「寂しさなんてのはなぁ、
歩いてるうちに
風が吹き飛ばしてくれらぁ。」
(車寅次郎、「男はつらいよ 寅次郎の告白」より)
Feeling lonely?
Just walk, and the wind will blow it off.
寂しさは風が吹き飛ばしてくれる。
「風に吹き飛ばし」てもらうためにはそれでも「歩く」ということが必要です。
だから寅さんも歩いたのです。
さあ、今日も歩くぞ!
「寂しさなんてのはなぁ、
歩いてるうちに
風が吹き飛ばしてくれらぁ。」
(車寅次郎、「男はつらいよ 寅次郎の告白」より)
Feeling lonely?
Just walk, and the wind will blow it off.
寂しさは風が吹き飛ばしてくれる。
「風に吹き飛ばし」てもらうためにはそれでも「歩く」ということが必要です。
さあ、今日も歩くぞ!
「歳をとってみないと分からないことがある。
それは、「歳をとっただけでは人間は成長しない」ということである。」
私の場合は、そのことにはずいぶん早くから気づいていたような気がします。
「加齢と成熟」とは異なるということ。
それは一つには、自分の身内に納得いく「成熟」モデルがなかったことが大きい。
つまり、このまま自分が自分の身内の年齢になったときになれるであろう自分のレベルというものに、ずいぶん早くから失望していたということです。
同時に、「成熟」の可能性に対する確信とそれへの憧れも人一倍強かった。
それもあったと思います。
とはいえ、今やそうした早熟的認識のアドバンテージはもはや使い尽くされてしまった感あり。
困ったものです。
あらためて、「加齢と成熟」を隔てる壁を凝視し、それを乗り越えていかねばなりません。
現役の「アラカン」(アラウンド還暦)として。
「人は、誰も生きない、
このように生きたかったというふうには。
どう生きようと、このように生きた。
誰だろうと、そのようにしか言えないのだ。」
(長田弘、「世界は美しいと」より)
長田弘はMy favorite poetのひとりです。
高校生のころに「ネコに未来はない」にはまりました。
詩集「深呼吸の必要」もとってもよかった。
機会があったらぜひご覧ください。
「世界は美しいと」は彼の比較的新しい詩集です。
上の言葉はその一節。
内田樹さんは「肝心なことはは事後に、回顧的に、遡及的にしか評価できない」ということを手を換え、品を換え、繰り返し述べています。
そして、それは「肝心なこと」一般、そして「人生」そのものについても言える。
それが、「生きる」ということが時間の中に組み込まれているその組み込まれ方(=生きるということの時間内構造)そのものだからです。
長田さんの詩はそのことをとってもうまく言い当てていると思います。
よい結婚、よい子育て、よい人生をすみずみまで設計し、計画通りにそれらを展開することはできない。
かりに計画通り展開できたとしても、計画通りだったこと=よいこと=価値ではない。
結婚における、子育てにおける、人生における<よい>とは何かを考えながら、結婚生活を、子育てを、人生を生きる。
そしてそのヨシアシは事後的に、回顧的に、遡及的にしか評価できない。
それは<よい>ことだったか?
ヨキニツテアシキニツケそれは本当に<自分の人生>だったか?
少なくとも<自分の人生>だったと自分でいえれば、それは<人生>足りえたことになる。
ウン、ソレデイイノダ!
♪ゼニのない奴ぁ
俺んとこへ来い
俺もないけど心配すんな
見ろよ青い空白い雲
そのうちなんとかなるだろう♪
(植木等、「黙って俺について来い」より)
作詞は青島幸男、演奏は「ハナ肇とクレージーキャッツ」にクレジットされてますが、なんといっても「植木等」です。
実際の植木さんは「お坊さん」の子どもです。
僧侶だった父親は左翼の運動家でもあり、植木さん自身もたいへんストイックな人だったらしい。
♪俺んとこに来い!
・・俺もないけど心配すんな♪
いいですねー。
「引き受け」というものがある種の「軽み」を根拠にしているところがいい!
♪見ろよ青い空白い雲♪
ここのところで転調します。
そこも秀逸。
本当に青い空と白い雲が見えてくるようです。
いいなー・・!
「お前と俺とは別の人間なんだぞ。
早え話がだ、俺が芋食って、お前の尻からプッと屁が出るか!」
(車寅次郎、「男はつらいよ」第1作より)
You know, you and me are different individuals.
In short, if I ate broccoli, can it make you fart?
すばらしい喩えですね。
要点をずばり突いてる。
視覚、臭覚、聴覚だけでなく、
「絶望が足りない」
(吉本隆明)
What is insufficient is despair.
その<希>に<望>と書いて、<希望>。
つまり<希望>とは<望みが少ないこと>、<かすかな望み>だというわけです。
「浅いところで満足してしまう態度」のゆえに<望>が充ちている状態。
そういう「浅い態度」、「自己欺瞞」に対して、吉本は「絶望が足りない」と言ったのだと思います。
ベトナム戦争時に北ベトナムの捕虜となり、後に帰還したストックデールという人は、生き残った理由を尋ねられてこう言っています。
「自分と捕虜仲間に何が起きているかについて注意を怠らず、生き残るための戦略や作戦を日々更新し続けたこと」
逆に死んでいった人たちに共通だったこととしてこういう指摘をしています。
「クリスマスまでには出られるだろう、次はイースターまでには、次は夏が終わるまでには、そしてまたクリスマスまでには・・・・、と常に未来の希望にだけすがっていた人」
ムズカシイですねー。
そこが面白いんですけど。
「それでいいのだ」
(赤塚不二夫、「天才バカボン」より)
So, be it!
加藤陽子さんの「それでも、日本人は『戦争』を選んだ」で、赤塚さんが満州からの引揚者だったということを知りました。
そうしたことを思うと、「それでいいのだ」という全肯定の台詞も味わい深いです。
ちなみに、バカボンはバカボンドからきています。
バカボンドとは放浪者という意味です。
ソレデイイノダ!
「私は孤独の中の作業を知っている人かそれに敬意を払う人に向けてしか、この連載を書いていない。
「分かっていない人を論駁している<暇はない>」(キッパリ!)というところがいいですね。
こういう断定的な台詞には日常なかなかお目にかかれません。
でも、この言葉が存外に<温かい>のは、その背後に、「もう一方の人たち」を支援しようとする保坂さんの願いがあることが伝わってくるからでしょう。
私たち一人ひとりは、だれもかれもを励ますことはできません。
自分で自分を励ませる人が、自分で自分を励ませたその同じことで励ますことのできる相手というのは案外少ない。
だからこそ、わたしたちの全員が、誰かしら自分のVoice(こえ)が届きそうな相手に向けて、その誰かを励まそうと努め続けなければならない。
私もまた「孤独の中の作業を知っている人かそれに敬意を払う人」という「もう一方の人たち」を激励することに与したいと思います。
「大人はいつも子どもに『大人になったら何になりたい?』と尋ねる。
Adults always ask a child “what do you want to be?”.
Because adults want ideas (to be adults).
大人は大人になるためのアイディアを大人になっても必要としている。
確かにそうですね。
私がまだ幼かったとき、私の祖父も私に会うたびに同じことを尋ねました。
私は「何か」になりたくなかったので、いつも答えに窮していました。
今だったらこう答えます。
「成熟した大人になりたい」
maturityへの憧れは時間がなくなるにつれて大きくなります。
あなたの成熟モデルは誰ですか?
「あなたができるもっとも有効な投資は、あなたが心を通わせたいと思っている人々の言語を学ぶことだ。」
<心を通わせたいと思っている人々の>というところがいいですね。
ガーソンはこうも言っています。
「(歴代の)アメリカの大統領のほとんどは英語以外の言語を流暢に話すことができなかった。」
ティモシー・フェリスもこう言っています。
「言語の習得は特筆すべきものだ。
これは文句なしに思考を研ぎ澄ますためには最高の方法である。
(中略)
外国語に精通することのメリットは、その難しさが過大評価されているのを同じくらい、過小評価されている。」