 い、一肌脱ごうと考える。これが「ヒトダスケ」。

でも、上手くいってクライアントを「助ける」ことに成功したとしても、それだけでは社会的な「価値」を生み出したことになるとは限りません。例え ば、業界内のシェアを上げるといった課題を持ったクライアントに肩入れし、それが成ったとしましょう。しかし、それだけでは、業界内の別の場所で、シェア を落としている人がいるわけで、つまり、ゼロサム競争において、たまたま自分を頼ってきた縁者が勝つことに貢献したにすぎません。クライアントは「勝っ た」かもしれませんが、それだけでは、そこに社会的な「価値」が新たに創造されたとは必ずしもいえない。それを私は<ヒトダスケデハヨワイ>と表現したわ けです。

<ヨワイ>とは、それだけでは私が「当事者性」を捏造する根源的力として弱いと言う意味です。それだけでは、「当事者性の捏造力」がそのうち枯渇し てしまうのではないか。昔のやくざが、たまたま遭遇した「出入」において、自分がわらじを脱いだ側に、一宿一飯の義理だけで、加勢し、人殺しまでする。 「人助けで十分」だとしたら、それはそういうやくざと一緒ということなんじゃないか。

ではどうするか?ゼロサム競争の助太刀ではモチベーションが上がらない、ということが問題なわけですから、プラスサムな論理が通用するような場所で働けばいい。そして、発見したプラスサムな場所、それが「教育」という分野だったというわけです。

「教育」という分野は、ゼロサムな場所であると誤解されています。教育=学校教育=受験教育と連想する限り、それは確かにゼロサムなものです。なぜならそれは有限な社会的資源の奪い合いだからです。

高校野球のことを考えて見ましょう。今年の甲子園優勝高でも問題になりましたが、体罰やしごきは今でも野球部につきものです。どうしてか?あれは一種のセレクションの過程であり、社会がそれをまだ必要としているからです。

理不尽な体罰やしごきに耐えてきたものだけが、本格的な野球をする資格を認められる。野球をするという仕方で「遊ぶ」特権=そういう社会的資源が有 限で、それにアクセスできる人数に限りがあることを、当事者たちが理解している。社会全体が貧しかった昔は、そうした資源の有限性はもっと明瞭でした。だ から、庶民は、六大学野球といったエリートのプレーに熱狂できたわけです。

社会全体がある程度豊かになっても、事情は根本的なところであまり変わりません。野球の名門校に入り、野球部に入り、レギュラーになり、甲子園行きの切符を手に入れること、その全体がゼロサム競争だからです。

受験競争についても同じです。結局、名門校での教育機会という資源が有限なので、それを目指した競争はどうしても、ゼロサム競争にならざるをえない。

しかし、「教育」の本質は本来、ゼロサムではありません。自分が一生懸命勉強して賢くなったからといって、その分、誰かが愚かになるわけではない。全体の知の総和=sumは部分の成長に伴って増加する=plusされていく。つまり、プラスサムですね。

こういうプラスサムな方向で、クライアントを支援できれば、それはそれ自体が社会的な価値の創造に貢献していることになるのではないか。それが、コ ンサルティングを人財教育と繋げようと考えた当初の狙いでした。その願いは今でも変わっていません。私にとっての僥倖は、同じ志をもつ者=同志と出会い、 彼らとともにコンサルティング・ファームの経営という社会的実践に携われることです。

仕事を成長機会として活かすこと。それがプラスサム的な成長であること。それがそのまま、人としての成長に繋がっていくこと。Love & Work! にはそういう願いが込められています。

Love & Work !!

「自発性と当事者性」、または「他律から自律へ」

相変わらず、バンコクからの発信なんですが、これ以上「マイペンライ」精神に脳みそをやられないように、ちょっと硬めのトピックを選んでみました。お付き合いください。

コンサルタントに対する質問で一番多いのは、「コンサルタントって、なにするの?」というものです。次に多いのは、「どうやってコンサルタントに なったの?」という質問。「なんで、コンサルタントになったの?」と聞いてくる人はまずいません。でも、私自身にとって一番大切なのは、この最後の質問。 だれも尋ねてくれないけど、勝手に答えちゃいましょう。

学校を卒業して、いざ就職だとなったとき、私にはこれといった職業的展望はありませんでした。恥ずかしいことです。でも(だから、かな?)どこかの 企業に入って、成り行きでなんとなく何かの専門家になるのはいやだった。それで、はっきりと「したいことを持っている人」をサポートする仕事をしたいと 思った。それが、コンサルタント(まあ、一直線でそうなったわけではありませんが)。

コンサルタントというのは、まあ、相談に乗る人という意味ですから、相談に来る人より当然、当事者性は低い、というより、はっきり言って第三者で す。でも、私には、当事者じゃないのに、自分の中に当事者性を捏造する能力(?)があった。自分自身が本当の生の当事者性を感じる対象がないから、人(他 人)が我が事と思っていることに肩入れして、それに燃える。この捏造された当事者性が、本来当事者であるべき人々に伝播していく。「あの第三者があんなに 一生懸命になってるんなら、自分たちも、もうちょっと真剣に考えてみるか」というように。これが私の基本的コンサルティング・スタイルです。

よく、社長さんが社員に対して、「物事に自発的に取り組め」といった類のことをおっしゃることがありますが、あれはちょっとおかしいですね。そもそ も、組織の中の仕事というのは、大なり小なり(たいていの場合は、大なり大なり)与えられたものです。それに自発的に取り組めというのは、形容矛盾みたい なもんです。

与えられた仕事、割当てられた務めに対して発揮すべきは、当事者性でしょう。自発性は、物事の起源を問題にしますが、当事者性はその後の取り組み方 を問題にします。同じようなものだと思わないでください。こういう微妙な差異に敏感な人が他の人を動かせる人になれるのです。

「自発性から当事者性へ」というお題目に加えて、しばしば、「他律を自律へ」ということも言ってきました。他律的な仕事とは「やらされ仕事」のこ と。自律的な仕事とは「やる仕事」のことです。で、「他律から自律へ」でなくて、「他律を自律へ」と言っているところが味噌なんですが、お分かりでしょう か?

自発性/当事者性の議論と同じことですが、もともと組織の中の仕事は、業務命令によって「他律的」に与えられたものです。だから「他律性」を否定し て「自律性」への移行(他律から自律へ)を志しても、それは現実を否定するに等しい。そうではなくて、「他律的」であるもの<を>、「自律的」なものに変 容していく。「他律的」な器はそのままに、そこに「自律性」を盛っていくという感じです。

それは「人生」そのものの構造とよく似ています。私たちは誰一人、「自発的」に生まれてきたわけではなく、「他律的」に生まれてきた(「生んでくれ と頼んだわけではない」という永遠の真理)。でも、生きるって、その<生>に「当事者性」を覚えて、「自律的」に生きることでしょ。だからこそ(構造が同 じだから)、人は「仕事を通して人生を鍛えることができる」わけです。

これは具体的はどういうことでしょうか。外から与えられたミッション、目標、商材などを自分自身のものとする。もともと「心から」のものではないからこそ、「心をこめる」。

人はまだまだ案外、心で生きています。心のこもった仕事が、まず自分を動かし、同僚や上司に波及し、最終的に顧客に通じる。ブレイクした商品からは、「当事者性」と「自律性」が、つまり係わった人の喜びが、オーラとなってでているように感じませんか。

そういう「ちゃんとした」、「きちんとした」、「いい仕事」がしたいですね。

Love & Work !!

タイ人にとっての「お仕事」(その3)褒めるということ

タイ人は、計画することと反省することが苦手だ、という話をよく聞きます。多くの実証事例を知っているわけではないんですが、「ジェーン」の場合 (タイ人にとっての「お仕事」(その1)参照)を見ても、なるほどそうだなーと思ってしまいます。なにせ、仕事を辞めてから、次の仕事を探し、それを決め て、資本を投下してから、外国に行こうとしているのですから。

文化人類学者のエンブレーはタイ人の行動に規則性・規律性・組織性が欠如しているとして、タイ社会を「しまりのない社会」(loosely structured society)と呼んだそうです*1)。「しまりがない」という訳はあんまりだという気もしますが、「loosely」だというのはよくわかります。 ワット・ポーという有名なお寺があって(マッサージの総本山としても有名です)、そこに体長46メートルの巨大な黄金の仏像があるんですが、それが寝姿な んですね。右の手に頭を乗せて、ゆったりと昼寝をしている(?)ような図。その姿がなんともloosely!ちっともまじめくさっていない(感動しまし た)。さすが、マイペンライとサバイサバイの国だと納得。

例えば、タイには日本の暴力団に相当する組織がないんだそうです。だって、あれにも「規則性・規律性・組織性」が必要でしょ。それがないから、やくざ社会を組織できない。いいことです。

しかし、私がもっとも注目しているタイ人の資質は、「叱られ弱い」ということ。現地企業で、日本人の上長が人前でタイ人の部下を叱ったりしたら、決 して言うことを聞かない。それどころか、恨まれて、何かの時に「刺される」ことがある。「刺される」とはいろいろな意味を含みますが、文字通りであること もあります。

タイ人はいつもはニコニコしている(微笑みの国と言われます)が、一旦切れると結構怖い。実際、タイの新聞には毎日、殺人事件の現場写真がでかでか と掲載されています。日本だったら、とても印刷できない写真です。でも、記事を読むとたいていはつまらないことに端を発した「怨恨」が原因である場合が多 い。

だから、部下になにか改善点を指摘したかったら、二人きりの場所で、切々と、しかも忍耐強く、何度もそうしなければならい。タイでは「叱咤激励はただのいじめ」、「愛の鞭はただの鞭」と覚えておきましょう。

実際、私自身こういうことを経験しました。バンコクのあるセブンイレブンでレジ待ちをしていたときのことです。タイ人はあまり「並ぶ」ということを しません。案の定、そのレジの周りにも、はっきりとした列はなかったんですが、私が人の流れをうまいこと作って、そこにめずらしくも「列」ができました。 そこに、新しい客が来て、またその列以外のところに立ち、エントロピーを増大させようとする。そこで、私は当然のごとく彼に向かって“Keep the line!” と(そんなに怖い感じでなく)、言いました。その時、店中が一瞬にして<Freeze>!!!

特にその相手に睨まれたとか、そういうことではないんです。でも、ともかく私の発言がその場にとって、「不適切」だったことをその空気は一瞬にして 私に納得させました。「しまった!」、と思いましたが、レジの人が「まあまあまあ・・・」という感じで上手くその場の空気を流してくれたので、事なきを得 ました。繁華街のセブンイレブンの店内、なんて場所でしたから、その場限りのことになりましたが、職場で同じことが起きたら、ちょっと大変です。

こんな経験もあります。町で道を聞きます。「**はどう行ったらいいの?」タイの人は親切に教えてくれます。まったく知らなくても、とうとうと「あ あ行け、こう行け」と教えてくれます。決して「知らない、分からない」とは言いません。誇り高いので、「知らない、分からない」と言えないんです。それほ ど、誇り高い人たちに、人前で恥をかかせたりしたら・・・・。

バンコクの交通渋滞はとても有名ですが、とっても面白いのは、クラクションの音をついぞ聞かないということです。道には、バス、タクシー、自家用 車、シーロー(業務用の小型トラックにベンチを置いて、人を乗せることができるようにしたもの-幌付です)、バイタク(バイク・タクシー)、トゥクトゥク (ゴルフ場のカートみたいなやつ)、原動機付荷車、自転車で引く荷車、手押しの屋台・・・・、が遅い車優先で一緒になって走っています。どんなに混んで も、だれもクラクションを鳴らしません。結構荒い運転するタクシーもありますが、それでも追い越そうとか、割り込もうとしているのではなく、ただ運転が荒 いだけ(?)。

少なくとも割り込むために、クラクションを鳴らしたり、割り込んでくる車にクラクションを鳴らしたりしない。運転しながら、結構いらいらしてたりもするんですが、それでもクラクションはならさない。

先日、ベトナムのハノイに行ったときはまったく逆でした。彼の地では、ともかく、何百台(何千台?)というバイクが大通りを車道いっぱいに広がって 走り回ります。そのバイクの海をタクシーや他の車がかき分けかき分け進みます。その間、ずーーーーっと、クラクションを鳴らしっぱなし。「はいはいはい、 どいてどいて、車が来てるよーーー、どいてどいて、あぶないよー・・・」(無限ループ)みたいな感じです。ほとんどのバイクにはバックミラーがついていま せん。クラクションだけが頼り(?)です。怖いよーーー!だから、クラクションを鳴らさないというのは東南アジア全般の傾向ではないようです。

タイでは、歩行者が歩行者を追い越すということもほとんどない。歩いていて、背後に視線を感じて後ろを見ると、自分の後ろに人の列ができていた、なんてこともありました。まあ、暑いから、早く歩けないということもありますけど。

それもこれもみな、他の人にプレッシャーをかけない、他の人を抑圧しない、というタイ人の気質の表れだと思います。彼らは決して「静寂好き」でクラ クションを鳴らさないのではありません。実際、交通整理をしている警察官やガードマンなどを見ていると、実に嬉々として、ずーーーっと、笛を吹いてる。 「ピピピピーーー、ピーピピピピーーーー、ピピーー・・・・・・・・」(隙間なし、延々)。うるさくってしょうがない。でも、よく見ると、「止まれ!」を 指示するために笛を鳴らしているんではないいですね。背中と左手のヒラで、後方からの車を抑止して、右手を忙しく振りながら、右手側の車に、「こいこい、 早く来い、俺が止めといてやるから、大丈夫だから、早く来い、そうそうそうそう・・・・・、はい次の車も来てー・・・・・、まだまだ大丈夫、こいこい、早 く来い・・・・、」(隙間なし、延々)、笛の音も実際にそう聞こえる。ネ、抑圧的じゃないでしょ。

このように彼らは、「人前で叱られること」を嫌い、「抑圧」することもされることも回避する。これはタイ人の民族的気質に根ざした文化だともいえま すが、一方ではもっとプリミティブな、だからこそある意味で普遍的な、「人間性」そのものなのではないかという気もします。これって「タイボケ」でしょう か?

日本人だって、「人前で叱られることを」好み、「抑圧」することもされることが大好き、というわけではないはずです。だったら、こうしたタイ人気質 に関する知見は、タイに進出しようと考える企業がタイ人を使いこなすために必要だというより、日本の企業の中で働く日本人が「働くことを通してどのように 幸福になるか」ということを考える際にこそ、役に立つのではないか。

企業のコンピテンシー・リストの中に「褒める力」が挙げられることが多くなりました。いいことだと思います。実際、われわれは本来的に「叱られ弱 く」、壊れやすい、フラジル(fragile)な存在なのです。でも、「褒める」ことが奨励されて、部下に向かって上長がフリーズしてしまうといった図が 各所で見られます。ちゃんと褒めること、それは結構難しい。長らく使わないでいた筋肉を、リハビリして動くようにする、そういう痛みの伴う努力が必要なの でしょう。そのプロセスまで「マイペンライ」というわけにはいかない。でも、成功の暁には、大きな「サバーイ」が待ってるかもしれない。

朝日新聞の2005年7月10日版に早川義夫氏*2)の次のような「書評コラム」が載っていました。「『りんごは赤じゃない』*3)はある公立中学 校の美術教育の記録だ。その先生はとにかく生徒をほめる。早く教室に来るだけで「よく来たね!偉いねー、なんていい子なんでしょう!」と握手する。忘れ物 をした生徒がいても「今度から忘れないようにします」と答えれば、「よく言えたね」、「すばらしい」、「最高よ」とほめる。(中略)全員をほめる。些細な ことでもいい。「字がとてもきれい」ってほめる。頼みごとをしてくたら「ありがとう!本当にいい子ね」と感謝を表す。(中略)たったそれだけなのに、生徒 は見違えるようにやる気をだす。教育の第一歩はほめることだったのだ。考えれば、大人だってほめられたい。認められたい。」

そう、「考えれば、大人だってほめられたい」。タイ人だけじゃなくて、日本人だって。

Love & Work !!

*1)「海外派遣者派遣者ハンドブック ベトナム・タイ労働事情編」社団法人 日本在外企業協会 P.69

*2)早川義夫
http://www15.ocn.ne.jp/~h440/index.html
2005年4月18日の朝日新聞に載った「高田渡さんを悼む」は本当にいい文章でした(と、褒める!)。下記のサイトに載っています。
http://www15.ocn.ne.jp/~h440/essay5.html

*3)「りんごは赤じゃない-正しいプライドの育て方」山本美芽著、新潮社刊

タイ人にとっての「お仕事」(その2)周回後れ、それとも・・?

前回は、「ジュンさん」の例から、タイ人の「お仕事」に対する考え方を覗いてみました。今回は、私が実際に目撃した例から、タイ人の「お仕事」事情について報告します。

町を歩いていて、またお店に入ってすぐに気づくこと。・女性が多い・店員の数が多い

女性が多いということについては、前回も述べました。その理由を地元の人に聞いたところ、曰く、「だいたい、タイの男性は言葉を操る作業に不向き で、事務職・売り子といった仕事はどうしても女性になる」(女性言語優位説)「学生の時から、男はだいたい勉強しない。女性はとっても勉強家」(男性元来 怠け者説)まあ、どっちもある程度真実なんでしょうね。

しばらく前に、ベトナムのハノイに行ったときも、女性の職場進出が進んでいるのに驚きました。彼の地で会った「お偉いさん」の2/3は女性でしたから。

但し、タイとはちょっと背景の事情が違うようです。ベトナムの場合、1986年以降のドイモイ政策以前は、コテコテの社会主義国。で、男たちは国有 企業に毎朝働きに行く、仕事はない、ぶらぶらしている、当然収入は少ない。その一方で、妻・母親たる女性たちが、畑仕事と闇の商売で家族を支える。ドイモ イ以降、起業した若い事業家たちは皆、母親を尊敬しているんだと、ベトナムでナンバー*のソフトウエア開発会社の若き社長(彼は男性)は言ってました。

で、再びタイの話。それでは男たちは何をしているかというと、何もしてないわけではない。例えば、私が住んでいるような「外国人向けのアパート」で いえば、フロントやバックヤードの事務職、そのマネージャーは女性、ドアマンやベルボーイ、セキュリティやエンジニアは男性というふうに棲み分けがなされ ています。女性の仕事=フロントヤード系の事務系、男の仕事=バックヤードの肉体系という図式がどうもあるようです。スーパーのレジでも、お客と直に接す るレジ打ちは女性、その後ろで黙って袋詰めしているのは、きまって男性です。

ベトナムでは女性がバイクを運転しているのをずいぶん見ましたが、タイではバイタク(バイクタクシー)のドライバーは全員男性。車を運転しているタイ人の女性というのもほとんど見かけません。それほど、役割分担がはっきりしている。

役所に行っても、お偉いさんは女性ですね。警察署やイミグレに行きましたけど、どの部署でも一番奥に座っている偉い人は女性でした。しかも、けっこ う若くて、きれいな人が多い(町でよく見る、いわゆる<癒し系>の美女ではなくて、ちょっと<キツイ系>の、でもファラン(タイ語で欧米人のこと)が好ん でつれて歩いている<野獣系>の女性とも違う-だからどうしたといわれても困るんですが)。どうしてなんだろ?キャリアシステムが関係してるのかなー?も ちろん、そのまた奥にはもっと偉い人がいるわけで、それが男なのか、女性なのかは分かりません。

男性との相対的な人数比とは別に、そもそも店員の絶対数が多いという点。例えば、日本人が多くすむスクンビット地区の真ん中、プロンポンというとこ ろにエンポリアムというデパートがあるんですが、お客の人数より店員の数の方が多い。いつ行ってもです。客がいない間、彼ら(彼女たち)はずーーーっと、 おしゃべりしてる。なかには手を繋いで仲良く、しっとりとお話ししている子もいる。

お客がその一人を呼んで、「これが欲しい」と言うとします。彼女はそれをレジに持って行ってくれる。レジではそれをレジスターに打つ人がいる。包装 する人がいる。袋に詰める人がいる。私に渡す人がいる。というのは嘘ですが、そんな感じに思えるほど、業務は細分化されていて、一人の人はそのほんの ちょっとの部分しか担わない。いや、ただ、一人のお客をみんなで<イジッテ>いるだけなのかもしれない。ああいうのも分業と協業というんだろうか?ただ の、<ミナデヨッテタカッテ>にしか見えないんですけど。

ある時、ある商品について、一人の店員に探してもらったり、説明してもらったりで、ずいぶん世話になったので、一緒に買おうと思っていた別の商品を 探すのも手伝ってもらって、その全部がその店員のアカウントになるようにと考えた時も、あっさり他の店員に引き継がれてしまいました。どうも、インセン ティブは無いみたいです。

そうそう、一度など、エンポリでの買い物を自宅に配送してもらったら、荷物の数より、配達人の数の方が多かったっけ・・・。あれには妻も驚き、笑ってました。

でも、こうしたことをタイの「後れ」と簡単に片付けてしまうことはできないんじゃないでしょうか?だって、これって、ある意味、女性の社会進出と ワークシェアリングが進んでるってことでしょ。しかも、仕事中、彼らはとっても幸せそう。だって、職場のみんなが友達で、とっても仲良し。これはパート ナーシップが良好だということですね。

日本ではなかなかできないことです。タイのことを周回後れだと思ってたら、タイの方がトップランナーで、日本の方が後れをとってたなんてことも無きにしも非ず・・・。

考えさせられます。

タイで「あなたは幸せか?」なんてアンケートをとると、八割くらいがYESと答えるという、有名な話があります。まあ、実際にそのアンケートと集計結果をみたことはないんですが、そういう話がある種のリアリティをもって流通しているというだけで、文脈上は十分でしょう。

確かに、幸せなんでしょうね。仕事中にあんなに楽しそうなんだから。<Love & Work!>を先取りされちゃってます。

次回は「タイ人にとっての『お仕事』(その3)」。タイ人の苦手なこと=計画・反省・人前で叱られること、というのを計画してます。<コウゴキタイ>

Love & Work !!

タイ人にとっての「お仕事」、または「サバーイズム」について

タイのバンコクには、在タイ大使館に登録されている分だけで、2万人以上の日本人が住んでいるそうなんですが、それくらいの数になりますと、日本人 向けのサービスの集積もそこそこの規模になります*1)。すると、それをアドバタイズするメディアもかなりの量になってきて、実際、日本人向けの(つまり 日本語版の)フリーペーパーの類は私が目にしただけで、十指に余ります。定期刊行されているものだけでです。そのなかに「DACO」というフリー・マガジ ンがあって、月に2回発行され、日本人が立ち寄りそうなところならどこででも手にすることができます*2)。

その174号(賞味期限2005年8月5日~9月5日頃まで-と表紙に書いてあります)に、「ジュンを見ればわかること」という特集があってそれが 面白かった。ジュンというのは、同誌のタイ語版の編集長で、最近その職を自ら辞して(つまりやめて)しまった女性、というか、写真で見る限り、女の子とい う感じ(27歳-たぶん)。それで、どうせ辞めちゃうなら、彼女を取材対象にして、リアル・バンコク・ライフを記事にしようと、日本語版スタッフが考え て、この記事ができたらしいんですね。彼女の住まいや、交友範囲、食べてるものや、通勤事情、ワードローブ(?)やペット、はては財布の中身まで裸にされ ていて、大変興味深い。私の周りの日本人も、この号のDACOは永久(は大袈裟ですが、当面)保存版だと言っています。

特に面白いと思ったのは、彼女がなぜ編集長の仕事を辞めてしまったのかといったあたりのことが書かれているくだり。題して「ジュンお仕事。タイ人お仕事。」ちょっと引用します。

「日本人と働くという経験を持てた私は幸せでした。得たものは大きいですよ。 ①上司に言われたことにはイジケがちだったけど、それに耐えられるようになったこと、 ②詳細に、もっと詳細にしらべること、 ③撮影以外でだれかに会うときはサンダル履きじゃないほうがいいこと、 ④おいしい料理をたくさん知ったこと・・・・などかな。会社、そして会社の仲間、こういった機会を与えてくれてありがとう。でも、私はサバーイを選択しま す。」

要するにジュンさんは「サバーイ」のために会社を辞めるんですね。「サバーイ」というのは、タイ語で「快適」という意味。マッサージをやってもらっている時の会話をつかって用例を学んでください。

M(マッサージする人):サバーイ、カー?私:サバーイ、サバーイ・・・。M:コップン・カー(ありがと)。と、いった感じで使います。

サバーイという言葉はタイ人にとってone of themの形容詞ではなくて、民族の感性、気質が凝縮された言葉なんです。「快適、気持ちいい、楽(らく)、楽しい、ストレスがない、抑圧がな い・・・・、それが一番!」、これがサバーイ・イズム、略してサバーイズム(私の造語ですから、他で通じなくてもあしからず)。

ジュンさんは言います。「ある日本人スタッフが言いました。『仕事をしていると、妬みとか自己嫌悪とか競争心とか自分の嫌な面が出てしまう』と。私にはその気持ちが分かります。」「No more job-仕事をしている自分が嫌い。」

この二重括弧の部分が日本人スタッフの言葉だというところが面白いですね。つまり、そのようなストレスと感じるというところまでは、タイ人も日本人 もない普遍的な経験で、その後に「だからどうする」というところで、タイ人は「サバーイ」を選択して職を辞し、日本人はその重荷の下に留まる。

では、タイ人、特にバンコクに住む若い世代がいわゆる怠け者なのかというと必ずしもそうも言えない。実際、このジュンさん自身、自分の今後についてこう言っています。

「これからどうするか?月々の家賃や親への仕送りを滞らせるわけにはいかない。で、同僚にいろいろ相談して決めたのが古着の販売。ラムカヘン通りのザ・モール近くに5M*2M+専用トイレのスペースを月500バーツ(1500円くらい)で借りる。8月中に開店だ!」

でも、急転直下、事態は思わぬ方向に進展します。

「7月中旬。オーストラリアの大学で学ぶ従妹が一時帰国。現在の状況を説明すると『ジュン姐、古着販売業でこれまで以上の収入があると思う?オース トラリアで働きながら英語を学ばない?仕送りだってできるよ』とアドバイスされる。もっともだ。もっともというより行きたい。想像すると体中に力がみな ぎってくる。(中略)今年中にオーストラリアにいけるように計画を立てる。え?古着の仕事?誰かやらない?」

面白いねー。日本人だったら、まずこのオーストラリア行きの話しがあって、それから仕事を辞めて、それから・・・、でしょうね。でも、ジュンさんの 場合、まず編集長の仕事を辞めて、それから古着屋をやることに決めて、お店を借りて、開店準備の途中で、オーストラリアに行くぞー!・・・、なんですか ら。こういうのを、タイ語では「マイペンライ(いいからいいから、気にしない気にしない)といいます。

サワディカッ(おはよう、こんにちは、こんばんは、さようなら・・・・あいさつはみんなこれ)コップンカッ(ありがとう)サバーイ(いい気持ち)マイペンライ(いいからいいから)この4つを覚えれば、あなたも今日からタイ人!

でも、ジュンさんの生活設計にも従妹の生活設計にもちゃんと親への「仕送り」が入っているところが偉いですね。泣けます。

実際、タイ人のライフサイクル(もちろん理想形に過ぎず、実際はなかなかそうは行かないんですが)は、「若いときにバンコクに出て、親に仕送りし、 結婚して子供をたくさん生んで育て、老後は田舎に引っこんで、バンコクに出た子供の仕送りで生活し、その子供が結婚して子供をたくさん生み・・・」(無限 ループ)というものです。「子沢山」というところがポイントですね。これが「仕送り老後システム」を必須とし、かつ可能にする。

日本では、戦後、兵隊たちの復員とともに、その子供の世代として団塊の世代(1947年~49年生まれの世代)が誕生しました。1948年に優生保 護法が成立すると、日本は世界に類を見ない「堕胎天国」になり、団塊の世代は突然終息します。(世界的に見て、日本に婚姻外子が異常に(?)少ないのは、 堕胎の自由と非嫡出子差別が法的に公認されているためです)少子化によって可能になった貯蓄性向の向上は、郵貯=財政投融資システムにより高度成長を支え ます*3)。

その団塊の世代が新たな2007年問題の世代となる。同時に、政策としての少子化ではない、「少子化問題」が年金システムの破綻を危惧させる。そして、この夏、小泉さんは郵貯=財政投融資システムに引導を渡そうと「郵政民営化解散」に打って出る。これが日本の「現在」!

「ジュンを見ればわかること」-いったい、何が分かるんだろう?それは、タイ人のことだけではなくて、むしろそれを鏡として見た日本人と日本の姿。 タイとは違う道を、とっくの昔に(国民のほとんどにとっては、いつの間にか)、選んでしまった日本は、今になって、サバーイ・サバーイ、マイペンライなん て言ってるわけにはいきません。残念ながらネ。

私たち-つまり日本人が、労働や生産-つまり「お仕事」と、サバーイ-つまり「幸福」とを繋ぎ合わせるためには、単なる「気質」以上のもの、学び取 られた「哲学」や考え抜かれた「戦略」が必要なんでしょう。それを考えること、そしてそのことで「時代に一矢報いる」こと、それが私のライフワークです。

Love & Work !!

*1)正確な人数は、在タイ日本大使館のサイトにあります。
embjp-th.org/jp/jtrela/zairyu03.htm

*2)DACOのサイトは次のとおり。
www.daco.co.th
日本からも定期購読できます。その場合は有料ですけど。

*3)このあたりの議論については、次の本を参照してください。
「「人口減少経済」の新しい公式」松谷明彦著、日本経済新聞社刊

配信開始のごあいさつ

会社がアセアン地区における事業開発というミッションを考えついて、いざ誰が行くという段になったら、国内における機会損失を生じさせない人、時間 単価が安く、プロフィットセンターでない人という条件に見事にかなっているということで、私が行くことになりました。シンガポール、マレーシア、インドネ ア、ベトナム全体のハブという観点から、タイのバンコクが選ばれ、数ヶ月が経過しています。日本におられるクライアントの皆様に忘れられないよう、こちら の様子などをお知らせしようということで、このメルマガの配信に至りました。

題して、「Bang!通信」by 鯛男。

ビジネスと関係があるような、ないような、やっぱりある/ない(かな?)くらいのスタンスと文体でお届けしようと思います。楽しんでいただければ幸いです。

サワディ・カッ!