「ホスピタリティは固有名詞である。」
(四方啓暉、「リッツ・カールトンの究極のホスピタリティ」より)
「ひとりの人間として、自分の人生をもとに、『こうしよう』、『こういうふうに言葉を出そう』と考えて自ら動くことが、『ホスピタリティ』の原則だからです。」
「自分の人生をもとに」というところがいい!
だから、「ホスピタリティは固有名詞である」となるわけですね。
Love & WorK!
「ホスピタリティは固有名詞である。」
(四方啓暉、「リッツ・カールトンの究極のホスピタリティ」より)
「自分の人生をもとに」というところがいい!
だから、「ホスピタリティは固有名詞である」となるわけですね。
Love & WorK!
「幸せでいるためには、他の幸せな人々と親しい関係になる必要がある。
この文章を入力していて、<幸せ>というのが<しやわせ>なのか<しあわせ>なのか、一瞬分からなくなっている自分を発見しました。
<お土産>が<おみあげ>なのか<おみやげ>なのか迷うのと同じように。
自分は<しあわせ>について肝心なことをいまだ何も知るに至っていない、ということのシルシであるように思います。
反省!
「思うのだが、僕らを噛んだり刺したりする本だけを、僕らは読むべきなんだ。
村上春樹の「雑文集」の一節からの孫引きです。
彼はこの言葉を。2006年にフランツ・カフカ国際文学賞を受賞した時の授賞式のスピーチで引用しました。
いい言葉だなー・・。
「人生は『寿命の短いろうそく』ではない。
人生は、しばらく私が掲げることを任されたすばらしい松明(たいまつ)である。」
(S・R・コヴィー、「サーバント・リーダーシップ」前書きより)
コヴィー氏は「七つの習慣」の著者です。
「サーバント・リーダーシップ」はR・K・グリンリーフの著書ですが、前書きをコヴィー氏が書いています。
続く部分にはこうもあります。
「ガンジーは我々を破滅させるものが7つあると説いた。
労働なき富、良心なき快楽、人格なき学識、道徳なきビジネス、人間性なき科学、献身なき信仰、理念なき政治である。」
政治家の「理念なき政治」についてそれを嘆くことはあっても、自らのビジネスにどのような「道徳的価値」があるかを内省することはほとんどない―そういうことが「我々を破滅させる」のだとガンジーは言っているようです。
自分の仕事を、「寿命の短いろうそく」ではなく、「すばらしい松明」を掲げることにどのように繋げることが出来るか、そのような真摯な内省こそが人を真にタフにするのだと思います。
「トレーニングの6つの原則。
過負荷性、反復性、漸進性、そして特異性、全面性、個別性。
過負荷は自分が少しきついと感じる負荷をかけること。
反復性はそれを繰り返すこと。
漸進性はそれを少しづつ増やしていくこと。
特異性は特定のスポーツで高いパフフォーマンスを得るために、そのスポーツそのものに特異な動きを訓練すること(野球なら、バッティング練習、投球練習)。
全面性は逆に、特定のスポーツに固有の特異な動きではなくて、全身の動きを全面的に鍛えること(野球選手にとってのランニング、ストレッチ、ウェートトレーニング)。
個別性は個々人の特性にあった個別的な訓練が必要であるということ。」
妻と一緒に通っているホグレルというジムの会報に載っていた言葉です。
この6原則はスポーツだけでなく、BIZにおいても、他のどんな分野についてもいえることだと思います。
BIZに当てはめればこうなるでしょう。
アサイン部署に固有のスキルを学ぶこと(特異性)に加えて、
幅広い教養を身につけ(全面性)、
かつそれを自分自身の現状とゴールに見合ったものとしていくことを旨として(個別性)、
毎日の業務について、自らに漸進的な、過負荷を、反復的にかけていく。
そうした努力に成果がないわけがないですね。
「得意なものがなんであるかということより、
両親から虐待にあっている少年ポールを、スペンサーが保護し、助けるストーリー。
私は一種の「父性論」として読んだのかもしれない。
いい本ですよ。
早川文庫で読めます。
「理屈を言うんじゃないよ
大事なときに!」
(車寅次郎、「男はつらいよ第29作-寅次郎あじさいの恋」より)
でも、じゃあ「無言」がいいのか、といえばそうでもない。
「男は黙って」とか、「以心伝心」とか、「不言実行」とか、「阿吽の呼吸」とか、「背中を見て」云々とか(たくさんあるなー)、そういうの、日本人大好きだけど・・。
だって、「理屈を言うんじゃないよ、大事なときに!」という言葉自体が言葉なんだから。
無言でもなくて、理屈でもないものとしての言葉。
これ以上言うと、理屈になっちゃうので、これでやめます。
今も「大事なとき」ですから。
「子どもの気持ちが分かるためには、大人のほうに訓練が必要である。
「なんでもすると決めた。
それは自分のリミッターをはずすということ。
未曾有の事態には未曾有の自分になるしかない。」
(西條剛央、NHK番組「東北Z」での発言)
“I decided to do everything.
西條さんは、「構成構造主義」を体系化した哲学者・心理学者。
絵本作家としても知られている(らしい)。
その西條さんが今回の震災にあたって、「ふんばろう東日本」
その次第がNHKで取り上げられたのを、たまたま観ました。
番組を観ていての最初の印象-
「いい男だなー」
「誰これ?」
「西條剛央―Who?]
「いい顔してる」(吉川晃司を知的にした感じ)
そして上の発言。
ガツンとやられてしまいました。
さっそく、WEBで検索。
なになに・・・、1974年生まれ?
35歳か・・・。
恐れ入りました。
指にリングがあったから妻帯者なのでしょう。
残念。
ウチノムコニホシカッタノニ・・
「『おじいちゃん、理恵子がおねーちゃんになったら死んでしまうの?
死なんといてね
理恵子がおねえさんになっても死なんといてね』
祖父は正月に集まった親戚一同の前で、この話を披露する。
それも毎年。
とうとう、理恵子はそれがはずかしい年齢になった。
『おじいちゃん、もう何回も言いゆうでやめてえや』
『何回でも言いたいわいや、言わしてくれ』
とどなりかえされてしまった」
(西原理恵子、「こどもの時間」より)
島泰三さんの「孫の力」引用されていたエピソードです。
西原理恵子さんは「毎日かーさん」を書いている漫画家です。
島さん自身も同じ経験をもっているそうです。
こうあります。
「ちなみに、わたしも7歳になった孫娘に、
『ジイジ、死んじゃいや。
あいちゃんが死ぬまで死んじゃいや』
といわれたことがあります。
こっちも、なんどでも言うな、これは」
ですって。